事変の夜 満州国演義 II





題名:事変の夜 満州国演義 II
作者:船戸与一
発行:新潮社 2007.04.20 初版
価格:\1,800




 『風の払暁』では、張作霖爆死事件を描き、本書では、歴史を大きく屈曲させた二つの事変を軸に物語を進めてゆく。一つは満州事変であり、さらにもう一つは上海事変である。徐々に事件は大味で、露骨になり、関東軍の謀略という文字を超えて、暴走という意味を持ち始める。事変の都度、日本人、支那人、朝鮮人たちの屍の数は増してゆき、より残虐に、より畜生道に陥ってゆく、人の愚かさばかりが目立ち始める。

 交差し合う火線からは少し離れたところで、敷島四兄弟はより主役であることから身を引き始め、狂言語りとしての役割を自覚してゆく。無力と非力に押し潰されそうになりながら、彼らの葛藤は、歴史の黒々とした悪意の元で荒み、虚ろとなってゆく。物語の中で何がやりきれないと言って、彼らの活き活きしていた表情が徐々に失われてゆく様子ほどやりきれないものはない。特に、荒野を疾駆していた馬賊次郎の退廃ぶりが強烈に印象的である。

 日本の政治が荒れ、国策が愚昧となり、人々が野蛮と化して行く。非常に聡明そうに見える支那人の日常が、日本が勝手にもたらす砲火の下でやけにふてぶてしく感じられる。愚かな国が他国にこれでもかというほどの恥を曝し、その踪跡に累々としたかばねを遺す。

 この本を読んでいる途中で、偶然、内地に住む父が逝去した。急逝、と言えるそれは死だった。私が読んでいる満州の物語は、父の行った戦の物語でもある、ということに気づいたら少しどきどきした。昭和6年、このとき父はまだ11歳のはずである。函館で高校を出て、東京で電気通信学校に通い始めたが、卒業は徴兵のために叶わなかった。父は、シベリアに抑留され、敗残の姿で焼け野原の東京へやがて復員する。

 そんな歴史を抱え込んで逝った父の小さくなった屍に死出の旅装束を着せながら、彼の通り過ぎてきた時代を思った。すべての葬儀を終えて、札幌に帰り、途中だったこの本を数日振りに開いた。そこには私の父を巻き込んだ戦争への足音が、響き渡っているようだった。慣れ親しんだ冒険小説作家の文体が、古く消え失せやすい近代の隣国の北辺に材を取って、軍靴の響きを描き取っているのだ。

 この時代の物語は、五味川純平の『戦争と人間』で言えば「序章・運命の序曲」に位置する物語である。戦争を引き起こそうとする謀略。暗躍する大陸浪人や特務班の工作員たち。政治をも絡め取ろうとする満鉄職員らの思惑や、闇に蠢く政治ゴロ。そうした策謀渦巻く満州の大地に、溥儀が傀儡として君臨してゆく。ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラスト・エンペラー』の荘厳な王の悲劇が、私の記憶の轆轤(ろくろ)を掻きまわして、今にも蘇えろうとする。

 すべてがより混沌へと直進する中で私たちが知っているその後の大戦が火蓋を切ろうとしている。次郎が、ふたたび荒野へと旅立ちの支度を始めたところで物語は終焉を迎えてゆく。さらに長い長い物語が敷島四兄弟を翻弄することが約束されている大河小説。どこまで走るのか、見届けなきゃ気がすまない。そうして最後に、父の死に顔に、私は日本の最も愚かだった時代を重ね合わせたくてたまらないのである。

(2007/07/30)
最終更新:2007年07月30日 22:25