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*眩暈 #amazon(4758411298)題名:眩暈 作者:東 直己 発行:角川春樹事務所 2009.3.8 初版 2009.4.8 2版 価格:\1,900  札幌という地方都市だけの物語でありながら、出版一ヶ月ですぐに版を重ねる。東直己はいつの間に売れっ子作家になったのだろう。この作家の魅力は何なのだろう。  そう考える時、やはり一つの魅力は時代性だろうと思う。かつてのススキノ便利屋シリーズでは、作家の追憶の向うにあるような昔の話、それこそ1970年代のススキノあたりでシリーズを開始している。一方で本書の続ずるシリーズである私立探偵・畝原の方は等身大でリアルタイムな札幌を描く。  やがて便利屋シリーズのほうもあっという間に現代に追いついてしまったが、そこはそこで、作家から見れば利便性があったのだと思う。目的の一つは、きっとシリーズ・キャラクターを同じ時代、同じ場所に集めることで、競演を可能とすることだ。その発想がが榊原シリーズの傑作『残光』を生んだのだ。  榊原シリーズは昨年とても久しぶりに『疾走』というタイトルでひさびさの復活を遂げ、それはまた三つのシリーズのキャラクターを同じ場所同じ時代に集めたオールスターキャスト・エンターテインメントとしての役割を果たしているわけだ。  さて、本書は畝原のソロ・シリーズであるわけだが、一瞬だけ便利屋の姿がちらつく。もちろんストーリーには関係なく、ちょっとした読者サービスの形で。  畝原という私立探偵の境遇は決して明るいものではない。自分自身というよりも関わる人間たちの不幸を背負い込んで、強烈な責任感を胸に犯罪と闘ってゆくというようなメンタリティが目立つ。彼の家族の半分は犯罪の元被害者である。それゆえか、彼の行動パターンの根にあるのは原罪意識であるかに見える。被害者たちを守ることができなかったことへの激しい贖罪意識だ。  本書では、タクシーで帰宅中の真夜中に、誰かから逃げているように見える小さな少女を見かける。一瞬の迷いの後、タクシーを止めて少女を探すが、彼女の姿はとうとう見つからなかった。その少女は、翌朝、豊平川の河川敷で遺体となって発見される。 もちろん畝原に責任はない。しかし、畝原は自分が早くタクシーを止めさせればその少女の死を阻止することができたのかもしれないとの、贖罪の念に駆られる。さらにタクシー運転手の老人までが被害に合う。彼の電話に出られなかった畝原はまたも、彼を救うことのできた可能性に懊悩する。  街に生きて、事件を相手にした私立探偵などをやっていれば、そんな重たい意識を抱えていたらノイローゼになりそうだ。だが、畝原は、知恵を絞り、知人たちのネットワークを使い、空手技を磨き上げ、真犯人を追う。現代のハードボイルド、汚れた街をゆく北国の騎士である。  何作もの作品を経て作られてきた畝原ファミリーは、一方ではこのシリーズに家族愛という温もりを与えている。ススキノ便利屋は家族を取り上げられ、畝原は与えられた。その対比は一つの象徴であるように思える。家族たちの一人一人の表情が豊かに描かれ、畝原はだからこそ原罪の意識を研ぎ澄ませて行くことができるだろうと思う。  一人の等身大の中年探偵が、十分に闘いの準備をしてモチベーションをリミットにまで持ってゆき、闇の街に漕ぎ出してゆくシリーズだ。それを淡々とした日常の視点で、気負うことなく描いてゆく大人の小説。これじゃ売れないわけがない、か。 (2009/06/14)
*眩暈 #amazon(4758411298) 題名:眩暈 作者:東 直己 発行:角川春樹事務所 2009.3.8 初版 2009.4.8 2版 価格:\1,900  札幌という地方都市だけの物語でありながら、出版一ヶ月ですぐに版を重ねる。東直己はいつの間に売れっ子作家になったのだろう。この作家の魅力は何なのだろう。  そう考える時、やはり一つの魅力は時代性だろうと思う。かつてのススキノ便利屋シリーズでは、作家の追憶の向うにあるような昔の話、それこそ1970年代のススキノあたりでシリーズを開始している。一方で本書の続ずるシリーズである私立探偵・畝原の方は等身大でリアルタイムな札幌を描く。  やがて便利屋シリーズのほうもあっという間に現代に追いついてしまったが、そこはそこで、作家から見れば利便性があったのだと思う。目的の一つは、きっとシリーズ・キャラクターを同じ時代、同じ場所に集めることで、競演を可能とすることだ。その発想がが榊原シリーズの傑作『残光』を生んだのだ。  榊原シリーズは昨年とても久しぶりに『疾走』というタイトルでひさびさの復活を遂げ、それはまた三つのシリーズのキャラクターを同じ場所同じ時代に集めたオールスターキャスト・エンターテインメントとしての役割を果たしているわけだ。  さて、本書は畝原のソロ・シリーズであるわけだが、一瞬だけ便利屋の姿がちらつく。もちろんストーリーには関係なく、ちょっとした読者サービスの形で。  畝原という私立探偵の境遇は決して明るいものではない。自分自身というよりも関わる人間たちの不幸を背負い込んで、強烈な責任感を胸に犯罪と闘ってゆくというようなメンタリティが目立つ。彼の家族の半分は犯罪の元被害者である。それゆえか、彼の行動パターンの根にあるのは原罪意識であるかに見える。被害者たちを守ることができなかったことへの激しい贖罪意識だ。  本書では、タクシーで帰宅中の真夜中に、誰かから逃げているように見える小さな少女を見かける。一瞬の迷いの後、タクシーを止めて少女を探すが、彼女の姿はとうとう見つからなかった。その少女は、翌朝、豊平川の河川敷で遺体となって発見される。 もちろん畝原に責任はない。しかし、畝原は自分が早くタクシーを止めさせればその少女の死を阻止することができたのかもしれないとの、贖罪の念に駆られる。さらにタクシー運転手の老人までが被害に合う。彼の電話に出られなかった畝原はまたも、彼を救うことのできた可能性に懊悩する。  街に生きて、事件を相手にした私立探偵などをやっていれば、そんな重たい意識を抱えていたらノイローゼになりそうだ。だが、畝原は、知恵を絞り、知人たちのネットワークを使い、空手技を磨き上げ、真犯人を追う。現代のハードボイルド、汚れた街をゆく北国の騎士である。  何作もの作品を経て作られてきた畝原ファミリーは、一方ではこのシリーズに家族愛という温もりを与えている。ススキノ便利屋は家族を取り上げられ、畝原は与えられた。その対比は一つの象徴であるように思える。家族たちの一人一人の表情が豊かに描かれ、畝原はだからこそ原罪の意識を研ぎ澄ませて行くことができるだろうと思う。  一人の等身大の中年探偵が、十分に闘いの準備をしてモチベーションをリミットにまで持ってゆき、闇の街に漕ぎ出してゆくシリーズだ。それを淡々とした日常の視点で、気負うことなく描いてゆく大人の小説。これじゃ売れないわけがない、か。 (2009/06/14)

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