赤い指





題名:赤い指
作者:東野圭吾
発行:講談社 2006.07.25 初版 2006.8.10 2刷
価格:\1,500




 自分の息子が、もし幼い少女を扼殺して、その上、自宅の庭に遺棄して知らぬ顔を決め込んだとしたら、親としての自分は、そして妻は果たしてどういう態度を採るだろう。そう考えるだけでも、果てしなく地獄に近い状況なのに、おまけに家の中には、認知症のボケ老母が徘徊している。

 安部公房の戯曲の中に『無関係な死』(原作は短編)という状況喜劇がある。ある朝、起きてみると自分の家の中に、全然知らない人の死体が転がっている。異常なるその状況をめぐって、主人公が右往左往する話であるのだが、犯人探しであるとか、死体の正体を判明させるであるとか、そういったものとは一切切り離された世界である。無関係な死体の唐突な出現によって、それまでの日常が破壊され、しかも対応に最も困る死体というモノによって、自己の存在までが脅かされてゆく様は、狂気でもあり、喜劇でもある。

 安部公房は観念的哲学的視点による実存主義的戯曲が多いのだが、本当の死体の出現は、この『赤い指』のように非常に重量感を持って地道に時間を転がしてゆかねばならないものなのだろう。

 現実的で避けられない問題が、本書では切れ目なく、波のように押し寄せてくる。中学生による殺人。犯罪の温床たり得るネット社会。少子高齢化の時代が浮き彫りにする認知症介護。夫婦生活の中の孤独。そして何よりも親子という関係の難問。

 引きこもりの息子との親子関係、認知症の母親との親子関係、この二つの親子関係の中に、一つには肉親として一つには他人として入り込んでいる妻というもう一つのギアが、家族という名の世界をまた一捻り、歪ませてしまう。

 誰の家にも起こり得る現実として、被害者の家庭、加害者の家庭が、最近富にミステリのなかでも取り上げられるようになった。かつては謎解きの対象でしかなかった犯罪そのものの現在だけでは飽き足らず、読者も作者も犯罪の爪痕を描くようになった。作品のみならず、メディアは毎日のようにPTSDという言葉とともに犯罪の後遺症を取り上げ、犯罪の発生した根本の理由を問いかけるようになった。

 犯罪そのものの理由がより劣悪なものに変容しつつある現象に加え、犯罪のポテンシャルが、ごく平和な日常風景の中にそれとなく感じられるほどにまでなってきた不穏な時代、ということだろう。様々な書き手や、読み手が、その張りつめた気配を感じざるを得ないほど、現実世界の側の日常生活が不安定で歪み多いものになってきたということだろう。

 宮部みゆきの『名もなき毒』に続き、本書『赤い指』もそのあたりの曖昧な社会不安が表現されたものであるように思う。

 それにしても見事な作品である。昨年の『容疑者Xの献身』に一歩も引けを取らぬレベルのラストシーンが、またも読者に強烈なインパクトを与えてくれる。年々凄みを増してくる作家の仕事振りに喝采を送りたい。

(2006/10/22)