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荒ぶる血





題名:荒ぶる血
原題:Under The Skin (2003)
作者:ジェイムズ・カルロス・ブレイク James Carlos Blake
訳者:加賀山卓朗
発行:文春文庫 2006.4.10 初版
価格:\762



 どうやらこの作者の作品は、互いに同じ時代、同じ地平で繋がっているらしい。もちろん一作一作は別の物語だが、1920年代の禁酒法時代、メキシコ国境に近いアメリカ西部、延々と広がるタンブリグ・ウィードとメスキートの荒野、広大なまだ野生多き土地を舞台に、荒ぶる魂たちが、未だ硝煙の香り漂う銃を握り締め、乾いた砂に血を沁み込ませている光景こそが、ジェイムズ・カルロス・ブレイクの確固たる世界のようだ。

 前作でも登場したという、ガルベストンを支配するマセオ兄弟。そのトップガンである殺し屋、ジミー・ヤングブラッドは、一方でメキシコ人との混血青年でもあり、その血にはメキシコ革命時代のパンチョ・ヴィジャの右腕であったロドルフォ・フィエロの遺伝子が、紛れもなく流れている。フィエロの物語は、また別の場所で、同じ作者が一冊の作品として書いているらしいから、こちらの邦訳も待たれるところだ。いや、いずれも繋がりの深いこの作者の作品は、すべてどれもこれも邦訳してもらいたい。

 そう思わせるほどに、この作家の手になる血の叙事詩は、日常生活に紛れ込んだ、どこか人間の原点であり、本能であり、カルマであるところの何ものかを、確実にうずかせる。筆力というだけでは足りない、語り部の才能をふんだんに有したこの作者の世界は、見覚えのない原初的な荒野と、灼熱の野生が生む論理に統べられた世界へ、ぼくらを連れ出してくれる。

 前作『無頼の掟』は、犯罪者である一族の、カルマに流されるが如き、血と暴力の旅譜であった。男たちも女たちもタフで魅力的で、互いを愛おしみ、徹底的に強く結ばれていた。外界に向ける負のエネルギーは、内に向けてはこれ以上なく深い情として注がれる。ノワールの原点をゆくような物語でありながら、追跡者である側の老保安官の奇怪な殺人鬼イメージが強かったせいか、善悪の彼岸で、作品の価値観はいつしか日常とは逆転しているかに見えた。

 本作は前作のノンストップ・アクションを熟成し、落ち着きを取り戻しながらも、独自な死生観に基づいて、さらに深化した作品であるように見える。

 革命の火の粉の中から降り落ちた殺人者としての種子が、一つの殺しの才能、狙撃者の天分として、ジミーという青年に引き継がれる。ジミーは悪の手先であり、ガルベストンの秩序の執行者である。同時に、燃え上がる恋情を抑えきれず、仲間たちとは家族づきあいを欠かさず、酒を飲んでは心を通わせ合えるよき友として、あるべき青春を謳歌する純心をも抱え込んでいる。

 稀代の悪党として命のやり取りを日常的にこなしながら、その非情にも関わらず読者の側の静かな共感を得てゆくこの小説の存在が、実は不思議である。どんな種類のサイコ殺人者をも憎んでゆくことができるのに、非情の殺し屋を大抵はどうして憎めないのか? 書き手次第で、人間は、異常な論理や稀有な感性に抵抗なく溶け込んでしまうことができるということなのだろうか。

 エピソードの積み重ねで構築してゆく壮大な叙事詩的ストーリーは、重く、長く、そして丹念この上なく、生き生きと描写されてゆく。前作でも見られたけれど、われらがヒーローさえ知らない非情の追跡者による危険かつ暴力に塗れたシーンが時折挿入される。それは、読者を、やがて来る破綻の気配に震撼させる。壮絶な血のクライマックスの予感に。

 想像される以上に激しい活劇を、作者は約束する。彼らの悲劇と、それに対する意外な楽観が、全体を通してちぐはぐに思える。かつてのウェスタン映画を見るときのように、ぼくらは不知の価値感に当惑しつつも、魅き込まれる。読者の理解を拒むほどに独自な世界観で生きる男たちの、違和感だらけの決断が、なぜか絵としては自分の中でフィットするのだろう。とても不思議な感覚だ。


 日常から極めて遠いところにある時空間での壮絶な物語だからこそ、読者にとってのカタルシスの最たるものなのか。そう感じる方ならば、きっと思うのではないだろうか。こんな物語なら何冊でも読んでみたい、と。彼らの凄絶な生き様に。その密度濃く困難な運命の展開に、没頭してみたいと。

(2006.04.30)