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*七つの丘のある街 #amazon(4562037091,right,image) 題名:七つの丘のある街 原題:Early Graves (1990) 作者:トマス・H・クック Thomas H.Cook 訳者:佐藤和彦 発行:原書房 2003.11.27 初版 価格:\1,800  誰が見ても、しっとりしたタッチの書き手であるトマス・H・クックが、情感の与えようもない現実の犯罪に取材し、フィクションではないリアルを小説として書き上げる。そんなことが可能なのだろうか、最初に思わないでもなかった。少し前にノンフィクションの犯罪ルポルタージュとしては、あまりにも過激で印象に深い『ロベルト・スッコ』を読んでいるおかげで、犯罪ノンフィクションに対する構えのようなものが、きっとこちら側にできてしまっていたのだと思う。  実のところクックの選んだ犯罪には、彼らしい物語が生きていた。時系列に沿って感情を交えぬ文体を書き貫いてゆく方法ではなく、非常に多くのものを捨て去り、省略を重ねていったところでクックが描いたディテール。ある意味、映画のラッシュフィルムが、編集の手によってどうにでも違った作品になってしまうように、クックにはクックのディレクターズ・カットという手法があったのだ。  ジャーナリストではなくて作家がこれをやると、トルーマン・カポーティの『冷血』で顕著だったように、犯罪実録小説というよりは、最後には文学的な深みを帯びてゆく。犯罪そのものよりも、むしろ作家の人間観察眼によって。  そういう意味では、決して新しからぬこの作品……フランク・クレモンズのシリーズ三部作直後に書かれたのだそうだ……には、その後の記憶シリーズに繋がる人間の影の部分への作家的好奇心がひときわ強く注がれていることがわかる。  またクックらしいと思ったのが、派手派手しい殺人というよりも、愛し合っているという男女の殺人犯人のそれぞれの孤独が際だっていること、その異常な愛情が他者を、とりわけ小さな娘を犠牲にして成り立っていた奇妙さ、そして片田舎、森、谷間、そうした美しく静かな自然の中、獲物を漁るハイエナのように渉猟する犯罪者の影に脅やかされる家族たちの日常生活。あらゆる意味で、クックのアメリカがあり、破滅への引力がある。  作品の構成は、事件の前兆、事件の発覚、犯人の逮捕、尋問、裁判、判決、後日談、といった形になっており、クライマックスは法廷シーンだ。検事や弁護士の描写が不安定で、その分生々しい真実の揺らぎ、疑念に満ちた判決、そういったものを感じさせ、犯罪そのものは決して最後まで真実を明かさないものだとクックが語っているかのようにさえ感じられる。  絶対に間違いのなかったことは、絶たれてしまった被害者の残りの人生。決してとり戻すことのできない遺族の日常。そこにクックは人間の行為の、善悪の極北を見る。物語をそこに作ろうとしている。  トマス・H・クックをお薦めするなら、この作品をとは敢えて言いたくない。他の何らかの作品でクックのファンになった読者にこの本を手にとっていただきたいと思う。翻訳が遅過ぎたのは、商品価値という意味では、やはりクックの素晴らしいフィクションには遠く及ばないと思うからだ。 (2004/01/19)
*七つの丘のある街 #amazon(4562037091,right,image) 題名:七つの丘のある街 原題:Early Graves (1990) 作者:トマス・H・クック Thomas H.Cook 訳者:佐藤和彦 発行:原書房 2003.11.27 初版 価格:\1,800  誰が見ても、しっとりしたタッチの書き手であるトマス・H・クックが、情感の与えようもない現実の犯罪に取材し、フィクションではないリアルを小説として書き上げる。そんなことが可能なのだろうか、最初に思わないでもなかった。少し前にノンフィクションの犯罪ルポルタージュとしては、あまりにも過激で印象に深い『ロベルト・スッコ』を読んでいるおかげで、犯罪ノンフィクションに対する構えのようなものが、きっとこちら側にできてしまっていたのだと思う。  実のところクックの選んだ犯罪には、彼らしい物語が生きていた。時系列に沿って感情を交えぬ文体を書き貫いてゆく方法ではなく、非常に多くのものを捨て去り、省略を重ねていったところでクックが描いたディテール。ある意味、映画のラッシュフィルムが、編集の手によってどうにでも違った作品になってしまうように、クックにはクックのディレクターズ・カットという手法があったのだ。  ジャーナリストではなくて作家がこれをやると、トルーマン・カポーティの『冷血』で顕著だったように、犯罪実録小説というよりは、最後には文学的な深みを帯びてゆく。犯罪そのものよりも、むしろ作家の人間観察眼によって。  そういう意味では、決して新しからぬこの作品……フランク・クレモンズのシリーズ三部作直後に書かれたのだそうだ……には、その後の記憶シリーズに繋がる人間の影の部分への作家的好奇心がひときわ強く注がれていることがわかる。  またクックらしいと思ったのが、派手派手しい殺人というよりも、愛し合っているという男女の殺人犯人のそれぞれの孤独が際だっていること、その異常な愛情が他者を、とりわけ小さな娘を犠牲にして成り立っていた奇妙さ、そして片田舎、森、谷間、そうした美しく静かな自然の中、獲物を漁るハイエナのように渉猟する犯罪者の影に脅やかされる家族たちの日常生活。あらゆる意味で、クックのアメリカがあり、破滅への引力がある。  作品の構成は、事件の前兆、事件の発覚、犯人の逮捕、尋問、裁判、判決、後日談、といった形になっており、クライマックスは法廷シーンだ。検事や弁護士の描写が不安定で、その分生々しい真実の揺らぎ、疑念に満ちた判決、そういったものを感じさせ、犯罪そのものは決して最後まで真実を明かさないものだとクックが語っているかのようにさえ感じられる。  絶対に間違いのなかったことは、絶たれてしまった被害者の残りの人生。決してとり戻すことのできない遺族の日常。そこにクックは人間の行為の、善悪の極北を見る。物語をそこに作ろうとしている。  トマス・H・クックをお薦めするなら、この作品をとは敢えて言いたくない。他の何らかの作品でクックのファンになった読者にこの本を手にとっていただきたいと思う。翻訳が遅過ぎたのは、商品価値という意味では、やはりクックの素晴らしいフィクションには遠く及ばないと思うからだ。 (2004/01/19)

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