真実の行方



題名:真実の行方
原題:Primal Fear (1993)
作者:William Diehl
訳者:田村義進
発行:福武文庫 1996.9.10 初版
価格:\890

 かつてはディールが新作を出すと、周囲ではそれなりに大騒ぎして喜ぶ姿が多々見受けられたのだけれども、かく言うぼくでさえ、こうした作品が一年以上も前に出版された事実すら知らないでいた。デビュー作以来、ディールは角川、というイメージがあったので、このシリーズの福武・徳間というめまぐるしい版権の移行は、日本人読者にとって意表を突かれただろうし、ディールにとってもこのマイナーな版元への移行は不遇だったと思う。

 もともとディールという作家は、スパイ・冒険小説方面での大家である。その中で『シャーキーズ・マシーン』『フーリガン』の二作だけはかろうじて警察小説だったわけだけれども、スケールとしては、他のそのジャンルに比してかなり大きな方だったと思う。本書のように、ある町の一つの殺人事件を追うというようなプロットを書く作家というイメージは、これまでのディールにはどこを探してもなかった。むしろスケールアップしていった嫌いがあった。言ってみれば、ラドラムが数年経ってエルロイになったようなものなのだ(この譬えは少々大袈裟過ぎるかもしれないけれど)。

 しかもこの小説は、ジャンル分けすれば法廷ものというよりは、まさにサイコ・ミステリーではないか。それも半端ではなく、きわめて出来のいい、本来なら『このミス』や『文春』の年間ベスト選を騒然とさせるに値するような逸品ではないか。ディールにこの手の才能があるとは、いったい誰が予想し得たろうか。

 元々、ディールの十八番(オハコ)は人間描写であった。かつてより、一癖も二癖もあるような男女の個性を惜しげもなく描写し分ける力が、この作家の魅力といってもよかった。そして独特の優れたストーリー・テリング二三年に一作というペースでの力作主義。そうしたすべてが、どちらかといえば、テロ系の小説に注がれていた。

 それがこの一作でがらりと姿を変えているのに、まず驚いた。サイコ色の濃い法廷もの。法廷ものとはいえ、法廷シーンはラストの一割にも満たない分量で、どちらかといえば、法廷に持ち込むまでの前捜査過程のほうが緻密に描かれてゆき、その中で、ぼくらは人間心理の闇に仕舞い込まれた恐怖に近づいて行く。それは地獄への旅であり、この強烈さには最後まで気を許すことができない。

 もちろん人間の個性分けも相変わらずすばらしく、プロットの緊張感は、まさにディール以外の何者でもない。「エンターテインメント」の神様と呼んでしまいたくなるほどの強烈な面白さなのだ。

 ラストのどんでん返しにしても、インパクトが強烈に過ぎる。これが三部作であるからかろうじて許容できるプロットだと言える。本心を言うと、シリーズを立て続けに二冊読むことができてよかった。ぼくは、次作『邪悪の貌』を入手して一作目の存在を知ったから、こうして立て続けに読めたのである。

 しかし、一作目の本書を手に入れるのは実は容易ではなかった。そこらの書店に福武文庫は置いていなかった。この作品が映画化されていることはなんとなく知っていたものの、まさかそれがディールの作品とは夢にも思わなかった。ディールという希有に優れた作家の新作を、ここまで見逃してしまっていた自分を恥じるのみです。

(1998.02.01)
最終更新:2007年07月15日 18:34