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メタボラ





題名:メタボラ
作者:桐野夏生
発行:朝日新聞社 2007.05.30.10 初版
価格:\2,000




「メタボラ」というタイトルの「メタボ」から想像されるのがメタボリック症候群だから、また肥り過ぎの女が美を求めて狂って行くタイプの狂気シリーズかと思っていた。最近の桐野夏生には異常な女主人公が果てしなく逸脱し、暴走してゆく物語が多いものだから、つい。

 しかし、この作品は、そういう知ったかぶりの読者の全く意表を完璧に突いたものだったのだ。小説家とは、いつでも読者の予想をどんな形であれ裏切らねばならないというのは、職業的宿命だと思っているけれど、本書は従来の桐野観をまたもや覆すような新機軸の作品となっている。

 ノン・シリーズでは徹底して女性を描いてきた桐野夏生がこの作品で取り上げたのは、沖縄を舞台にした男性主人公のストーリーである。主人公は何と記憶を失くしており、森を脱出したところでいきなり、沖縄人青年と出会う。二十歳の主人公と十代後半の青年との出会いから、奇妙な旅が始まる。

 従来の桐野作品に共通するところの、主人公への奇妙な距離感は、形を変えた小説であるとは言え、本作においても継承されている。何となく好きになれない主人公。しかし、陥っている状況を考慮してあげれば、主人公の気持ちもわからないでもないといった独特の距離感である。完全に共鳴にまでは至らない興味本位な読者的視点である。

 やたらに長く感じられるのは、沖縄での二人の旅が、バイト遍歴、滞在先履歴といったもののディテールで綴られているからかもしれない。二人は別れ、それぞれ別の章で二つの世界が展開され、そしてそれは終点でふたたびあいまみえることになりそうな予感に包まれる。

 主人公は徐々に記憶を取り戻し、現在の旅のプロセスのさなかに、過去への旅といったものが挿し挟まれてゆくようになる。正常な現在という沖縄の時間軸とは真逆の方向に、主人公の隠れた部分が顔を出してゆく。

 全体に、現在形の旅の行方は間延びし、沖縄ののんびり感と70年代ヒッピー的漂泊感覚に満たされており、まるで藤田敏八ロードムービーの中の世界のようでもある。そんな懐かしさと、現代の凶器のような冷たい自己破壊とが対比される終盤のコントラストは、救いのなさに満ちており、ある意味とても桐野的ワールドであるように思う。

 ネタに直結してしまうので、使われている小説材料については多くを語らないことにする。でも、そこにはネット世代の、核家族世代の、そして遺伝子的袋小路に見られる、押し込められた鬱屈と諦念に満ちた無常観が、漂っているように思う。だからこそ、彼らを、70年的ヒッピーらの自由で闊達で、他人の孤独を決して放置しておかないおせっかいさと、情熱に満ち満ちた世界で、作者は救い出したしたかったのかもしれない。

 まるでジャームッシュの『デッドマン』のようにも見えるのは、彼らにつきまとう死神の影のせいだろう。ラストシーンは、どこまでも心象にこびりついて離れないだろう。

(2007/08/26)