1974 ジョーカー




題名:1974 ジョーカー
原題:Nineteen Seventy-four (1999)
作者:David Peace
訳者:酒井武志
発行:ハヤカワ文庫HM 2001.7.215 初版
価格:\900



 変った出版だと思う。東京の新小岩在住の英国人が、ジェイムズ・エルロイに傾倒して自らも作家をめざし、ノワールを書き、英国の出版社と契約して出版に漕ぎ着けた。そういう前書きがまずあって、それだけに逆に怪しげではある。

 だが世界を標的に書くことのできる英語という言語で、英国を舞台にしたノワールを出版し、エルロイを自ら継承しようという32歳(出版当時)の青年のトライであることは間違いない。

 体言止めの文体の羅列や、書かないことによるイメージでの表現、多くの暗喩等々、エルロイを模倣した部分が目立つ。しかもこれは英国の1974年に始まり1983年に至るヨークシャー暗黒四部作のスタートに当たる作品だと言う。二作目『1977 リッパー』は既に翻訳されているし、四作目も既に完成しているのだそうだ。

 以上、話題性だけ追えばそれなりに興味を持って然るべく作品でありながら、何となくぼくには判断を下し難い。まずエルロイの模倣であり過ぎること。日本で馳星周がエルロイに強く影響を受けたように、D・ピースも色濃い影響を受けたのだと思う。しかし文体、題材、展開、テンポ、リズムまでもが、ここまで真似されていると、本家と比べてどうかという話になる。しかしそうなれば、どうしたって本家をその道で超えることはできないように思える。最初から限界のある文学の道を歩んでいるように。それ以上の動機が作者にも主人公にも必要であるように思える。

 そういう意味ではなぜこの作品の主人公が新聞記者なのか。彼は一体何者なのか? 一人称の文体で単眼的に進められるストーリー展開による世界の狭隘さが、エルロイの持つ世界の広がりとの距離感を感じさせる。なのになぜ彼なのかは、ぼくには最後までわからない。狂言回しならそれらしい生き様があるにも関わらず、あくまで探索者であり、その動機だけが最後までわからない。

 では、この作者の動機は? 書きたいというただ一つの欲求が書かせたと本人は前書きで言っているように見えるが、エルロイのマニアだから真似をしたいと言っているようにも見えてしまう。模倣者の限界点というスタンスに最初から立っている作家? どうもよくわからない。

 ストーリーは錯綜していてよくわからない。混沌とした時代の異常な犯罪と欲望と暴力が詰まった状況が読者に差し出されているように見えるし、それをこの作者の文体で味つけしているように見えるし、こうした世界の構築で作者が満足しているようにも見える。わからないのは、作者自らがこの作品を最高のノワールだと宣伝していることで、もっとわからないのは、この作品を越えるのは『1977 リッパー』しかないと次作を宣伝していることである。

 登場人物が多過ぎて、覚え切れない。分厚い本の割に、かなり読みやすい短い文体なので、リズムよくあっという間に読める。この読む速度に、内容の密度が追い着けない。数十時間経つときれいさっぱり忘れ、思い出せない物語であるようにも思える。では、なぜ作者はこの手法でこの作品を書いたのだろうか? うーん、やっぱり、エルロイ……?

(2001.11.11)
最終更新:2007年07月15日 15:39