鷲は舞い降りた



題名:鷲は舞い降りた
原題:THE EAGLE HAS LANDED ,1975,1982
作者:JACK HIGGINS
訳者:菊池光
発行:早川書房 1992.7.15 発行
価格:\2,000(本体\1,942)

 不完全版(?)の方の感想は思い入れたっぷりに書いたものを発見したので改めて登録。ほっ。 今さらこの作品のことをあれこれいうこともないのだが、再読して気づいた点をぼくも、二、三点挙げるとすれば……。

 まずはこの作品の魅力であるがキャラクター造形に壮大な準備を費やしているらしい,ということ。ヒギンズは多作家で,この作品の前後にも複数のペンネームを用いて多くの作品を発表しているのだが、 どうもこの作品に費やしたエネルギーはヒギンズにとってかなり特別のものだったろうということだ。 マクリーンが『女王陛下のユリシーズ号』に費やしたような莫大な下調べや、 丁寧な描写は、それ以外ではふたたび見られないものだと聞いているが(他の作品は読んでいないので失礼)、 同じようなヒギンズ渾身の作品がこの『鷲は舞い降りた』であることは、 おそらく誰もが認めることであろうと思う。

 作者が特別の熱情を注いだ結果であるそういう作品というのは、 他の作品と比較すれば読者の側からも容易に読み取れてしまうもので、 その完成度の高さこそが,作家のその後の名声をほぼ決定すると言ってよいと思う。渾身の作品が駄目であれば、それは彼の限界だもの。

 そういう意味ではヒギンズの底力というのは『鷲……』の誕生の時には相当世に評価されたに違いないと思う。 これがヒギンズ入魂の作品であるなら、 続く『脱出航路』はその勢いを駆って作られた作品だと思う。ヒギンズ作品の代表作はこの二作に『死にゆく者への祈り』をプラスしたもの、とぼくは認識しているけれど、 『死にゆく者への祈り』は、この入魂の下調べ作業、 壮大なキャラクター造形という複雑な準備作業からは遠く離れた小さき佳品、 という味わいで、ヒギンズの名を高めたもう一つの代表作だろう。 ヒギンズの基本的なストーリーテリングの味は、逆にこうした作品に凝縮されていると思う。

 さて『鷲……』を再読して名シーン、 名キャラクターの多さをけっこうぼくは感じたのだが……。 一つにはチャーチル暗殺の実行部隊隊長であるシュタイナーという、 凡百の作家であればこの人だけで物語を描き切るであろう魅力的なヒーローの、 その陰影のようにして、強烈な虚無感を漂わせて登場するリーアム・デブリンの動きを一方では克明に描いてゆくヒギンズの手腕の凄まじさだと思う。『鷲……』を成功させている一つの重要なファクターはまさしくこのデブリンであり、 彼の意味シンで飄々たる会話であり、 その「頭のおかしなアイルランド人」像は、この暗い時代にあくまでタフな陽気さを提供しているばかりでなく、 『鷲……』世界に物語的な厚みを否応なく不可している。

 また、 追われるユダヤ人少女を救う箇所はぼくはやはり名シーンだと思う。 大戦も勝者が見えてきたこの時期に、まだ一人の少女を救おうとするドイツ落下傘部隊の姿は、 人間のひとつの究極の理想像だと思う。そしてこの行為が、 後々のスタドリ・コンスタブルでの作戦の失敗に繋がり、ヴェリカ神父がどう罵ろうとも、 真っ向から受けて答えることのできるシュタイナーの姿勢へと一貫して導いてゆく点で、 やはりこの作品はヒーロー小説である。 さらに言えばパイロットのゲーリケ、 艇長のケーニヒなど「ドイツのどこから彼らが出てくるのだろう、 あのようなすばらしい若者たちが?」とラードルをして言わしめたヒギンズお得意のヒーロー群像小説である。

 スタドリ・コンスタブルで見つかったドイツ軍兵士の墓には、 そんなシュタイナーの性格は刻みこまれてはいなかったはずだ。 様々な資料のうちに見え隠れしたものが、ヒギンズという一個のヒューマンな作家の、 眼を、そして心を通って、 物語に書き下ろされていった。そこに虚の部分がどれだけ含まれていようとも、 『鷲……』という作品がぼくらに与えた真実の部分は、素晴らしく価値のあるものじゃないだろうか?

 <完全版>で特別に垣間見せてくれるのは最後のエピローグに当たる部分であり、 ヒギンズが訪ね歩いた登場人物たちのその後の消息についてのエピソードである。おやおやっ、と思わせられる点がいくつかあり、これは確かに『鷲は飛び立った』へと繋がっていくようにはなっているのだが……

(1992.08.28)