「狙撃 by フリーマントル」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

狙撃 by フリーマントル」(2013/05/02 (木) 22:21:30) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*狙撃 #amazon(right,410216524X) 題名:狙撃 原題:The Run Around (1988) 作者:ブライアン・フリーマントル Brian Freemantle 訳者:稲葉明雄 発行:新潮文庫 1993.11.25 初版 価格:\680(本体\660)  フリーマントルっていうのは何とパワフルな作家なのだろう。日本では作家に対する「量産体制」という言葉が皮肉や批判でしか使われなかったけれども、フリーマントルと来たら量産体制もいいところであろう。しかしそれが決して悪い意味での量産ではなく、質量ともにプロの作家としての最高のものを、世界の読者に向けて供給している。なんだか英国小説界のすごさを見せつけられてしまうのである。  『消されかけた男』に始まるチャーリー・マフィン・シリーズも、 もう何と 8作目になるのだそうだ。 初期 2 作は、ともかくマフィンをマフィン足らしめている傑作であったが、 その後の 3 作はどうも通常のスパイ小説に堕落しちゃったかなあとの物足りなさでいっぱいだった。6 作目辺りから『亡命者はモスクワをめざす』でいきなり分厚い長編亡命ものに様代わりして、物語の凄みも復活したのだと思う。  やはりチャーリー・マフィンは亡命の専門家であらねばならないと思う。そして下衆な上司たちとの内部対決も売り物であると思う。マフィンの情けないような貧相な外見も、組織の中で見られる裏切りの数々も見世物であると思う。そういうすべてを前提にしたシリーズの面白さという意味では、 やはり 6 作目からこっちマフィン・シリーズは復活したと言っていいのではないだろうか?  このシリーズに限らず、シリーズというのはページの厚みが増して来たと思う。87分署然り、スカダーもの然り、ダーク・ピット然り。それでいてかつての薄いサイズのもの方が高い評価を集めているのを見ると、「サイズの厚みは作品の水増しに繋がって行く」とでも言いたくなるような一種の方程式が描けそうであるのだが、この理論をみごとに覆しているのがフリーマントルという作家であり、そこがマフィン・シリーズの面目躍如たるところであると思う。  この『狙撃』もそういう意味ではシリーズの中でもハイレベルを維持した一作であるように思う。一見本筋とは関係のないエピソードであるかに見える叙述がすべて綿密なプロットに基づいて書かれていることが、既に読みながら予想できるし、作品の終章はこういった予測を決して裏切らない。他の作品にも共通して言えることだが物語に厚みを加える上での人間たちの叙述が、ここのところフリーマントルの巧さに加速を加えていて、その独特のリズムがとても心地よかったりする。  贅沢を言えば、他の作品に先駆けてマフィン・シリーズはもう少しスピーディに翻訳して、 どんどん日本で売り出して欲しいところ。この作品だって 5 年前のもので、 その後 2 作もシリーズが出ていると知れば、ぼくなどは歯がゆさでいっぱいになる。なおかつ物語の流れが次作をを予見させられるものだけになおさらである。それに何と最新作はペレストロイカ以降の話らしい。ううむ。ワクワクなのである。  今回の暗殺者は、ロシアの架空の街での訓練に始まり (ヒギンズの『黒の狙撃者』を思い出した)、 窓辺での狙撃シーンで佳境を迎える (こっちはまるで『ジャッカルの日』ですね)。そのすべての描写に職人芸を感じさせる大作でありました。   (1994.01.11)
*狙撃 #amazon(right,410216524X) 題名:狙撃 原題:The Run Around (1988) 作者:ブライアン・フリーマントル Brian Freemantle 訳者:稲葉明雄 発行:新潮文庫 1993.11.25 初版 価格:\680(本体\660)  フリーマントルっていうのは何とパワフルな作家なのだろう。日本では作家に対する「量産体制」という言葉が皮肉や批判でしか使われなかったけれども、フリーマントルと来たら量産体制もいいところであろう。しかしそれが決して悪い意味での量産ではなく、質量ともにプロの作家としての最高のものを、世界の読者に向けて供給している。なんだか英国小説界のすごさを見せつけられてしまうのである。  『消されかけた男』に始まるチャーリー・マフィン・シリーズも、 もう何と 8作目になるのだそうだ。 初期 2 作は、ともかくマフィンをマフィン足らしめている傑作であったが、 その後の 3 作はどうも通常のスパイ小説に堕落しちゃったかなあとの物足りなさでいっぱいだった。6 作目辺りから『亡命者はモスクワをめざす』でいきなり分厚い長編亡命ものに様代わりして、物語の凄みも復活したのだと思う。  やはりチャーリー・マフィンは亡命の専門家であらねばならないと思う。そして下衆な上司たちとの内部対決も売り物であると思う。マフィンの情けないような貧相な外見も、組織の中で見られる裏切りの数々も見世物であると思う。そういうすべてを前提にしたシリーズの面白さという意味では、 やはり 6 作目からこっちマフィン・シリーズは復活したと言っていいのではないだろうか?  このシリーズに限らず、シリーズというのはページの厚みが増して来たと思う。87分署然り、スカダーもの然り、ダーク・ピット然り。それでいてかつての薄いサイズのもの方が高い評価を集めているのを見ると、「サイズの厚みは作品の水増しに繋がって行く」とでも言いたくなるような一種の方程式が描けそうであるのだが、この理論をみごとに覆しているのがフリーマントルという作家であり、そこがマフィン・シリーズの面目躍如たるところであると思う。  この『狙撃』もそういう意味ではシリーズの中でもハイレベルを維持した一作であるように思う。一見本筋とは関係のないエピソードであるかに見える叙述がすべて綿密なプロットに基づいて書かれていることが、既に読みながら予想できるし、作品の終章はこういった予測を決して裏切らない。他の作品にも共通して言えることだが物語に厚みを加える上での人間たちの叙述が、ここのところフリーマントルの巧さに加速を加えていて、その独特のリズムがとても心地よかったりする。  贅沢を言えば、他の作品に先駆けてマフィン・シリーズはもう少しスピーディに翻訳して、 どんどん日本で売り出して欲しいところ。この作品だって 5 年前のもので、 その後 2 作もシリーズが出ていると知れば、ぼくなどは歯がゆさでいっぱいになる。なおかつ物語の流れが次作をを予見させられるものだけになおさらである。それに何と最新作はペレストロイカ以降の話らしい。ううむ。ワクワクなのである。  今回の暗殺者は、ロシアの架空の街での訓練に始まり (ヒギンズの『黒の狙撃者』を思い出した)、 窓辺での狙撃シーンで佳境を迎える (こっちはまるで『ジャッカルの日』ですね)。そのすべての描写に職人芸を感じさせる大作でありました。   (1994.01.11)

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: