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*ケモノの城 #amazon(right,4575238589) 題名:ケモノの城 作者:誉田哲也 発行:双葉社 2014.04.20 初版 価格:\1,600  誉田哲也という作家は今、すごく売れているんだろうと思う。映画やドラマでは『武士道シックスティーン』から『ジウ』から『ストロベリーナイト』まで。『ジウ』は深夜枠のドラマだったけれど、『ストロベリーナイト』はTV連続ドラマからMovieへ! というまるで作品の赤絨毯みたいな道を通っていった。  何年もかけて一冊一冊、この作家の作品の娯楽性の良さに導かれてはきたけれど、その人気がここまで来てみると、作品を良くしているようには見えない気がする。すくなくともぼくは最近そんな思いでこの作家を案じている。  この作家の娯楽要素はスピーディさと過激さ、そしてヒーロー、ヒロインたちの魅力であろう。特にヒロインたちの等身大な魅力や、逆に影のある魅力(暗い過去や傷を持ち合わせているといった)は物語を膨らませるに必要不可欠なものであったように思う。  しかしこの作家には忘れてならない要素がもう一つあった。それは悪の魅力である。ジウで次第に離れてゆく女性刑事は、捜査や平和よりもむしろ自分が力を増してゆくことを志向する、それによって罪を成す側についてしまうのだが、あろうことか他の作品『歌舞伎町セブン』においては悪に手を汚した彼女に作者は救いを与えてしまうのだ。  他の作品でももとは刑事の側であった人間が、悪を強く憎むあまり、私刑を行うというまるでジェイムズ・グリッケンハウスの『エクスターミネーター』みたいなストーリーもいくつかの作品で披露している(『歌舞伎町セブン』『ハング』『ブルーマーダー』等)。  そして悪の側に手を染めるときの彼らヒーローたちのやり口は不要ではないかと思うくらい残酷だ。いくら悪人とは言え、骨を全部砕かれて丸めてカバンに押し込められて捨てられることはないんじゃないだろうか? しかしそれが読者の印象を作品にとどめるとしたら、作者は敢えて手法としての加虐を作中に執拗に反復させているのかもしれない。  本書は、刑事小説でもなく、ヒーローもヒロインも登場しない。ただただ人間が残酷に他の人間を支配し、痛めつけ、嬲り、従えてゆくだけの小説である。一家四人が消えたりする事件の一つの例として見るにはあまりにも強烈な毒と血に染められた悪魔の手法と言いたくなるほどの残酷な行動を執拗に描いた作品である。正直言って前編気持ちが悪い。  ホラーやバイオレンスが好きな人はこういう小説で狂喜するのであろうか。作者にとってこれが社会実験だとしたら、書店棚で判断する限り売れ行きは良いようなので、悲しいことに人間はそういう悪や残酷に惹かれるものを持つ存在なのだと言わざるを得ない。  この作家を読んでゆくことはやめようかな、と思わせるだけの不快を伴った読書時間であった。目を背けてはいけないと人間の悪逆さに迫りたい人にのみ許されるような小説なのだろうか。ぼくには正直、これが起承転結を持った小説であるとは、到底思えなかったのだけれども。 (2015.01.07)
*ケモノの城 #amazon(right,4575238589) 題名:ケモノの城 作者:誉田哲也 発行:双葉社 2014.04.20 初版 価格:\1,600  誉田哲也という作家は今、すごく売れているんだろうと思う。映画やドラマでは『武士道シックスティーン』から『ジウ』から『ストロベリーナイト』まで。『ジウ』は深夜枠のドラマだったけれど、『ストロベリーナイト』はTV連続ドラマからMovieへ! というまるで作品の赤絨毯みたいな道を通っていった。  何年もかけて一冊一冊、この作家の作品の娯楽性の良さに導かれてはきたけれど、その人気がここまで来てみると、作品を良くしているようには見えない気がする。すくなくともぼくは最近そんな思いでこの作家を案じている。  この作家の娯楽要素はスピーディさと過激さ、そしてヒーロー、ヒロインたちの魅力であろう。特にヒロインたちの等身大な魅力や、逆に影のある魅力(暗い過去や傷を持ち合わせているといった)は物語を膨らませるに必要不可欠なものであったように思う。  しかしこの作家には忘れてならない要素がもう一つあった。それは悪の魅力である。ジウで次第に離れてゆく女性刑事は、捜査や平和よりもむしろ自分が力を増してゆくことを志向する、それによって罪を成す側についてしまうのだが、あろうことか他の作品『歌舞伎町セブン』においては悪に手を汚した彼女に作者は救いを与えてしまうのだ。  他の作品でももとは刑事の側であった人間が、悪を強く憎むあまり、私刑を行うというまるでジェイムズ・グリッケンハウスの『エクスターミネーター』みたいなストーリーもいくつかの作品で披露している(『歌舞伎町セブン』『ハング』『ブルーマーダー』等)。  そして悪の側に手を染めるときの彼らヒーローたちのやり口は不要ではないかと思うくらい残酷だ。いくら悪人とは言え、骨を全部砕かれて丸めてカバンに押し込められて捨てられることはないんじゃないだろうか? しかしそれが読者の印象を作品にとどめるとしたら、作者は敢えて手法としての加虐を作中に執拗に反復させているのかもしれない。  本書は、刑事小説でもなく、ヒーローもヒロインも登場しない。ただただ人間が残酷に他の人間を支配し、痛めつけ、嬲り、従えてゆくだけの小説である。一家四人が消えたりする事件の一つの例として見るにはあまりにも強烈な毒と血に染められた悪魔の手法と言いたくなるほどの残酷な行動を執拗に描いた作品である。正直言って全編気持ちが悪い。  ホラーやバイオレンスが好きな人はこういう小説で狂喜するのであろうか。作者にとってこれが社会実験だとしたら、書店棚で判断する限り売れ行きは良いようなので、悲しいことに人間はそういう悪や残酷に惹かれるものを持つ存在なのだと言わざるを得ない。  この作家を読んでゆくことはやめようかな、と思わせるだけの不快を伴った読書時間であった。目を背けてはいけないと人間の悪逆さに迫りたい人にのみ許されるような小説なのだろうか。ぼくには正直、これが起承転結を持った小説であるとは、到底思えなかったのだけれども。 (2015.01.07)

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