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*スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 題名:スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 作者:矢作俊彦 発行:新潮社 1990.11.5 初版 1991.5.15 8刷 価格:\1,900(\1,845)  ぼくが高校に入ったばかりの頃、上級生が二人ばかり学生運動に参加して警察に捕まったらしかった。校舎の壁に垂れ幕が下がり、その内容は「我々の同志を釈放せよ!」とかなんとか叫んでいた。朝、登校の時にそれを見たけれど、一時限が始まる前に、その垂れ幕は教師の手によって、屋上からするするとたくし上げられ、やがて消えてしまった。それとともに、60年代の名残りのようなものがすべて一緒にたくし上げられていって、 ぼくらは<三無主義>とかいう称号とともに70年代に取り残されてしまった。ぼくは大江健三郎の『遅れてきた青年』を読み、ぼくなりの生きる欲求のはけ口を探しあぐねていたような気がする。  そういうわけで、ぼくは全共闘の世代というのをよくは知らないし、理解してもいないと思う。大学に入ると文化系の部室が鉄パイプの集団によって襲撃されることがあったり、第4インターなんて物騒なところに所属する先輩が、佐世保や成田にデモに出かけてゆくのを横目で見やりながら、ぼくはウェストコースト・サウンドなんて言って、ニール・ヤングやジェファーソン・エアプレインを聴いてはコピーし、仲間と演奏を楽しんでいた。  かと言って今の青少年たちのように女性にへつらうこともできず、徹底して硬派であることをうそぶき、ポーズを取って生きてきた。  前置きが長くなったが、この本は矢作の世代、つまり全共闘世代の人が現代に甦ったときのペーソス・ユーモア小説なんである、簡単に言うと。  そういう世代の代表小説を、一歩遅れた後輩のぼくが読むのであるから、そこには世代的な高い壁が存在したりするのだが、その壁ごしに垣間見るスズキさんの心意気が見えてくるのが、少し魅力的な佳作なんだ。またサラリーマン生活に飼い馴らされて行った悲哀、そこで器用に世を渡らされたことでの自分と世界への大きな幻滅、だがそれでも過去のなにがしかにはこだわらずに済ますことのできないその不可思議な体質、といったものが、壁越しにに覗き見られるわけである。  理屈じゃなく、妙に元気の出る小説で、全体にパロディと主張を散りばめた、奇妙な味の面白本であった。矢作という作家は、もともとぼくにとってはすっげえ気障で、了見が狭くて、気取ってやがって、いやあな奴なんだけど、なんか作品の中心には惹かれるものがあるのね。とにかく、こういう形で田舎を描いてくれると、ぼくも少し安心できるのだった。 (1992.10.11)
*スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 #amazon(4101180156,text,image) #amazon(4103775017,text) 題名:スズキさんの休息と遍歴 またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行 作者:矢作俊彦 発行:新潮社 1990.11.5 初版 1991.5.15 8刷 価格:\1,900(\1,845)  ぼくが高校に入ったばかりの頃、上級生が二人ばかり学生運動に参加して警察に捕まったらしかった。校舎の壁に垂れ幕が下がり、その内容は「我々の同志を釈放せよ!」とかなんとか叫んでいた。朝、登校の時にそれを見たけれど、一時限が始まる前に、その垂れ幕は教師の手によって、屋上からするするとたくし上げられ、やがて消えてしまった。それとともに、60年代の名残りのようなものがすべて一緒にたくし上げられていって、 ぼくらは<三無主義>とかいう称号とともに70年代に取り残されてしまった。ぼくは大江健三郎の『遅れてきた青年』を読み、ぼくなりの生きる欲求のはけ口を探しあぐねていたような気がする。  そういうわけで、ぼくは全共闘の世代というのをよくは知らないし、理解してもいないと思う。大学に入ると文化系の部室が鉄パイプの集団によって襲撃されることがあったり、第4インターなんて物騒なところに所属する先輩が、佐世保や成田にデモに出かけてゆくのを横目で見やりながら、ぼくはウェストコースト・サウンドなんて言って、ニール・ヤングやジェファーソン・エアプレインを聴いてはコピーし、仲間と演奏を楽しんでいた。  かと言って今の青少年たちのように女性にへつらうこともできず、徹底して硬派であることをうそぶき、ポーズを取って生きてきた。  前置きが長くなったが、この本は矢作の世代、つまり全共闘世代の人が現代に甦ったときのペーソス・ユーモア小説なんである、簡単に言うと。  そういう世代の代表小説を、一歩遅れた後輩のぼくが読むのであるから、そこには世代的な高い壁が存在したりするのだが、その壁ごしに垣間見るスズキさんの心意気が見えてくるのが、少し魅力的な佳作なんだ。またサラリーマン生活に飼い馴らされて行った悲哀、そこで器用に世を渡らされたことでの自分と世界への大きな幻滅、だがそれでも過去のなにがしかにはこだわらずに済ますことのできないその不可思議な体質、といったものが、壁越しにに覗き見られるわけである。  理屈じゃなく、妙に元気の出る小説で、全体にパロディと主張を散りばめた、奇妙な味の面白本であった。矢作という作家は、もともとぼくにとってはすっげえ気障で、了見が狭くて、気取ってやがって、いやあな奴なんだけど、なんか作品の中心には惹かれるものがあるのね。とにかく、こういう形で田舎を描いてくれると、ぼくも少し安心できるのだった。 (1992.10.11)

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