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*狼は天使の匂い #amazon(4150017352,right,image) 題名:狼は天使の匂い 原題:Black Friday (1954) 作者:デイヴィッド・グーディス David Goodis 訳者:真先義博 発行:ハヤカワ・ミステリ 2003.07.15 初版 価格:\900  二時間を越すルネ・クレマンの映画『狼は天使の匂い』が作られたのが1974年。監督のルネ・クレマンも脚本のセバスチャン・ジャプリゾも売れっ子だった。ジャン・ルイ・トランニャンも売れっ子だった。ロバート・ライアンは晩年の一つ手前ということもあり、この映画では相当に老けて見える。だが米仏の二大人気男優による共演など、密かな人気を集めるフィルム・ノワールであった。  当時フランス映画の題材として頻繁に取り上げられた原作がアメリカでさほど評価されることがなかったことは今に始まったことではない。ジム・トンプスンと同じように、本書のノワール作家であるデイヴィッド・グーディスも同様の憂き目に会っていた様子だ。  確かにハリウッドを母体としたアメリカン・エンターテインメントの世界では、ハードボイルドやノワールというジャンルは日陰の存在であったかもしれない。これでハンフリー・ボガートのような人気男優がいなければ、アメリカ映画はどうなっていただろうかと考えるとあまりぞっとしない。  ハードボイルドもノワールも現代の映画や小説の人気の集中するあたりに触れている限り、あまりアメリカで本来息づく文化とは言い切れない気がしてくる。アメリカの陽気さや、力やスケールを好む体質が、ノワールやハードボイルドが生きようとする裏路地の暗さにフィットするものとはとても思えない。  本書もそういう意味では、ハリウッドには受けが悪そうな、とても地味な作品であり、ルネ・クレマンとジャプリゾのコンビで、よくぞあそこまでロマンチック、かつ、映像美溢れるスケールに作り変えたものだと改めて感心する。そうあの映画がとことん作り返られたものであることが、この原作を読むと、ショッキングなほどに感じられる。  ジプシーに追われるのではなく、警察に追われる主人公というだけで既に陳腐かもしれない。男が、犯罪者一味と合流するシーンから小説は始まる。このあたりからは原作と映画とは共通項を持つ。だが、小説はこの犯罪者一味の中でのみ完結する。映画が仁義と破滅を扱う比較的クールな作品であるのに対し、小説は徹底的なハードボイルド文体による冷酷極まりないノワールに尽きる。  主人公の生きざま自体、物語の閉じ方、どちらも映画と小説は違った方向を向いてゆく。小説では主人公はさまよえる魂であり、犯罪者一家は不吉な星を抱え込んだ呪われた集団のようだ。運命の歯車に巻き取られてゆくリズムを映画は愚かさと悔恨で、小説は善意をも飲み込む運命の凶星というイメージで描いてゆく。前者はクールに、後者はドライに、より心理ミステリ風に。  非常に小スケールながら、犯罪者たちの暗い、真夜中の世界を、ハードボイルドなタッチで描いた極めて最小限の表現による小説。1950年代の暗黒の時代を行間に窺わせ、時間を刻んでゆく張り詰めた一瞬一瞬を味わわせてくれる独特な味わいの一冊。 (2003.08.24)
*狼は天使の匂い #amazon(4150017352,right,image) 題名:狼は天使の匂い 原題:Black Friday (1954) 作者:デイヴィッド・グーディス David Goodis 訳者:真先義博 発行:ハヤカワ・ミステリ 2003.07.15 初版 価格:\900  二時間を越すルネ・クレマンの映画『狼は天使の匂い』が作られたのが1974年。監督のルネ・クレマンも脚本のセバスチャン・ジャプリゾも売れっ子だった。ジャン・ルイ・トランニャンも売れっ子だった。ロバート・ライアンは晩年の一つ手前ということもあり、この映画では相当に老けて見える。だが米仏の二大人気男優による共演など、密かな人気を集めるフィルム・ノワールであった。  当時フランス映画の題材として頻繁に取り上げられた原作がアメリカでさほど評価されることがなかったことは今に始まったことではない。ジム・トンプスンと同じように、本書のノワール作家であるデイヴィッド・グーディスも同様の憂き目に会っていた様子だ。  確かにハリウッドを母体としたアメリカン・エンターテインメントの世界では、ハードボイルドやノワールというジャンルは日陰の存在であったかもしれない。これでハンフリー・ボガートのような人気男優がいなければ、アメリカ映画はどうなっていただろうかと考えるとあまりぞっとしない。  ハードボイルドもノワールも現代の映画や小説の人気の集中するあたりに触れている限り、あまりアメリカで本来息づく文化とは言い切れない気がしてくる。アメリカの陽気さや、力やスケールを好む体質が、ノワールやハードボイルドが生きようとする裏路地の暗さにフィットするものとはとても思えない。  本書もそういう意味では、ハリウッドには受けが悪そうな、とても地味な作品であり、ルネ・クレマンとジャプリゾのコンビで、よくぞあそこまでロマンチック、かつ、映像美溢れるスケールに作り変えたものだと改めて感心する。そうあの映画がとことん作り返られたものであることが、この原作を読むと、ショッキングなほどに感じられる。  ジプシーに追われるのではなく、警察に追われる主人公というだけで既に陳腐かもしれない。男が、犯罪者一味と合流するシーンから小説は始まる。このあたりからは原作と映画とは共通項を持つ。だが、小説はこの犯罪者一味の中でのみ完結する。映画が仁義と破滅を扱う比較的クールな作品であるのに対し、小説は徹底的なハードボイルド文体による冷酷極まりないノワールに尽きる。  主人公の生きざま自体、物語の閉じ方、どちらも映画と小説は違った方向を向いてゆく。小説では主人公はさまよえる魂であり、犯罪者一家は不吉な星を抱え込んだ呪われた集団のようだ。運命の歯車に巻き取られてゆくリズムを映画は愚かさと悔恨で、小説は善意をも飲み込む運命の凶星というイメージで描いてゆく。前者はクールに、後者はドライに、より心理ミステリ風に。  非常に小スケールながら、犯罪者たちの暗い、真夜中の世界を、ハードボイルドなタッチで描いた極めて最小限の表現による小説。1950年代の暗黒の時代を行間に窺わせ、時間を刻んでゆく張り詰めた一瞬一瞬を味わわせてくれる独特な味わいの一冊。 (2003.08.24)

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