大穴


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原題:Odds Against (1965)
著者:ディック・フランシス Dick Francis
訳者:菊池 光
発行:ハヤカワ文庫HM 1976.4.30 初版 1991.5.31 13刷
価格:\520(本体\505)

本書はフランシスのいくつかの特徴がすべて出揃った格好の、言わばフランシス代表作である。

 まず、のっけから読者をストーリーに引きずり込んでしまう、ショッキングで、容赦のない第一行。この作品では主人公が銃撃を受けた直後の入院シーンで物語が始まる。おかげで主人公が最初から負わせられたハンディキャップ……銃撃を受けて引き裂かれてまだ癒えぬ腹部の痛み……に読者はずっとつき合わされることになる。中でも固形物が食せないためにビーフ・ジュースなるちょっと想像をしたくないしろものを四六時中飲んでいるという日常についても、痛々しいことこの上ない。

そして第二に、主人公が作中で必ず地獄に落ちるような苦痛を舐めるという特徴である。受ける苦痛は作品によって肉体的なものであったり、精神的なものであったりする。この作品での肉体的な苦痛の高さについては、おそらくシリーズ中でも図抜けている。肉体的な苦痛とは、この作品では具体的には拷問のことなのだが、これに耐えうるかどうかということで最終的に精神的苦痛を潜らねばならないから、経路は違えど試練は同じだ。

そして第三の特徴である、悪人どもの徹底した悪意とエゴイズムの凄まじさ。主人公の意識と同レベルとはとても言えないほどにマジな狂気を見せてくれる悪党ども。あまりにもラジカルな動きに当惑する主人公と読者。まさしくフランシス作品を支える屋台骨となるのが、このアンバランスで常に主人公が割を食わされる不利不当な構図である。

 主人公シッド・ハレーは、騎手時代の落馬経験以来、抜け殻同然にその過去の名前だけを探偵社に預けていたため、本質的には名前貸し探偵みたいな空虚な存在であった。その上、肉体的なハンディキャップが追い撃ちをかけるし、敵は複数、自分を援助する者は誰もいない。読者側から見たら、これほど不利不当なゲームはないのである。

 そうしたハンディキャップ・マッチを如何に闘うか。これこそがこの作品の見所であり、シッド・ハレーの不屈さの見せ場である。

そして今第四の特徴は、英国冒険小説ならではの「名誉」という概念。「騎士道精神」と言い換えてもいいかもしれない。現代に生き延びている命より大切かもしれない哲学である。これある故に、主人公らは常に内的葛藤を闘わねばならないし、自己破壊から逃れ、レゾンデートルを獲得するために、最後にはストイックであり続けねばならない。

第五の特徴と言えるものは、まさにこれを一人称の文体で抑制を効かせながら記述してゆく文体の魅力である。自分に都合のいいことはおよそ一言も言わない主人公の表現法に接していると、主人公の語らないほうの側面に自然と眼が向いてゆく。実はその行間の寡黙さを読み取ることこそが、フランシス作品の正当な読み方であるように、ここに至ってぼくは思ってしまうのである。