鷲は舞いおりた


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題名:鷲は舞いおりた
原題:THE EAGLE HAS LANDED
作者:JACK HIGGINS
訳者:菊池光
発行:ハヤカワ文庫NV 1987年12月 16刷
価格:¥620

 さて『鷲は舞いおりた』はジョン・スタージェス(『大脱走』の監督ですね)の手によって映画化されていることでもあるし、今更改めて紹介するまでもないほどに傑作の名をほしいままにした、言わば冒険小説の金字塔である。もし新作を追い求めることばかりにプライベートな時間のほとんどを費やしていて、しかもこういう傑作をまだ読んでいないという方には、ぼくは言いたい。すぐにこの本を書店の隅っこの方(もちろん優れた本というのは書店の翳の部分に眠っていることが多いのである)から掘り出して来て読みなさい。あなたの時間の一部分をこの小説のために裂くのならその時間は濃密で最良の時間となるに違いない。この小説は、そういう読書の最良の楽しみに値する作品なのだ、と。

 ぼくは最初にこの作品を映画から知った。池袋の文芸座で、若い時期、たぶん学生時代に見たのだ。マイケル・ケインもロバート・デュバルも、ましてやドナルド・サザーランドも無反省に大好きだったが、この映画はそれなりに楽しめたものの、いつまでも心の一角に引っかかって残ってゆくような傑作であったとはお世辞にも言えなかった。ドイツ兵の部隊が主軸に据えられている点も『コンバット』世代のぼくにはしっくり来なかったし、色調の滲んだような暗さが映画全体を薄膜のように覆っていて、どうも最後まで納得の行かないものが後味の悪さとともに残ってしまった気がした。

 そしてこの原作小説との出会いは、あきれたことにその10年も後のことになる。書店で最初に何気なく手に取ったハードカバーの『テロリストに薔薇を』がぼくのヒギンズとの出会いだった。邦訳タイトルがぼくの好みだったことが今にして思えば大きい。この本はぼくのこれまでの読書生活を一変させてしまい、ぼくは、とある日を境にして、SFや純文学やミステリーと大袈裟なようだが訣別することになってしまったのだ。ヒギンズがぼくの生活の中に影のように忍び込んでしまった。ぼくはヒギンズを買い漁り、他のあらゆる本に見向きもせず、この作家の本のみを読み通した。『鷲は舞いおりた』はなかなか近所の書店で見つけることができず、八重洲でようやく手に入れることができた本で比較的後のほうで読んだ本だ。(当時はクロネコ・ブック・サービスは愚か、パソコンなんて宇宙人の武器のように思えていたくらいだ。もっともNIFTYはまだその頃なかったんだろうと思う)

 そして冒険小説の醍醐味を知った。本作は歴史上の事実の現実的考証から組み立てられたものであり、なおかつ極めて希な存在であるアイルランド出身の作家でなければ到底発見できなかったかもしれない史実がその焦点に据えられた物語なのである。それは一言で言えば、チャーチル暗殺計画である。この計画はフォーサイスの『ジャッカルの日』に見られるような表だった有名な事件ではなかったし、むしろ歴史の中に埋もれつつあった題材である。ところがチャーチルがアイルランドに赴いたほぼ同じ時期に、同じ場所に、ドイツ兵の一団が上陸していた痕跡が現実にある。クルト・シュタイナーとその部隊の墓が、現実にアイルランドのその地にあるのだ。ヒギンズは、この題材にに取材を積み重ね、蓄え、考証し、遂には空想の翼を添えて、世界に送り出したのである。

 小説ではシュタイナー部隊はウインストン・チャーチルの命にあと一歩というところまで迫る。このこと自体もスリルに彩られてはいるが、読みどころはその壮大なストーリーを繋いでゆく人間性(ヒューマニズム)という糧なのである。ドイツ帝国という非人間的な国家をバックに、あくまで自らの名誉を重んじて散ってゆこうとする男たちの悲しき宿命なのである。この小説の背後には、どこまでもたくましく、決して衰えを見せることのない人間愛が終始貫かれている。ぼくらはそれを感じるからこそ、このような作品を永遠に懐かしんでゆくことができるのである。

 こういう作品は人々の心の中に大きな踏み跡となって残存してしまうし、一過性の忘れ去られる種類のものではない。エンターテインメントと称され純文学から一歩引けをとったように見られがちなこれらの作品のなかにぼくらが優れた芸術性を感じてしまったとしても、これはどうこう言われる筋合いのものではないんだ。ぼくらが本に求める優れた感覚のひとつ・・・・それは<共感>というものだからだ。

(1990.10.30)