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*殺し屋 最後の仕事 #amazon(4576111213 ,right,image) 題名:殺し屋 最後の仕事 原題:Hit And Run (2008) 作者:ローレンス・ブロック Lawrence Block 訳者:田口俊樹   発行:二見文庫 2011.10.20 初版 価格:\876  日頃どうも恵まれないとつくづく思い残念に思うのが、海外ミステリの書店ブースにおける取り扱いのあり方である。その中でも二見文庫の扱いなどはひどいものだ。扱っていればまだいい方と言えよう。  いや、もちろんこの作品の存在を季節外れにぼくが発見しなければならなかったことの非をもちろん書店にぶつけようというものではない。冒険小説フォーラムをNifty Serve(パソコン通信)に開設していた頃は、二見書房含め、多くの新刊情報を取り寄せてメンバーの皆様に紹介していたものだが、インターネットの時代が到来してからはそうした情報発信はあまり意味を持たなくなり、ぼく自身情報s取り寄せるのをやめてしまっている現状では、二見書房から、大好きなローレンス・ブロックの新作が出たときにそこに対してアンテナを立てていない自分が悪いのは重々承知。  アマゾンでの書籍購入を自分に封印して書店で必ず本を手に取り買うというアナログ手法を敢えて選択して以来、たまにこうした情報漏れが起こる。今頃になってこの大好きな殺し屋ケラーシリーズの作品を手に取ることになったのも自分の捜索意欲のなさといったところに起因するわけだ。  そして書店で今回見つけたのが殺し屋シリーズのさらに新作『殺し屋ケラーの帰郷』。それなりにショックだった。本作『殺し屋最後の仕事』でケラーのシリーズはこれが最後と思っていた。なので上記のような理由があれ、手に入ったらすぐに読んだわけではなかったのだ。じっくりそのうちと考えていたのだが、次の一冊が出てしまったではないか。『殺し屋 最後の仕事』は『殺し屋』の最後の本ではなかったわけだ。  そんな風に自分でシリーズ読書の興趣を損なうようなことばかり繰り返していながら、書店を批判することが誰にできる?   ……と、殺し屋シリーズのユーモラスな文体を真似てみたりするのも、実はこの一冊がなかなかに鋭い、カルト級の一冊だったからだ。切手の収集を趣味としつつ本職殺し屋というケラーが、何というか凄いピンチに陥る一冊。正体のわからない依頼人の仕掛けた罠にはまり、ケラーは州知事暗殺犯に仕立て上げられ、全米のメディアに顔写真を流され、その瞬間相棒ドットとも連絡が不能となり完全無欠の孤立状態となるのである。  なんてストーリー性のあるドラマチックな展開なんだろう、しかもそれが殺し屋シリーズで実現されるなんて全然思わなかった。その意外と、しかしやっぱりゴルフ場のシーンのブラックさなどは、唯一無比の本シリーズらしさで絶妙なシーンとして記憶されそう。やっぱり巨匠ブロックの名は伊達ではない。絶望の底から一転して攻勢に転じる展開と言い、プロフェッショナルな殺し屋の内部の二転三転が変わりなく語られるところに喜びを感じてしまう。  殺し屋ケラーの、いろいろな部分が語られる一冊であるが、これまでのこのシリーズはケラーが最初からプロのヒットマンとして描かれるところから始まったのだった。彼は突然降って湧いたようにわれわれ読者の目の前に出現したのだった。その過去や少年時代などまるでなかったかの如く、平凡な職業人のようにしか見えない殺し屋として。でも彼は当然、空気の中に一瞬で湧いたわけではない。彼のストーリーの中には過去も未来もあるのだ、ということを改めて驚きとともに思い出させてくれる点で、この一冊はとても愉快で興味深いものだった。  その気持ちは、もちろんこのシリーズを順番に読んできた人にしか味わえない意外性であり、起伏であると思うので、どうか連作短編集で始まる一冊目『殺し屋』から順番にお読みくださるよう、オススメいたします。 (2014.11.15)
*殺し屋 最後の仕事 #amazon(4576111213 ,right,image) 題名:殺し屋 最後の仕事 原題:Hit And Run (2008) 作者:ローレンス・ブロック Lawrence Block 訳者:田口俊樹   発行:二見文庫 2011.10.20 初版 価格:\876  日頃どうも恵まれないとつくづく思い残念に思うのが、海外ミステリの書店ブースにおける取り扱いのあり方である。その中でも二見文庫の扱いなどはひどいものだ。扱っていればまだいい方と言えよう。  いや、もちろんこの作品の存在を季節外れにぼくが発見しなければならなかったことの非をもちろん書店にぶつけようというものではない。冒険小説フォーラムをNifty Serve(パソコン通信)に開設していた頃は、二見書房含め、多くの新刊情報を取り寄せてメンバーの皆様に紹介していたものだが、インターネットの時代が到来してからはそうした情報発信はあまり意味を持たなくなり、ぼく自身情報s取り寄せるのをやめてしまっている現状では、二見書房から、大好きなローレンス・ブロックの新作が出たときにそこに対してアンテナを立てていない自分が悪いのは重々承知。  アマゾンでの書籍購入を自分に封印して書店で必ず本を手に取り買うというアナログ手法を敢えて選択して以来、たまにこうした情報漏れが起こる。今頃になってこの大好きな殺し屋ケラーシリーズの作品を手に取ることになったのも自分の捜索意欲のなさといったところに起因するわけだ。  そして書店で今回見つけたのが殺し屋シリーズのさらに新作『殺し屋ケラーの帰郷』。それなりにショックだった。本作『殺し屋最後の仕事』でケラーのシリーズはこれが最後と思っていた。なので上記のような理由があれ、手に入ったらすぐに読んだわけではなかったのだ。じっくりそのうちと考えていたのだが、次の一冊が出てしまったではないか。『殺し屋 最後の仕事』は『殺し屋』の最後の本ではなかったわけだ。  そんな風に自分でシリーズ読書の興趣を損なうようなことばかり繰り返していながら、書店を批判することが誰にできる?   ……と、殺し屋シリーズのユーモラスな文体を真似てみたりするのも、実はこの一冊がなかなかに鋭い、カルト級の一冊だったからだ。切手の収集を趣味としつつ本職殺し屋というケラーが、何というか凄いピンチに陥る一冊。正体のわからない依頼人の仕掛けた罠にはまり、ケラーは州知事暗殺犯に仕立て上げられ、全米のメディアに顔写真を流され、その瞬間相棒ドットとも連絡が不能となり完全無欠の孤立状態となるのである。  なんてストーリー性のあるドラマチックな展開なんだろう、しかもそれが殺し屋シリーズで実現されるなんて全然思わなかった。その意外と、しかしやっぱりゴルフ場のシーンのブラックさなどは、唯一無比の本シリーズらしさで絶妙なシーンとして記憶されそう。やっぱり巨匠ブロックの名は伊達ではない。絶望の底から一転して攻勢に転じる展開と言い、プロフェッショナルな殺し屋の内部の二転三転が変わりなく語られるところに喜びを感じてしまう。  殺し屋ケラーの、いろいろな部分が語られる一冊であるが、これまでのこのシリーズはケラーが最初からプロのヒットマンとして描かれるところから始まったのだった。彼は突然降って湧いたようにわれわれ読者の目の前に出現したのだった。その過去や少年時代などまるでなかったかの如く、平凡な職業人のようにしか見えない殺し屋として。でも彼は当然、空気の中に一瞬で湧いたわけではない。彼のストーリーの中には過去も未来もあるのだ、ということを改めて驚きとともに思い出させてくれる点で、この一冊はとても愉快で興味深いものだった。  その気持ちは、もちろんこのシリーズを順番に読んできた人にしか味わえない意外性であり、起伏であると思うので、どうか連作短編集で始まる一冊目『殺し屋』から順番にお読みくださるよう、オススメいたします。 (2014.11.15)

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