障害



題名:障害
原題:RISK ,1977
作者:DICK FRANCIS
訳者:菊池光
発行:ハヤカワ文庫HM 1982.7.15 初刷 1990.11.30 6刷
価格:\520(本体\505)

 派手な展開の話なので、フランシス世界ってどういうの? または競馬シリーズってどういうの? と聞かれた時に、答えの一つとして用意するにはおあつらえ向きの本であると思う。監禁に次ぐ監禁。苦難に次ぐ苦難。それらが半端じゃありません。意外な黒幕がいて、素敵なレース・シーンがあって、いい女たちとの恋があって、と大変なサービスぶりを発揮した一冊となっている。

 前に、単細胞さんとの論争を展開していた時に、フランシスの主人公たちは、防ぐべき敵の攻撃をあらかじめ防がないから単細胞さんは好きになれない、というのがあった。その手の男の行動原理への不可解はわからないでもない。全力を尽くして敵に立ち向かわない、という意味では、本書は典型的な不可解な主人公であるかもしれない。それでもこの主人公こそが、その不可解への一つの回答だということができそうな気配でもあった。

 主人公と本当の意味での友情を結ぶことのできた中学校長ヒラリー女史の主人公評の一言がそれである。「悪意で自分を利用する者に善意を尽くす」。この小説では主人公の受ける苦難を考えると、それは悪意なんていう生やさしいものではなかった。それでも主人公は善意を尽くそうとするのである。

 フランシス小説で最も頼りない存在は? と聞かれたら、だれもが警察を思い浮かべるであろうと思う。主人公は概して警察の手に悪人らを売らないし、密告をしない。主人公は基本的には、忠告し、反省を促し、相手を立ち直らせようとする。敵を倒す存在でありながら、敵にとっては忘れ難い印象を残す存在である。敵にとって決して到達し得ない、敵の中の良心みたいな存在である。フランシスが描こうとしている主人公ってこういうことだったのではないだろうか? だから彼らは敵を倒すことには一義的な意味を見出さなかったのではないだろうか?

 この本の主人公は公認会計士であるけど、同時にアマチャ旗手で、障害レースに挑む。フランシス小説の主人公に多いパターンであるとは思う。しかしこのパターンと言うことも、かなり重要である。公認会計士と言えども、経済生活を度外視した障害レースに一方の価値基準を確実に見出しているような男であるからこそ、彼はフランシス作品を成り立たせる規範でありうる。フランシスが元障害旗手であったからこそ、このような損得を度外視した価値基準を描くことができる由縁だ。

 この本で、ぼくは目から何枚か鱗が落ちたような気がした。いろいろ不可解であったフランシス作品の主人公たちの規範が、また少しだけ自分の中で解明された気がする。彼の小説が優れて心を打ったり、常に主人公の生き様に最大の価値が捧げられていることは、フランシスに取り組む場合再必ずや認識すべきであると思う。

(1993.03.27)
最終更新:2007年07月15日 22:58