ブラック・ベティ




題名:ブラック・ベティ
原題:Black Betty (1994)
作者:Walter Mosley
訳者:坂本憲一
発行:早川書房 1996.1.31 初版
価格:\2,000


 本シリーズの主人公イージー・ローリンズとのつきあいもそろそろ長くなるかなと思いきや、この作品でまだ4作目とは、意外に短い。そういう気がするのも、作中の時間経過ばかりがいやに早く、新作を手に取るたびに、イージーや彼を取り巻く環境が大きく変貌しているからなのかもしれない。

 本作の冒頭も、いきなり五年も前の、親友マウスの殺人を目撃する悪夢に、幕を切る。この悪夢が、この作品の最後までイージーにつきまとうのだが、これとメイン・ストーリーの「ベティ探し」が絡んで、相変わらず一級品のハードボイルドの香り。上質で、人間臭く、そしてモズリィならではのオリジナリティが健在の一冊である。こういう本にこそ、いくらつぎ込んでも惜しくないと、ぼくなら言える。

 個人的にはシリーズ最高作と言い切れる構成の見事さであった。それを支えるのは、筆遣いの巧さもさることながら、あくまでこちらの感性にいきなり訴えてくる人間臭さ。育ての親をイージーが自主的に引き受けており、傷だらけの子供たちとの交情のシーンとなると、シンプルなぼくなどは、どうしてもぐいぐい胸を揺さぶられてしまうのだが、このあたりは若い人よりは、むしろ中年以上の世代向けに用意された感動なのかもしれない。

 もちろん主人公イージーが黒人であるからこそ浴びせられるいくつもの街からの表情が、いつもながら豊かであり、それがこのシリーズのひとつの「売り」にもなっていると思うのだが、時代背景が1961年。ケネディやキングの時代になっていおり、アメリカ黒人史にとっての一つの節目なのだ。1940年代後半を舞台にしていた一作目あたりとは、人権問題もスケールを変えており、このあたり、作品内でもだいぶ人権や差別に関する描写が目立つようになってきている。

 もちろんこの作品はハードボイルドとしての王道を歩いているシリーズだとぼくは思うし、その最大の要素は「卑しき街をゆく」探偵小説であるからなのだが、「卑しき街」がある時代の黒人の眼から描かれているところに現代的な新鮮さをむしろ感じる。エンターテインメントであることを第一にしていながら、その背後に多くのことを描いているという点が、ハードボイルドと名付けられてきたこの一連の作風の魅力であるのだと思っている。

 そういう意味で、いま一番注目していい正統派ハードボイルドの担い手は、ぼくはこのモズリィだと感じているし、それを作品が未だに裏切っていないという事実にこそ、注目すべきだと思うのだ。

(1996.03.09)
最終更新:2007年09月25日 00:37