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欺かれた男




題名:欺かれた男
原題:Ah, Treachery! (1994)
作者:Ross Thomas
訳者:菊池よしみ
発行:ハヤカワ・ミステリアスプレス 1996.9.15 初版
価格:\1,800



 マレルの『一人だけの軍隊』の頃は、ベトナム帰還者と言ってもまだ若さや体力がふんだんに残されていたのだが、さすがに90年代に入ってのベトナム経験者たちは、中年をとうに過ぎているし、その上官たちたるや初老の域に達っしている。そういう年輪を感じさせるのが、ロス・トーマスの最後の長編となった本書であり、その年輪そのものに作者のおよそ30年に渡る作家生活のキャリア、深みみたいなものが、どうしたってセンチメンタルに感じ取られてしまうのだ。

 そういうセンチな気分に浸りながら、相変わらずセンチなどとは縁のない、乾いてとぼけた文体に、人を喰ったような会話、皮肉でいっぱいの描写などを追うことが、ロス・トーマスの極上の楽しみ方であり、ぼくの作者への惜別のすべてであった。

 物語構成そのものに新しみはあまりないものの、かつての猛者、過去の謀略の亡霊、巻き込まれ追い込まれてゆく中年主人公の反撃、あまりに強大な敵、薄汚い殺し屋……ロス・トーマス的世界を味わうには十分過ぎるほどの道具立てがしっかり揃っていて、これまでの彼の作品の味わいをコンパクトに詰め込んだような作品に仕上がっている。

 この物語のエピソードとして登場するのは『八番目の小人』の主人公元OSSのマイナー・ジャクソンの葬儀の話で、小人のニコライ・プルスカーリュがこれに参列し、まだ死なずに生きているのか、というサービス・シーンがある。晩年の作品は、他のシリーズの登場人物などが頻繁に顔を出してきて、いわばロス・トーマスの架空の世界や時代が、どんどん作中で繋がって一つのものになってきている傾向がある。人生が閉じようというときに、この世界の輪を少しずつでもかっちりと繋ぎとめておきたいという作者の願望だろうか? いずれにせよロス・トーマスの世界は、ここにきて大きく一つに繋がってきた。

 ぼくらは彼の本を開くたびに、危険と冒険と恋と策略でいっぱいの時代や世界、そこにしぶとく生き続けるタフな男たちや、美しくも謎の多い女たちに接することができるのだ。ロス・トーマス、それはぼくにとって永遠の巨星である。

(1996.12.21)