容疑者Xの献身





題名:容疑者Xの献身
作者:東野圭吾
発行:文藝春秋 2005.8.30 初版 2005.9.15 2版
価格:\1,600




 関口苑生氏の書評を北海道新聞にて読むことがなければ、この作品の存在に気づかず通り過ぎていたろう。本書の帯には「作家生活20年・記念碑的傑作」の文字があり、さらに「運命の数式。命がけの純愛が生んだ犯罪」とある。

 純愛小説というには、無骨で地味な登場人物ばかりが絡む、冴えない舞台の、東京下町景色に消え行きそうな、いかにも小さな話ではあるが、先の書評家の絶賛の通り、本書の最後の一行まで凝縮される、主人公の思いの深さには、胸を突かれる思いがする。

 読み終えた瞬間に思い出したのが、ジャン・ルイ・トランテニャンとロミー・シュナイダー主演の純愛映画『離愁』(ジョルジュ・シムノン原作)のラストシーンだ。心を引き裂かれるほどに悲しく、しかし美しいそのストップモーションが蘇ったのは、まさにあのシーンに匹敵する素晴らしいエンディングが、この東野圭吾の乾坤一擲とも言える作品にも用意されているからだ。それこそが、本書をとても強く印象深いものに価値づけているからだ。

 その結末に向けて用意されてゆく仕掛けの数々が、作品全体を、この事件は見かけどおりのものではないと、予告しているように見える。作品自体は、物理学者である湯川教授のシリーズの一作であるが、このシリーズを読まずいきなり本書に取り組んだぼくのような読者でも、十分にのめり込むことができる。

 湯川は重要な役どころだが、主人公は、湯川と同期の数学者・石神である。同じ帝都大出身の同窓が、それぞれに論理の対決を挑んでゆくあたりも見ものだ。ヒロインである靖子、脇を固める刑事・草薙、ヒロインの新たな恋人・工藤、傷心の娘・美里など、深掘りはせず淡々とながら、それぞれの生きた思惑が紡ぐ混乱と交錯とが、ストーリーに光と影を与えては、全体の緊張を高めてゆく。

 とてもシンプルな構造のように伺える単調な話が、実はずっと奥行きを持った世界であることに気づくとき、この作品全体の世界像が、振られた万華鏡のようにがらりと一転する。その力技に込められた男の悲劇を心行くまで味わいたい。生命を賭すロマンティシズムも。劇的なエンディングも。

 今年のベストミステリーを各所でかっ攫いそうな一冊であることを請け合っておきたい。

(2005/10/16)
最終更新:2007年08月27日 21:15