証拠



題名:証拠
原題:PROOF (1984)
作者:DICK FRANCIS
訳者:菊池光
発行:ハヤカワ文庫HM 1990.8.15 初刷 1991.11.31 3刷
価格:\640(本体\621)

 さて今までの類型で分けると、小道具・職業が面白い小説というパターンに分類されるような作品。主人公はワイン商で利き酒が特技。この話は偽酒とそのシンジケートを追ってワイン商が大活躍するストーリーとでも言えばいいのか。

 同時にもう一つのパターンとして、主人公が最初から背負っている重荷があり、このワイン商は半年前に最愛の妻をまだ見ぬ子と共に失ったばかり。また自分はワイン商を営んではいるけれど、祖父の代々から彼の家系は軍人であり騎手であった。でも彼にはそのような雄々しさの自覚はない。むしろ自分は女々しい男と感じている。フランシスのこの手のパターンとしては、まず重荷か劣等感かが付随することが多いのだが、この作品ではその両方ともがきっちり用意されているわけだ。

 また前作『奪回』に続いて、刑事との合同捜査という点では、シリーズが頑なに守ってきた警察を介入させないというアマチャイズムは、今回もまた見られない。そんなことにこだわってきたフランシスファンには、 また少しがっかりである。『配当』辺りでは、まだ警察は「事件が起こってからでなければ動かないもの」であったし「立件できそうもないものには手を貸そうとしないもの」であった。まさにこれはE・スチュアートの『惨劇の記憶』で、刑事たちがその組織の束縛に内部的に苦しんでいたところのものなのだが、こういう警察の見方は極めて現実的である。宮部みゆき『火車』のように骨折して休職中の刑事が一人の犯人を追ってくれることなどは、やはり夢に等しいような気がするのだ。

  いわゆるそれなりに現実的であったフランシス的英国の警察機構も、ここに来て何度か重要な役を割り当てられてきており、この作品では主人公は警察の助手的な立場である。これだけでも十分フランシス的な土台が崩れ去ってしまっているような気がするのは、きっとぼくだけではないだろう。

 さて、酒好きのぼくにはスコッチやワインの説明はなかなか楽しく読めたし、ラストのアクション・シーンは、前作に続いて派手派手しい。主人公は定番通りにコンプレックスと恐怖とを克服し、男として一段の成長を遂げるのである。小道具に凝ると、ストーリーの方は意外と定型化してしまうのかもしれない。しかしそれにしても、主人公とその店をとりまく環境、客たち……これらへの馴染みやすさ、読者としてさえ感じてしまう情愛と優しさの数々……という点ではフランシスの小説はいつもながら群を抜いている。これだけでももしかしたら十分に読むに値するのかもしれないほどに、である。

 しかし、たまらない原題であると思う。

(1994.02.06)
最終更新:2007年07月15日 23:15