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血と暴力の国




題名:血と暴力の国
原題:No Country For Old Men (2005)
作者:コーマック・マッカーシー Cormac McCarthy
訳者:黒原敏行
発行:扶桑社ミステリー 2007.08.30 初版
価格:\857



 何となくノワールの匂いがするので買ってみた本である。この作者がどういうレベルの作家なのか全然予備知識はなかった。

 読んでみて、驚いたのは、期待に違わぬノワール。いや、期待を遥かに上回る迫力のノワールと言うべきか。増してや文体は、心理描写、一切ゼロの、純粋ハードボイルド・スタイルである。淡々とテンポよく進んでゆく血の凍るような活劇。タイトルの通り、バイオレンスに彩られた神なき土地に展開する物語である。

 秀逸なのは、行動描写と会話だけで表現する、キャラクター造形である。特に死を目前にした者と、死をもたらす者との間に交わされる、哲学的なまでの会話シーンは、間合いの静寂により、凄まじいまでの緊張感をもたらす。そして理由なく死に至る者たちを見ていると、このテキサスを走るロードノベルの舞台装置そのものが、現代のアメリカ文明にに直列に繋がっていることの異常さに、嫌でも気づかざるを得ない。

 過激な暴力衝動に徹するサイコパス・キラーは、まるでターミネイターのような殺人兵器としてこの国に君臨しているかに見えるのだが、彼の手から逃走するベトナム帰還兵が、神に反抗し、彼らのものを持ち去る。さらにこちらの組織とメキシコの組織、など明晰にではなく銃撃の現場を入り乱れるプロフェッショナルたち。彼らを追跡する保安官を主たる語り部に物語りは幕を開け、そして異常な幕の下ろし方をする。

 全体を活劇シーンの客観描写と会話だけで成り立たせるが、章ごとに、国や時代を俯瞰する保安官の短い独白が混じる。子供たちはどんどん悪くなり、時代はより血やドラッグにまみれ、暴力的になってゆく。正義は無力化されてゆく。そういった傾向の保安官のシンプルな視点から捉われた鳥瞰図と、砂漠でその混沌の中に叩き込まれ、瞬間瞬間の死線を行き交う者たちの10フィート距離の視野との間には、壮大なズレがあるように思えてくる。

 それほど混沌は不条理で、論理性に乏しく、発狂した暴力と、理性のない銃撃の弾薬量だけで語られ、血はポンプのように砂の上に噴出し、炎は何もかもを焼き尽くしてゆく。終章のない物語であると同時に、長い終章は、世界の重心の不在を感じさせもする。

独特の印象深い筆致で、読者を容赦のない修羅の旅に連れ出してゆくこの作家は、実はクライムを発表したのは、これが初めてであり、これまでの作品は『すべての美しい馬』『平原の町』『越境』などで、いずれも青春小説、いわゆる純文学である。コーマック・マッカーシーは90年代を代表するアメリカ作家であるらしい。

 そういうデータなしで、このような作品に接すると、何よりもこの活劇慣れした描写に非常に驚かされるのだが、この作品を機に執筆活動をアクティブに再開しているとは訳者後記の情報である。訳者は、この作品をギリシア悲劇に例えて分析してゆくが、これもまた興味深い。いずれにせよ、90年代の巨匠が、21世紀をどのように切り裂いてくれるのか、クライム・ファンとしては、大きな楽しみができたと言える。

(2007/09/16)