罰金



題名:罰金
原題:FORFEIT (1968)
著者:Dick Francis
訳者:菊池光
発行:ハヤカワ文庫HM 1977.1.15 初版 1990.10.31 8刷
定価:\520(本体\505)


 【ネタバレ警報】

 この小説は状況設定そのものが一種のネタであるため、大きなネタバレとは言えないけど、これから話すことから一応読書の興趣を削がれるかもしれないので、未読の方は注意して戴いた方がいいかもしれません。もっとも推理小説などのトリックばらしとは違って、「肝心要のネタをばらしてしまう」というニュアンスのネタバレはないつもりです。「こんなネタが知れてたからと言ってフランシス作品の価値は下がるまいよ」とお考えの方も多いかもしれません。しかし逆の向きの方にはご注意申し上げておきます。

 さて前作は寄り道だったけど、またフランシスの元の王道に戻った感がある本作品。テーマはこれまで繰り返し使われてきた<脅迫>とこれに屈せぬ<正義>。主人公ジェイムズ・タイローン、通称タイは三流新聞記者。しかも日本なら『東スポ』をイメージさせる新聞で、一般紙に較べたら格の落ちる記事を扱わざるを得ないようなしがない競馬専門記者である。

 前作で自殺願望を扱ったと思ったら、本作では全身麻痺の妻という非情な重荷を背負った主人公。積み重なる不倫の日々。そうした主人公の現実を、敵役たる詐欺チームが脅迫材料に使い、暴かれつつあるスクープを止めようとする。本書はこれだけの小説であると場合によっては言ってしまえる。実にシンプルな構成。しかしこれだけで十分興味深い状況はできあがっているのだ。

 状況設定だけで物語をスタートできる傑作作品というのがある。映画『天国と地獄』の原作であるマクベイン『キングの身代金』がそうだった。フォーサイス『悪魔の選択』がそうだった。ハンター『真夜中の向こう側』がそうだった。だんだん例えの方ばかりスケールアップしてしまったが 、この作品『罰金』もそうした意味で第一級の状況を醸し出した上で、ストーリーを上手に滑らせているように思えた。

 だから緊迫感があるのは当然だが、それ以上に生活状況のリアルな危機として、本書は胸底を深く突いてくるヒューマンなドラマにもなっている。男女間の性を抜きにした愛、という実験場にもなっている。ぼくには結末の付け方がちょっと安易であったような気がするのだが、それ以前のクライマックス・シーンでは実はすっかり眼が潤んでしまったのである。

 妻は<鉄の肺>を装着せねば生きていけない。<鉄の肺>は人工呼吸器の一種で肺を外部から膨らませるポンプのようなものだ。彼女の苦しみがこの作品の重みに繋がっているし、真相を知ったときの不倫の恋人の苦悩もまた、実に人間的で悲しく美しいのである。ああ、やはりこのシーンは泣けるぜ。

 人が本にどのように感情移入するものかぼくは知らないが、ぼくにできることは、本を少しでもぼくの側に引き寄せて読むことである。だからぼくの積極さに応えてくれる本との出会いはそれだけで共鳴ができるのだ。読書は個人的な体験だが、多くの読者の共感を呼ぶ(あるいは逆に隔たりを実感させられる)媒介でもあると思う。人という音叉を打ち鳴らす金槌なのだ。チューニングの合っている者同士だけが共鳴するわけで、全員が同じことになるわけではないと思う。ただ作者と共鳴するケースがぼくの場合は比較的多いように思う。作品をぼくの側に引き寄せて読むというのはそういうことだ。客観的で相対的な感想はぼくはきっとあまり抱けないのだろうとも思う。こういう本を読むと、そのことがとてもよくわかる。

(1992.05.01)