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*フリーファイア #amazon(right,4062775611) 題名:フリーファイア 原題:Free Fire (2007) 作者:C・J・ボックス C.J.Box 訳者:野口百合子 発行:講談社文庫 2013.6.14 初版 価格:\1,000  一作で二作分くらい楽しめる内容のツイストぶり、かつエンターテインメント性、練度を増してきたストーリーテリングの極み、それらを支える初期からのオリジナルな発想としての猟区管理官という職業。すべてにおいて、ますます重量感を増してくる様相を呈し、読者を驚かせてやまないのがC・J・ボックスという作家である。  そもそも人があまり住んでもいない、大自然ばかりのワイオミングという土地で、探偵でもない稼業の、派手でもない主人公とその一家族が、シリーズに値するほどの物語やプロットを紡ぎ出せるものなのかさえ疑問であったはず。第一作からディック・フランシスばりの小説密度で飛ばしてしまい、一体次のストーリーは創造できるのだろうかとさえ危惧される狭い人間社会と広大な自然。  解説によればシリーズ化の意図は案の定作者にもなかった、という。しかし初作より売れた、というのが現実だろう。シリーズ外作品も読み応え充分ではあるが、やはり現代のウエスタンを書ける作家は二人といないではないか。本シリーズの主人公ジョー・ピケットは、この作家が書かない限り、継続してゆく生命を手に入れることはできないではないか。出版社や編集者らの後押しにより、作者の意図に反してジョー・ピケットの物語はその後幾作も幾作も捻り出され続けてきた。  それでいて手綱を緩めず、物語という名の馬を騎手はしっかりと今も乗りこなしているばかりか、ロデオばりの曲乗りまでこなすようになった。そのツイストぶりに、ぼくは本当に驚愕している。  さてシリーズ7作目の本書は、すわ法廷サスペンスか、と思わせるような、法の抜け穴を使った完全犯罪が紹介される。この完全犯罪を成し遂げる者は劇中では法に詳しい弁護士であり、彼は四人もの人間を射殺した挙句、裁かれることがないのである。  しかし同時に本書では、ジョー・ピケットの活躍の場がイエロー・ストーン国立公園と変わっている。酔狂な知事の手により、復職と同時に事件を与えられたジョー・ピケットは、この国立公園に来るや、過去の苦い思い出との再会を果たす。これまで語られることのなかったジョーの家族のこと、父との軋轢のこと、家族愛のベースとなる運命のような彼の個人史が、本書では語られる。  火山活動をやめない猛々しい自然を売りとする国立公園に展開されるにしては、あまりに強引で、禍々しい、人間関係の業の深さも重なって、本書は二重三重の罠と、厚みに鎧われた、厄介な事件を核心に描いて進行する。  巻末解説で、折原一氏が熱狂的に賛美しつつ吠えているとおり、本作はシリーズ最高作であるように思う。それも、かつてはシリーズ化さえ考えていなかったキャラクターが、ついにここまで複雑な運命や生命を得て、新しい天地で、過去と現在の狭間の勇気を問われる、というこの状況設定力が、凄絶なのである。  真に安心して読み続けることのできる傑作クリエイターが、海外ミステリ界、いや海外冒険小説界に今明らかに立ち位置を確保して存在する、と自信を持って吠えることのできる時が、今ここに訪れた、と、ぼくはまさにそう確信している。  ちなみに、著者あとがきで、本書で取り上げられた法の抜け穴をなくす法律を作るために、上院議員たちに働きかけを開始した、とある。さらに二つのことに関しても、本書のあとに起こったことが報告されているが、イエローストーンにまつわるネタの披露に繋がりそうなので、詳細に興味のお有りの方は、実際に本作品に当たられたい。小説の影響、ということに最近富に出くわしているので、社会貢献度がどうとかではなく、小説の力ということでここに取り上げておきたい。 (2013.08.14)
*フリーファイア #amazon(right,4062775611) 題名:フリーファイア 原題:Free Fire (2007) 作者:C・J・ボックス C.J.Box 訳者:野口百合子 発行:講談社文庫 2013.6.14 初版 価格:\1,000  一作で二作分くらい楽しめる内容のツイストぶり、かつエンターテインメント性、練度を増してきたストーリーテリングの極み、それらを支える初期からのオリジナルな発想としての猟区管理官という職業。すべてにおいて、ますます重量感を増してくる様相を呈し、読者を驚かせてやまないのがC・J・ボックスという作家である。  そもそも人があまり住んでもいない、大自然ばかりのワイオミングという土地で、探偵でもない稼業の、派手でもない主人公とその一家族が、シリーズに値するほどの物語やプロットを紡ぎ出せるものなのかさえ疑問であったはず。第一作からディック・フランシスばりの小説密度で飛ばしてしまい、一体次のストーリーは創造できるのだろうかとさえ危惧される狭い人間社会と広大な自然。  解説によればシリーズ化の意図は案の定作者にもなかった、という。しかし初作より売れた、というのが現実だろう。シリーズ外作品も読み応え充分ではあるが、やはり現代のウエスタンを書ける作家は二人といないではないか。本シリーズの主人公ジョー・ピケットは、この作家が書かない限り、継続してゆく生命を手に入れることはできないではないか。出版社や編集者らの後押しにより、作者の意図に反してジョー・ピケットの物語はその後幾作も幾作も捻り出され続けてきた。  それでいて手綱を緩めず、物語という名の馬を騎手はしっかりと今も乗りこなしているばかりか、ロデオばりの曲乗りまでこなすようになった。そのツイストぶりに、ぼくは本当に驚愕している。  さてシリーズ7作目の本書は、すわ法廷サスペンスか、と思わせるような、法の抜け穴を使った完全犯罪が紹介される。この完全犯罪を成し遂げる者は劇中では法に詳しい弁護士であり、彼は四人もの人間を射殺した挙句、裁かれることがないのである。  しかし同時に本書では、ジョー・ピケットの活躍の場がイエロー・ストーン国立公園と変わっている。酔狂な知事の手により、復職と同時に事件を与えられたジョー・ピケットは、この国立公園に来るや、過去の苦い思い出との再会を果たす。これまで語られることのなかったジョーの家族のこと、父との軋轢のこと、家族愛のベースとなる運命のような彼の個人史が、本書では語られる。  火山活動をやめない猛々しい自然を売りとする国立公園に展開されるにしては、あまりに強引で、禍々しい、人間関係の業の深さも重なって、本書は二重三重の罠と、厚みに鎧われた、厄介な事件を核心に描いて進行する。  巻末解説で、折原一氏が熱狂的に賛美しつつ吠えているとおり、本作はシリーズ最高作であるように思う。それも、かつてはシリーズ化さえ考えていなかったキャラクターが、ついにここまで複雑な運命や生命を得て、新しい天地で、過去と現在の狭間の勇気を問われる、というこの状況設定力が、凄絶なのである。  真に安心して読み続けることのできる傑作クリエイターが、海外ミステリ界、いや海外冒険小説界に今明らかに立ち位置を確保して存在する、と自信を持って吠えることのできる時が、今ここに訪れた、と、ぼくはまさにそう確信している。  ちなみに、著者あとがきで、本書で取り上げられた法の抜け穴をなくす法律を作るために、上院議員たちに働きかけを開始した、とある。さらに二つのことに関しても、本書のあとに起こったことが報告されているが、イエローストーンにまつわるネタの披露に繋がりそうなので、詳細に興味のお有りの方は、実際に本作品に当たられたい。小説の影響、ということに最近富に出くわしているので、社会貢献度がどうとかではなく、小説の力ということでここに取り上げておきたい。 (2013.08.14)

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