拳銃猿




題名:拳銃猿
原題:Gun Monkeys (2001)
作者:ヴィクター・ギシュラー Victor Gischler
訳者:宮内もと子
発行:ハヤカワ文庫HM 2003.02.15 初版
価格:\840




 「パルプ」という言葉はいわゆる蔑称であるし、それには「B級」という意味も当然込められている。「パルプ」というのはつまりは紙の原料であり、紙の上に印字された物語などははなから相手にされていないというところまで貶められたアメリカにおけるある種の大衆向けの出版形態である。

 でも今「パルプ」という言葉には様々な付加価値が付いている。「パルプ」という言葉に重みを与えたのが古くはダシール・ハメット。つまり「パルプ」と「ハードボイルド」は書籍出版の歴史において(あえて文学史とは言わないでおきます)、兄弟姉妹のように切っても切れない言葉なのだ。

 その一方で「パルプ・ノワール」という言葉までが登場するのは、「パルプ」のB級+裏稼業の破滅的小説みたいなかたちでの「ノワール」が合体したものだろう。しかし、最近使われなくなったけっこう堅固な用語に本来は「ピカレスク」という用語がある。本書『拳銃猿』は明らかに「パルプ」的色彩が強く、コミックになってもおかしくないほどのノンストップ・ガンファイト小説でありながら、やはり最も似合う言葉は「ピカレスク」だろうなあと思ってしまう。

 『悪党パーカー』シリーズなどもいわゆるピカレスク・ロマン。最新で有名どころでこの「ピカレスク」が用いられたのはシェイマス・スミスの「Mr.クイン」だったように記憶しているが、この「ピカレスク」を安易に「ノワール」に言い換えてしまう昨今の風潮にぼくはどうも抵抗を感じる。「ピカレスク」では破滅する必要もないし、暗い必要も全然ないのだ。

 本書『拳銃猿』は、悪党によるガンファイト・シーンで綴った、仁義と死闘の物語だと言えるけれども、同じようなベテラン・ガンマンを主人公に据えながら、やはりジョゼ・ジョバンニの「おとしまえをつけろ」のような暗黒小説的な部分は見られないし、より明るくよりポジティブ・シンキングで、よりアメリカ的、より開拓精神に溢れた自立の物語である。

 非常に古臭い任侠道を生き、冷酷な血と暴力に手を染めながらも、身内や家族にはたまらなくハート・ウォーミングなアメリカ・ヤクザの生きざま、その闘いのヒストリーといったいわゆる日陰にしては明るく、タフな物語なのである。退屈するシーンの全然ないジェットコースター・ガンファイト・ノヴェルとしては驚くべき成功を遂げている一冊だと思う。

(2003.06.06)
最終更新:2007年07月15日 16:19