ガラスの暗殺者





題名:ガラスの暗殺者 上/下
原題:Requiem For A Glass Heart (1996)
作者:David L. Lindsey
訳者:山本光伸
発行:新潮文庫 2000.3.1 初版
価格:上\540 / 下\590

 リンジーにしては外れ。ぼくの基準のリンジーに比べ、高さが足りないと言うよりは、ベクトルが違うかなといったところ。

 少なくともこの作家にゴシックされてしまうと、ちょっとぼくは着いてゆけなくなる。もともと高い文学性を感じさせる作家ではあるけれど、スチュアート・ヘイドンもの以外であっても、あくまで捜査・追跡がやはりこの作家の真骨頂。

 スパイもののようなデリケートなストレス下の状況では、この作家の持つ微細さ、神経質さは、正直娯楽小説としてはあまり楽しくない。他の言葉で言い替えるとつまり面白くないのである。国際スパイものなのに無理やりテキサス州ヒューストンに結びつけてゆくというのはこの作家らしく強引でいい試みだけれども。

 女性主人公ものは『悪魔が目をとじるまで』以来であるけれど、あれはあれでサイコ・ブームの最中だったからそれなりに話題になった。前作の『噛みついた女』(タイトル、何とかしろって気がする)はややサイコ・ブームには早過ぎた登場だっただけに。

 しかしこの作家のマイ・ベストはサイコではなく、ぼくにとっては『殺しのVTR』であり、『狂気の果て』である。あのような刑事物を逸脱したようなヘイドンの国際冒険小説は、この作家の見え切れないスケールを感じさせてなかなか豪快なものがある。

 上巻は長い序章、という感じ。何だかフリーマントルの国際暗殺者ものを読んでいるみたいな気分にすら陥る。そのヒロインたるや美人暗殺者ではあるののだけれど、何しろ母であり女である暗殺者とは珍しいのではないだろうか。そうなると心理描写は男以上に複雑怪奇であり、少々かったるさを感じざるを得ないところなのである。暗殺者と言いながらいつも主導権を取れないというシチュエーションも何だか辛い。ロバート・フェリーニョのほとんど病気のような殺し屋たちの方が、ぼくにとってはずっと魅力的であるぞ。

(2000.05.04)
最終更新:2007年07月15日 16:58