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偽装者



題名:偽装者 (上・下)
原題:ASSUMED IDENTITY (1993)
作者:DAVID MORRELL
訳者:山本光伸
発行:早川書房 1995.1.31 初版
価格:各\1,700(本体\1,650)

 この作家の一方の名シリーズ、ドルーとソールの三部作は、シリーズ化して続編ができるものと期待していたのに、いっこうにその気配がなく、中程度のスリラーを書いてお茶を濁しているのがこのマレルという作家だと思う。もちろん『螢』はある意味ですごいドキュメンタル・ファンタジィなんだけど、 スリラーの方は、『螢』以前とは少し変わってきてしまったような気がする。

 この作品もそういういみでは以前のような悲壮感がなく、スパイとして偽装生活を持ち味にして他人を演じ続けた主人公の、自分を求める心理描写に終始している。こう書いて見ると、もともとマレルの小説は自分を求め探し続ける旅であったような気がするが、何というか、この心理描写が少しばかり表層的に過ぎる気がして何とも迫力不足の感をまぬがれないのだ。

 インカにまつわる巨大な何かをプロローグで示唆しているにも関わらず、この作品ではインカの部分なんてほんの少ししか出てこない。出てきてもおどろおどろしい描写で悪趣味としか言いようがなく、こういうのを船戸与一あたりが読んだら壁に投げつけそうで怖い気がする。

 もちろんインカの部分が出ようと出まいとぼくは全然構わないのだけど、ほんとんどは多重人格ものを少しすりかえた程度の新しみの薄いスリラーという感じで、そうだとしたらあの種のプロローグは大袈裟なのではないかと、そのアンバランスさにがっくりしてしまうのである。

 マレルの小説特有の残酷さは相変わらず局所的に見られるのだけど、以前のような読者の共感を抱え込んでしまうような主人公の悲壮感が、復活してくれる日を、これからのぼくは望むばかりである。

(1995.02.25)