殺す警官




題名:殺す警官
原題:The Business Of Daying (2002)
作者:サイモン・カーニック Simon Kernick
訳者:佐藤耕士
発行:新潮文庫 2003.9.1 初版
価格:\781



  こういう作品を読むと、英国のミステリが非常に多様化してきたことを痛感させられる。英国ミステリと言えば、シャーロック・ホームズからアガサ・クリスティと、古典的で謎解きを謳歌した手法から始まったが、一方では多の冒険小説の書き手を生み、ジャンルはとりわけはっきりしていたイメージがある。その中で謎解きをしながらも冒険小説的エッセンスを持つディック・フランシスというロングラン向けの人気作家もこつこつと作品を世に送り出してきた。あるいは諜報部員の屈折と勝利のための戦いを書き込んできたC・トーマスや、フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズ。

 そういうさ中に、アメリカン・ノワールの影響を色濃く反映させる作家が最近は目立ち始めている。サイコ・サスペンスはあまり英国に根づかなったが、ノワールは、少しひねった形で、確実に英国ミステリの中に顔を見せ始めている。その中でも、シェイマス・スミスなどのピカレスクと言える、ブラックなストーリーが日本に紹介された最近のミステリとしては印象深いところ。この『殺す警官』が所属するとすれば、この部類の場所であろう。いわゆるピカレスク・スリラー。

 タイトルから類推できる通り殺人をものともしない警官デニス・ミルンが主人公である。と言っても中途半端さがこのデニスの特徴とも言える。一人称小説であり、デニス自身がそう悪い人間であるようにも思えない。決して請負殺人を恒常的に行っているわけでもなく、これまで殺したのはたったの二度だ。ただ殺し屋の才能だけは持っているみたいだ。冷静さと落ち着き。ためらいのなさ、がそれだ。ちなみに、作者が最も好きな作家はローレンス・ブロックだと言う。ブロックの描く、冷血でありながら、普通の趣味人でもある殺し屋ケラー。どこか似たところがある。

 正義のためにという意識が主人公にある。たかり、かつあげといったごく普通の悪徳警官の日常生活は立派にこなしてもいる。その延長にちょっとしたところで殺しというビジネスも入ってくるだけのようだ。エルロイの世界に比べると可愛いものだが、それでもこの半端さがカーニックの独自な世界に独特の気配をもたらしている。しかし、これだけでは小説のオリジナリティを語ったことにはならない。この小説の持ち味はノンストップのサスペンスであり、疾走感溢れるスリルでもある。

 デニスは納得のゆかない殺しを実行するが、そのために敵味方双方から追い詰められてゆく一方で、少女惨殺事件の謎を追わねばならない。追われながら追うという綱渡り的世界。不安が満ちてきてついには破裂しそうになる。だが、主人公はどこまでも太々しさを見せつける。自らを鼓舞する。何となく小説を一貫して照らす明るさは、主人公の楽天的(やけっぱちなのか?)な性格がもたらしているもののようである。

 畳みかけるようなラストの展開。作られてゆく死体の山。ぎりぎりの展開。ぎりぎりの脱出。胸のすくようなかっこうのいいストーリーではない。嫌と言うほど無様な死体。これ以上無いほど最悪の死に様で満ちあふれた作品である。だからこそ生き延びるのが難しい影の多い世界。11月のうそ寒いロンドンで、猥雑の気配を呼吸し、走りぬける一人の悪玉主人公の生きざまがそれでも何故か心地よい。読後に不思議な快感をもたらしてくれる、実に嫌らしい作品なのだ。

(2004.01.25)
最終更新:2007年07月15日 00:18