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*毒魔 #amazon(4102021140,right,image) 題名:毒魔 原題:Red Tide (2004) 作者:G・M・フォード G.M.Ford 訳者:三川基好 発行:新潮文庫 2007.03.01 初版 価格:\819  私は、実は、化学テロ対策関連の機器をセールスしていた事がある。さまざまな災害分野がもともとはメインだったはずなのだが、地下鉄サリン事件からこの方、イラク情勢も緊張感を増し、9・11以降は、ウサマ・ビン・ラディンを首謀とするイスラム過激派のテロ組織が、どの国に何をやってきてもおかしくない状況になったため、英国特殊災害医療チームと提携するメーカーから、科学テロの攻撃に対応する防護服やら洗浄用テントなどを仕入れ、それこそ日本開催のワールドカップ向けに、官を中心とした客先に納めていたのだ。  当然、その頃には関連する化学テロの勉強をしていた。想定されるものはABCと呼ばれた。それらはつまり原子(Atomic)・細菌(Bacteria)・科学的劇物(Chemical)だった。最前線救助向けの防護服までは扱わなかったものの、医療救護チームが着込む宇宙服のようなスーツに、防毒マスクなどは何種類か扱っていた。市や国の救急医療チームにそれらを展開してデモンストレーションを行うたびに、マスコミが取材にやって来た。それほど、化学テロへの脅威が煮詰まった時期でもあった。  最近はその仕事を離れたせいで、情報に疎くなり、国際情勢も爆弾テロは毎日のように報道が続く中、化学テロの言葉は耳に入りにくくなった。ある種の報道管制が敷かれていることも想定できる。特に日本では北朝鮮という危険な国家と隣り合わせにいること、世界で唯一、カルト教団による化学テロをの攻撃を蒙った国であることなどから、緊張感が抜けているわけはないと思えるのだが。 さて、本書は、まさにその化学テロを扱った実に過激な小説である。シアトルの混雑した地下バスターミナルで、毒物が散布されるところから事件は始まる。本来ならシリーズとは独立した作品として書かれてもいいような気がするのだが、これもまたノンフィクション作家フランク・コーソのシリーズである。これまでの作風は、あくまで個別の暴力を対象に犯罪ぎりぎりの追跡劇を展開するのがコーソというキャラクターだったわけでが、本書では化学テロによる都市中心部の大災害を追跡する。  そこに居合わせたということもあるが、命の危険を省みないコーソの事件への好奇心は異常なまでである。事件現場での描写が延々と続く中、一方ではパートナーである全身刺青美女のメグ・ドアティも彼女の人生を決定付けた宿命の敵手との奇妙な再会を果たす。一見無縁に思える二つの事件が、犯人グループの側からの描写により、どこかで異常な繋がり方をしているとわかってゆく下りから、ようやくストーリーにテンポが出てくる。  それまでは、あまりにも唐突な災害描写、コーソのどう見ても必然性のない事件への関わり方、多くの登場人物たちを嗅ぎ分けることができないばらばらのジグソーパズルといった要素たちが、ストーリーの吸収を妨げていた。描写方法の問題もあるのだろうが、とりわけ導入部は荒っぽい。  作品全体が、シリーズ初期の頃の丁寧さに比して、どう見ても荒書きであり、題材が大きすぎるがゆえに現実離れしたB級カラーに覆われて見える。この作品からシリーズを始める人には、メグ・ドアティの宿命的転換といい、少し問題があり過ぎかと思う。この種の大きな劇的転換点よりも、むしろその後の展開がどう進められるものなのかとても気になる。本書は、シリーズの中での一つのある題材に蹴りをつけたものとして、劇的転換点ではあるけれど、強引な荒業であるとの印象からは逃れられない。  単発ストーリーとしてもシリーズ作品としても、意外過ぎる。タイトルの通り毒が過ぎたという風に受け取れないこともない、どちらかと言えば、鬼子みたいな存在だろう。 (2007/07/08)
*毒魔 #amazon(4102021140,right,image) 題名:毒魔 原題:Red Tide (2004) 作者:G・M・フォード G.M.Ford 訳者:三川基好 発行:新潮文庫 2007.03.01 初版 価格:\819  私は、実は、化学テロ対策関連の機器をセールスしていた事がある。さまざまな災害分野がもともとはメインだったはずなのだが、地下鉄サリン事件からこの方、イラク情勢も緊張感を増し、9・11以降は、ウサマ・ビン・ラディンを首謀とするイスラム過激派のテロ組織が、どの国に何をやってきてもおかしくない状況になったため、英国特殊災害医療チームと提携するメーカーから、科学テロの攻撃に対応する防護服やら洗浄用テントなどを仕入れ、それこそ日本開催のワールドカップ向けに、官を中心とした客先に納めていたのだ。  当然、その頃には関連する化学テロの勉強をしていた。想定されるものはABCと呼ばれた。それらはつまり原子(Atomic)・細菌(Bacteria)・科学的劇物(Chemical)だった。最前線救助向けの防護服までは扱わなかったものの、医療救護チームが着込む宇宙服のようなスーツに、防毒マスクなどは何種類か扱っていた。市や国の救急医療チームにそれらを展開してデモンストレーションを行うたびに、マスコミが取材にやって来た。それほど、化学テロへの脅威が煮詰まった時期でもあった。  最近はその仕事を離れたせいで、情報に疎くなり、国際情勢も爆弾テロは毎日のように報道が続く中、化学テロの言葉は耳に入りにくくなった。ある種の報道管制が敷かれていることも想定できる。特に日本では北朝鮮という危険な国家と隣り合わせにいること、世界で唯一、カルト教団による化学テロをの攻撃を蒙った国であることなどから、緊張感が抜けているわけはないと思えるのだが。 さて、本書は、まさにその化学テロを扱った実に過激な小説である。シアトルの混雑した地下バスターミナルで、毒物が散布されるところから事件は始まる。本来ならシリーズとは独立した作品として書かれてもいいような気がするのだが、これもまたノンフィクション作家フランク・コーソのシリーズである。これまでの作風は、あくまで個別の暴力を対象に犯罪ぎりぎりの追跡劇を展開するのがコーソというキャラクターだったわけでが、本書では化学テロによる都市中心部の大災害を追跡する。  そこに居合わせたということもあるが、命の危険を省みないコーソの事件への好奇心は異常なまでである。事件現場での描写が延々と続く中、一方ではパートナーである全身刺青美女のメグ・ドアティも彼女の人生を決定付けた宿命の敵手との奇妙な再会を果たす。一見無縁に思える二つの事件が、犯人グループの側からの描写により、どこかで異常な繋がり方をしているとわかってゆく下りから、ようやくストーリーにテンポが出てくる。  それまでは、あまりにも唐突な災害描写、コーソのどう見ても必然性のない事件への関わり方、多くの登場人物たちを嗅ぎ分けることができないばらばらのジグソーパズルといった要素たちが、ストーリーの吸収を妨げていた。描写方法の問題もあるのだろうが、とりわけ導入部は荒っぽい。  作品全体が、シリーズ初期の頃の丁寧さに比して、どう見ても荒書きであり、題材が大きすぎるがゆえに現実離れしたB級カラーに覆われて見える。この作品からシリーズを始める人には、メグ・ドアティの宿命的転換といい、少し問題があり過ぎかと思う。この種の大きな劇的転換点よりも、むしろその後の展開がどう進められるものなのかとても気になる。本書は、シリーズの中での一つのある題材に蹴りをつけたものとして、劇的転換点ではあるけれど、強引な荒業であるとの印象からは逃れられない。  単発ストーリーとしてもシリーズ作品としても、意外過ぎる。タイトルの通り毒が過ぎたという風に受け取れないこともない、どちらかと言えば、鬼子みたいな存在だろう。 (2007/07/08)

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