墜落




作者:東 直己
発行:角川春樹事務所 2006.6.8 初版
価格:\1,900

 ハードボイルドの創生期において、ぼくがよく感じていたのは、悪党が悪党でないな、ということだった。サム・スペードやフィリップ・マーローが闘うべき相手は、多くは、性格の弱い金持ちであったり、金に困った小市民であったり、女に騙された優男であるか、縄張り争いや跡目争いにけりをつけたがるヤクザの幹部であったりした。その悪さたるや、今の東直己作品に比べたら、まるでナイチンゲールかムイシュキン公爵みたいなものである。

 悪はそれだけ手に負えなくなってきた、ということなのだろうか。この日本で、この札幌で、この現代で、ということなのだろうか。それとも、ハードボイルドがこれまであまり書かなかった悪こそが、より裏側深い闇の奥で連綿と続いてきた全く別の血の異常史の上になぞられてきたものなのだろうか?

 シリーズ前作『熾火』のラストシーンは、平凡な日常を離れ、平凡な色欲や物欲を離れ、もっと異常で、乾いて、理解不能な、別惑星の機械による、暴力へのただ単純な性向だけが、犯罪の形として提示されてしまった。それも別シリーズの二作までをも序章として絡ませた、作者としては異様な身の入れようで書かれた題材であった。

 道警がらみの闇の奥深さだけであれば、まだ読者として太刀打ちもできたのだけれど、ここのところの東作品の探偵たちは偶然とは言え、あまりにも鬼畜の世界、修羅の時に出くわしてすぎているという気がする。

 しかし東作品が予言したわけではないのだろうが、現代の日本を賑わす猟奇事件の数々は、まさに色欲や物欲を超えたところの鬼畜の世界、修羅の時を現出しているものであることも、確かに否定しきれないのだ。本書に登場するリンチ殺人は、まさに手軽に仲間を殺してしまう若者の集団狂気の世界であり、これが現実に起こり得たことは、ここ数年の文化の地平では、あまりにも印象深く実証されてしまっている。

 この手の現代的な(?)理解不能な悪への怒りが、東直己という書き手の根底にあるだろう。この物語の場合は、守るべき娘を3人、妻を1人抱えた私立探偵の恐怖と不安に形を変えた怒りでもある。東直己は、殺人現場には出あわさないまでも、すすきのの夜の底で、多くの殺人鬼予備軍と呼べる、異なった価値観の人種に危険の匂いをあまりに頻繁に感じ取っているのかもしれない。

 しかしだからと言って、殺人者が統計学的にこれほど沢山身の回りに存在する状況ということに関しては、正直そのまま納得するわけにはゆかない。ましてや一人の探偵の行動半径内で、かくも多くの殺人事件が発生する確率といってしまえば、いくら小説の世界でも異常だろうと思う。連続殺人事件ならばまだしも、複数のモジュラー型犯罪は、87分署のような警察捜査小説であればともかく、一人称の私立探偵小説としては少し異例すぎはしまいか。

 ちなみにミステリーとしてのトリックについても、本書のそれは極めてリアリティに欠ける(ネタバレになるので詳細は書きません)。プロットのダイナミズムを優先し、サービス精神に走りすぎたゆえに、トリックそのものにまで無理をかけ過ぎたかと思われる。

 他のミステリー大家が同種のトリックを作品の骨子にしたときに、いかに綿密に手をかけていたかを思うと、あまりにエンターテインメントを意識しすぎ無理をやりすぎると、せっかく重みのあった本シリーズの価値も急落するのではないかと、つい心配になってしまった。

(2006/07/17)
最終更新:2006年11月23日 21:56