挑発者





題名:挑発者
作者:東 直己
発行:角川春樹事務所 2007.6.8 初版
価格:\1,900




 前作『墜落』のきっちり一年後に畝原シリーズとして、このようなしっかりした作品が上梓されるとは、東直己という作家も働きものになった。「札幌に何も事件がないから書けないんだわ」とは行きつけの店の東ファンであるマスターの言葉。そんな年月も確かにあった。「カルト、道警、少年犯罪、札幌だけで書いていくのがきついんだわ」。そう、だから幌加内あたりがモデルになった冬の道北にススキノ便利屋シリーズのほうは舞台を変えたりもした。「英雄先生」なんていう西日本を舞台にしたヒーローも生み出したが、続編はない。

 やはり便利屋シリーズと畝原シリーズが、この作家の愛着あるシリーズなんだろう。便利屋シリーズがどちらかというと軽快でユーモラスなハード・ボイルドで作者等身大の趣味要素を強く感じさせるのに対し、こちら私立探偵・畝原のシリーズは、本格ハードボイルド・シリーズとしてしっかりとした大人のキャラクター造形を行い、社会的経済的にも責任を持てる探偵像へと焦点を結んだ形で続いている。

 探偵小説の持つミステリ性や、娯楽性をしっかり抑えた上で、より卑しき社会を浮き立たせ、世相を切り裂くといった、かつてより探偵小説がハードボイルドという形で写してきた「時代の鏡」たる役割を負わせる作品として相当に意識して続けているのがこのシリーズだと思う。だからある意味、マスターの言っていることは正しい。現実をモデルとして小説は書かれており、現実の素材を使い切ったという印象がある時期にはあったわけだ。

 道警疑惑に関しては、警察背後の底深く暗い闇に関して、エルロイ張りの恐怖に満ちた時空として表現し、われわれ日本の治安の良さを信じてきたお気楽な国民性に対し、強烈な警鐘を鳴らし続けているのであるが、そこには常に過激なまでの暴力描写が連綿とあり続けるわけで、事実、畝原や彼を取り巻く登場人物、家族たちは、常に暴力の危機に曝されている。

不自然なまでに娘の冴香は、何度も攻撃の矢面に立たされてきたし(「流れる砂」、「悲鳴」)。さらに暴力の犠牲になった明美を新しい妻として娶り、もっと黒い暴力のなかで生まれ育ってきた名前のない少女を引き取って幸恵と名づけ育てていることで、家族はさらに暴力の傷痕を癒し、なお守り合う一家という避難所(シェルター)的意味合いを強めている。

 札幌という美しい観光都市の裏側に潜む闇のエネルギー、暴力や殺人に飢えた悪の存在を捉える職業こそが探偵という特殊な追跡者の性(さが)であり、生き様なのだといわんばかりのシリーズだ。

 本書では、幕開けから、新手のカルトの教主を敵に回したことで、執拗で陰湿な逆襲の危機に家族ごと曝される。彼がこの作中で取り組む仕事は、これとは別なところで続けられる。ある夫人に頼まれ、様子がおかしい夫を追跡するが、妻の方はさらに不可解な行動を取り、畝原を混乱させてゆく。一方で、ニュークラブの女王コンテスト候補者たちの身元調査を引き受ける。

 そうした中札幌ではいくつか騒然とした殺人事件が起こり、行方不明者なども身辺に出てきて、それらが畝原の調査と少しずつ関連づいてゆくことで、彼らの危機感はさらに高まる。モジュラー型小説とでも言おうか。数件の犯罪が一つの小説で扱われることはそう珍しくはないが、畝原の周りにはいつも大きな事件が集中しているように見える。探偵とは「人にはススメられない職業」であったり、「もっとも危険」であったり「タフでなければいけな」かったりするものだし、あるいは「卑しき街を行く騎士道精神」がハードボイルド探偵の極意であったりするわけだが、それ以上に畝原の日常を見ていると、「無闇矢鱈に暴力を招き寄せてしまう職業」なんじゃないかと思えてくる。

 スリリングで、吐気を催すようなディック・フランシスばりの悪意に、下劣な殺人手段などをCSIなみに加えた現代風、本当に卑しい街の騎士道物語として本シリーズは今後も続いてゆきそうな気配である。

(2007.07.22)
最終更新:2007年07月22日 23:52