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*ダブルオー・バック #amazon(4101218110,text) #amazon(4803320160,text,image) 題名:ダブルオー・バック 作者:稲見一良 発行:大陸書房 1989.5.18 初版 価格:\1,250(本体\1,214)  一挺の銃をめぐる4つの物語……って、これ聞いたことある。昔テレビでやっていた『魔法の拳銃』という人形劇もそうだった。これは確か中村メイ子が一人ですべての声優をやってしまうものであった。その後『ウインチェスターM70』とかいうのがなかったっけ。映画だったか、大薮春彦の小説だったか……これも一挺の銃の辿る連作物語ではなかったか。  とにかく稲見一良氏は、こうした連作短編が巧い。第一冊目のハードカバーなのだけど、4つの物語を劇的にまとめてくれている。ハンティング小説という意味では第一人者になるのだろうか。これまでも吉村昭によるマタギの話、熊撃ちの話はあったがこれはノンフィクション小説主体だし、戸川幸夫の『山嶽巨人伝』などは鉄砲撃ちの一代記だが時代劇の範疇だろうと思われる。  稲見一良はそういう意味では猟銃小説の第一人者と呼んでしまいたい。しかし、この本に始まる7冊のハードカバーすべてに一貫しているのが、男の冒険心とリリシズム。生への讃歌だと思う。  そしてこの作品を読むだけで稲見一良という人が、心にいくつもの物語を紡ぐことのできる実にクリエイティブな人であることがわかると思う。  圧巻は、今頃になってこの本を読むぼくが悪いんだが、あとがきの一節。ほとんど現実では見せなかった父親が息子と娘にあとがきで告げる。  「自分たちの父親は、出世も金もうけも人づきあいも下手だったが、よく働き、いつも何かを作ろうとしていた、というイメージを残せばいいと思ってきた。二人が誠実でやさしくしっかりした若者に育ったのは、まことに幸運だった。気持ちを伝えるのに無器用だったお前たちの父親は、こんなところもあったのだ、とこの本を与えたい」  この作品集を読んだ後、ぼくは自分が稲見さんの息子になって、ぼとぼと泣いてしまったのだった。 (1994.7.15)
*ダブルオー・バック #amazon(4101218110,text,image) #amazon(4803320160,text,image) 題名:ダブルオー・バック 作者:稲見一良 発行:大陸書房 1989.5.18 初版 価格:\1,250(本体\1,214)  一挺の銃をめぐる4つの物語……って、これ聞いたことある。昔テレビでやっていた『魔法の拳銃』という人形劇もそうだった。これは確か中村メイ子が一人ですべての声優をやってしまうものであった。その後『ウインチェスターM70』とかいうのがなかったっけ。映画だったか、大薮春彦の小説だったか……これも一挺の銃の辿る連作物語ではなかったか。  とにかく稲見一良氏は、こうした連作短編が巧い。第一冊目のハードカバーなのだけど、4つの物語を劇的にまとめてくれている。ハンティング小説という意味では第一人者になるのだろうか。これまでも吉村昭によるマタギの話、熊撃ちの話はあったがこれはノンフィクション小説主体だし、戸川幸夫の『山嶽巨人伝』などは鉄砲撃ちの一代記だが時代劇の範疇だろうと思われる。  稲見一良はそういう意味では猟銃小説の第一人者と呼んでしまいたい。しかし、この本に始まる7冊のハードカバーすべてに一貫しているのが、男の冒険心とリリシズム。生への讃歌だと思う。  そしてこの作品を読むだけで稲見一良という人が、心にいくつもの物語を紡ぐことのできる実にクリエイティブな人であることがわかると思う。  圧巻は、今頃になってこの本を読むぼくが悪いんだが、あとがきの一節。ほとんど現実では見せなかった父親が息子と娘にあとがきで告げる。  「自分たちの父親は、出世も金もうけも人づきあいも下手だったが、よく働き、いつも何かを作ろうとしていた、というイメージを残せばいいと思ってきた。二人が誠実でやさしくしっかりした若者に育ったのは、まことに幸運だった。気持ちを伝えるのに無器用だったお前たちの父親は、こんなところもあったのだ、とこの本を与えたい」  この作品集を読んだ後、ぼくは自分が稲見さんの息子になって、ぼとぼと泣いてしまったのだった。 (1994.7.15)

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