標的



題名:標的
原題:LONGSHOT (1991)
作者:DICK FRANCIS
訳者:菊池光
発行:早川書房 1991.11.15 初版
価格:\2,000(本体\1,942)

 主人公は新進作家。かつサバイバルの専門家。特に後者のほうはかなり珍しい特技の持ち主ということで、それだけで何冊も作品ができそうな気がする。しかし、この主人公は砂漠や森や海からのサバイバルに関する本を何冊か出していて、その作品を作るために容易ならぬ環境に身を置いてきた経験を有するというもの。山の一種の専門家であるぼくには一種共通する意識があったりするから、冒頭から期待をかけた作品であった。

 しかしペースはいつもの競馬ミステリー。カバーの森の写真や、深い自然に囲まれたこの舞台背景がいつ主人公を罠に落とし入れ、しかも彼の能力を最大限に発揮させてくれるのかと、期待に胸弾ませること頻り。

 と、これがのっけからサバイバリストの本領発揮で、瞬く間に脇役たちの心を捕まえてしまう。そして子供たちを伴っての二度三度のサバイバル・シミュレーションがなんとなくスリリングだ。しかも雨に濡れたヒル・ウォーキングのイギリス絵画的風景が想像され、大変美しく切ない。こういうところ英国冒険小説の王道をゆくフランシスならではの情緒感覚で、ぼくが大変魅かれている点だ。

 最近フーダニットにこだわっているのはよくわかるけど、この作品では謎などは二義的なものであり、むしろサバイバルの神髄を突いたクライマックスがすべてと言ったほうがよさそうだ。なぜこんな平和なイギリスの森ごときで主人公がサバイバルの能力を発揮するのか、となんとなく腑に落ちなかったぼくであるが、作者は主人公にとんでもない過酷な試練をきちんと用意してくれているのである。

 フランシスというのはかなりマゾっ気が豊富であるなあ。しかしこういうのはストイックな主人公たちを描き出すための同じ絵の具のブレンドなのかもしれないのである。過酷さがあるからこそ主人公の単独の闘いがいつも光ってくるのかもしれないのだ。

 こういう作品は本当、シリーズ中でもぼくは好きな方だ。途中、中弛みがなけれさらにいいのだが……。

(1994.04.16)