熾火




作者:東 直己
発行:角川春樹事務所 2004.6.28 初版
価格:\1,800

 東直己を大変好きな行きつけの居酒屋の主人が最近の三作を批判する。すべてにおいて以前書かれた短編を集めただけというのが批判の焦点である。以前書かれた短編というのがどの作品を表わすのかという点までは検証ができていないのだが、いろいろな複数の小説題材を確かにごちゃごちゃと縫い繕ったような印象があることは否めないと思う。

 特に『悲鳴』以降、作者は札幌での小説材料に枯渇しているのではないか。かの読者は焼き鳥を焼く炭火の煙の向こうからそう指摘する。札幌だけでハードボイルドの大きな題材を扱い続けるということへの無理。そうしたものを作者も読者も感じ始めているのではないかと。

 本書では、前半の最初の下りで、これまでの二作で起きた事件のあらましを本流のように語ってしまう。こうして整理されると改めて、札幌の闇に潜むのは北海道警察という現存の権力でありその巨きさであるというようなことも感じられるのだが、短編小説を集めたような……と思われるのは、必ずしも道警だけに焦点が合った物語というわけでもなかった、というところだろう。

 女子高生柏木という存在の異常さもさることながら、本書で登場するサディストはあまりに唐突な気がしないでもない。前作『駆けてきた少女』で取り上げられたヤクザ者の去勢ショーは、これはこれで独立した話だと思う。また埋められた若者や、彼らに殺された若者、魔性の女と言われる婦警の存在。北海道に流れてきたキャリアの隠遁姿。さらに居残正一郎という架空のジャーナリストとその反権力的出版活動。本当によく詰め込まれている、いやよくぞ詰め込んだと感心したくなるほどの面白題材に事欠かない三部作であったわけだ。

 それだけに本書が独立した一篇の作品だなどとはとても思えず、居酒屋のご主人のような愛読者の目には、東直己、苦しんだりという姿に映るのかもしれない。

 だが、これだけの題材をてんこ盛りにして、なおかつ短い期間で主人公を変え、シリーズを変えつつも、三作を上梓したこの力業に苦しさだけを感じるわけではないのが、多くの東読者の心境なのではないだろうか。

 東直己のコラムを寿郎社のホームページで読んでいるとこの作者が非常に反骨精神と正義感の塊であることがわかる。そしてそれを笑い飛ばす胆力と、その底に見える無力感も。本書を読んでいて最初のうちは主人公がススキノ便利屋のようにも作者分身のようにも見えて、目が霞んでくる思いがしていた。畝原という探偵の存在以上に作者の思いが乗り移りすぎて、作品が重くなってゆく。

 確かに多くの決着を本書で見る。この作品の本当の主人公は救いのない闇、あるいは姿のない巨大な権力、あるいは魔に吸い寄せられるようなこの時代、等々ではないだろうか。まるでエルロイのLA四部作を見るような、札幌。経済破綻を背景にして巨大な獣ばかりが弱者であるピュアな道民を貪り食う構図が見えてくる。そんなやりきれなさと憤りと、二つの思いに挟まれて、道民であるぼくは畝原や便利屋のまなざしに、時折りフォーカスを合わせてゆくしかあるまい。

 こんな話をしに、ぼくはまたおもむろに行きつけの居酒屋に出かける。読者である酒場の主人と、客である編集人。ぼくは東作品に、北海道の闇の底に、この先も目を凝らし続けることだろう。