危険なやつら



題名:危険なやつら
原題:The Shark-infested Custard (1993)
作者:Charls Willeford
訳者:浜野アキオ
発行:扶桑社ミステリ 1996.02.29 初版
価格:\600

 あんまり巡ってこない2月29日という日にわざわざ発行日を持っていったのは、日常とか常識とか言ったレールから敢えてはみ出してゆくようなズレた感覚を持った本書のような作品にまつわる洒落の一種なのだろうか? そう、うがちたくもなるほどにオフビートという言葉が似つかわしい一冊。ある種デカダンで刹那的な男たちの奇妙な物語だ。

 タランティーノが自分の映画はウィルフォード似だと豪語するように、確かにこの小説の感覚はメインストーリーからの脱線感覚が全編を貫いている。その倦怠に彩られた全体像を、時折り何かのジョークででもあるかのように銃撃が唐突に流れを断つ。このリズムは確かにタランティーノ映画のそれにとても似ている。

 四人の男たちのそれぞれの生活が営まれてゆく極々普通の描写。そして彼らがいろいろな形で交錯し、抱えている問題を共有したり、秘密に解決したり、結論を出したりしてゆく現代的で、皮肉に満ちた日々。それらを独特の距離感で活写してゆくのがこの小説の基本技法。日向と日陰が交互に現れるストロボ効果によるモノトーンの陰影とでも言うべき強烈なコントラストが、作品に気ままかつ独自なテンポを投げ与えている。

 一つのシーンのすぐあとに無関係な違ったシーンが続いてゆく。断ち切られた時間のワープ感覚。まるで田舎風キルトのようなカラフルな作りにしても、まるで『パルプ・フィクション』、『レザボア・ドッグス』みたいに、一人一人の物語を積み重ねて全体像を徐々に見せてゆくタランティーノ・イメージにとても似ている。シーンの切り貼りと積み重ね。どうにも噛み合わない会話と会話が快感に変る奇妙な一瞬。不協和音であるからこその心地よさ……。

 ある種、天才的な風貌を備えているかのような作品。まるで縫い合わされたフランケンシュタインみたいな。

 作者の死後に刊行されたが、生前に作者がこれは傑作だと言ってのけただけのことはある。哄笑に閉ざされつつ、この怪作を読み終えて、多くの人は自分が虚ろな場所へと突き飛ばされたように感じるに違いない。

(2003.02.08)
最終更新:2007年07月15日 00:32