風の払暁 満州国演義 I





題名:風の払暁 満州国演義 I
作者:船戸与一
発行:新潮社 2007.04.20 初版
価格:\1,800




 船戸与一が歴史的事実に材を取って日本を描くのは『蝦夷地別件』に続いて二作目。その間十二年の時が過ぎている。さらに題材はスケールアップし、現代の方向に向かっている。船戸与一は、山口県出身者であり、維新以降軍部を主導してきた長州藩独裁の時代が、終わりを告げる時代として満州事変前後の時代を捉えているようである。『蝦夷地別件』が、蝦夷(えみし)としてのアイヌ部族の土地を戦によって征服し立国してきた日本のその後に続く日清・日露戦争への軍事国家的歩みが、いよいよ一藩独自のものから、天皇家を頂いた国家的方向性へと向いた瞬間を、国民の様々な層はどのように生き、どのように求めたのかを描きたかったのだそうである。

 本を開くと、いきなり馬賊たちが満州の荒野を疾駆するシーンに始まる。私が思い出したのは、かつて愛読していた五味川純平の『戦争と人間』である。映画によっても小説によっても、太平洋戦争を様々な切り口から総体で描いた作品は『戦争と人間』を置いて他に無しと私は捉えていた。映画では、匪賊が満州の田舎の村を襲撃するシーンに始まる。西部劇でよく見るインディアンの襲撃を思い出させる。イメージとしては、占領し征服する者たちの論理と、未開発の資源豊富な大地に先住したがゆえに虐げられる農民の姿であり、黒澤映画『七人の侍』のイメージでもある。

 ところが、船戸は農民すらもが穢れに穢れ、関東軍、国民軍との駆け引きの中で、甘い汁を吸おうとする村長などの腹黒さをいきなり嗤い、銃弾の雨を村に降らせては、刃で腐った内臓を切り裂いてゆく。五味川純平の作品も残酷で無慈悲で救いのない訴えに満ち満ちていたが、船戸のそれはもっともっと容赦がない。

 作品の構成は、敷島家四兄弟の姿を、それぞれに追ってゆく。長兄の太郎は奉天日本領事館の参事官、二郎は先に描写した馬賊の頭目、三郎は関東軍法典独立守備隊員、四郎は無政府主義に傾倒する早大生。それぞれがあまりに違う世界で、強烈なコントラストを見せ、そのそれぞれの間を、特務機関員と名乗る謎の密使・間宮が暗躍する。映画「戦争と人間」で三國連太郎が演じた鴫田という工作員が、凄まじい暴力と策謀の印象を残したものだが、この間宮も、いきなりの張作霖爆死事件の実行犯的黒幕として強烈な印象を残す。

 時代がリアルにゆったりと回る中で、四兄弟の生活がこの男一人のために徐々に狂わされてゆく様子が、何とも無力感に満ちて名状し難い。男を動かしているものは、まぎれもなく関東軍という名の国家的意志であり、四兄弟は大きな渦に次第に飲み込まれ、流されてゆくように見える。船戸叙事詩が綴る満蒙の動乱の時代。骨太な物語が世界を揺り動かしてゆきそうな、傑作シリーズの開演である。ぐいぐい読まされるが、一巻目は、まだまだ序の口。この先の大いなる展開を想像するだけで、心臓が拍動を強めてしまう。期待感で心が打ち震えてしまうのだ。

(2007.07.22)
最終更新:2007年07月22日 23:53