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*私の男 #amazon(4163264302,right,image) 題名:私の男 作者:桜庭一樹 発行:文藝春秋 2007.10.30 初版 2008.01.25 6刷 価格:\1,476  第138回直木賞には、北海道出身作家として佐々木譲と馳星周とがノミネートされており、それぞれ『警官の血』も『約束の地で』も、ぼくは大いに気に入っており、それぞれが二人の作家のベスト作品ではないかと思えるくらいだと思っている。ぼく自身このミスアンケートでは佐々木譲『警官の血』を1位に、馳星周『約束の地で』を3位に推していた。しかし、受賞作は桜庭一樹という作家の『私の男』で、ぼくはこの人をほとんど知らなかった。女流作家だというのも受賞写真を見て初めて知る。しかもこの作品の舞台の半分は皮肉にも北海道なのであった。  一読してわかるが、表現が異様に凄みに満ちている。ずばりテーマが近親相姦というところにあるせいもあるのだけれど、被災し家族を喪ったヒロインが、欠損した人生を余儀なくされてゆく描写が凄まじいのだ。  文章が巧いというのも基本にはあるのだけれど、それより何より、読者がイメージしやすい語り口であるということがこの作品のポイントなのかもしれない。抽象を積み上げることで心のデリケートな部分を描いてくるので、心に刺さる、と言えるような文章である。  だから読みやすい。もちろん緊張感が持続して疲れるところはあるのだが、ページを繰る手はなかなか止まらない。これは傑作だ。そう思って、じわじわと込み上げる何かを掴んでから、ようやく本を置いたのであった。  この作家は普段こういう作品を書かない人らしい。どちらかと言えばライトノベルとか、明るい正常な小説を書くのだそうだ。そんなことが信じられないほどの手練れである。ちょっと衝撃的なくらいに。  舞台の後半部分はすべて北海道。奥尻島と紋別というどちらも海が嫌でも目に飛び込んでくる風土。この描写がまたいい。北海道作家じゃない人が受賞したけれど、結果的にこれほど北海道を巧く書いてくれた作品が受賞したのだから、道民としては納得するしかないのである。  もう少し突っ込んでみようか。  父親と娘、その許されない愛、と切り取ってみせるだけでは、この作品を説明するに足りない。純粋なる愛情、を世界に貫こうとすれば、そこには破綻が見えてくる。誰もが純粋なる愛情を貫くことができないゆえに足掻いているこの世界の中で、それを実現する者たちは、途方もなく異端として扱われる。  ぼくにはドストエフスキーの『白痴』が見えてくる。あれは純粋なる愛情、純粋なる存在を実験しようとした小説であったと思っている。純粋人間であるが、癲癇気質の白痴であったムイシュキン公爵の子供のような無垢が際立っている。実は『私の男』のヒロイン、花にもその気配が漂う。受身で、愛だけに生きようとする存在。旅立つまでは、ずっと続いてきた培養箱みたいな暮らし。  純粋であるがゆえの生きにくさ、この小説の持つ舞台設定によって見事に描いてみせたからこそ、ここに、ドストエフスキー的矛盾を内包する自我の崩壊が生じようとするのだ。それは葛藤なんていう、生易しいものではない。運命によって篩い落とされた孤独な魂が二つだけ寄り添って、純粋なまでの愛情を共有化するこの作品の構図は、このように過酷な設定においてしか創り得ないものなのかもしれない。そうまで思わせる、考え抜かれた劇的な設定、状況と小説的素材の豊かさ、心の膨らみであり、運命の隘路なのである。  私の男、イコール父、とする小説の出だしから、読者はその奇怪さに捉われる。父と私との年齢差が16歳という奇怪さに捉われ、父の破滅的で、かつ魅力的な人物像に捉えられる。花という名の、うら若き女性の背景が語り出される時に、不条理が、悲劇が、喜劇が、どのように生み出されたかが明らかになる。  設定は、徹頭徹尾凄まじい。奥尻島の震災で家族を亡くした少女が、紋別の海上保安庁勤務の親戚の青年の養女となる。拓銀の破綻が起こり、北海道経済は底を見る。二人は、東京拘置所の近所に居を構えるようになり、娘はやがて東京の何不自由ない暮らしを送ってきた青年と結婚し、家を出る。そしてその間に二人が持つことになった秘密。  年代記のようなストーリーの向うに、奇妙な真実が見え隠れしてくるのが、本書の魁偉なところである。ストーリーを、現在から語り始め、1993年の北海道南西沖地震にまで次第に遡って描写してゆく。ついには掘り下げられてゆくのが、娘と養父との関係である。そして父娘と交錯するいくつかの不審な死が作品を鋭く発火させる。  ミステリーではあっても、謎解きではない。犯罪は語られてゆくのみである。そこには罪があり、闇に埋もれた真実がある。それらのすべてを知る者は、父娘しかいない。その彼らも、ある運命に操られ、苦しんでもがいてきたかに見える。あるいは、そもそもの最初から喪ってきたかに見える。  「欠損」という言葉がある登場事物の口から彼らに用いられる。何かが欠損した二人。欠損した同士で家族を作ることはできない。残酷な他者の言葉。主観と客観とは一体なんであるのか、そんな存在の機微までをも考えさせられる危うさに満ちてもいる。 彼らを取り巻く異様な運命。作風を通して感じる何ともいえぬ緊張感。舞台装置としての黒い海。流氷。大きなスケールと時間軸で描くために、あり余るほどの筆力を持った作者の才。それらがすべての要素がここにおいてしっかりと調和したからこそ生まれた、これは本物の傑作である。 (2008/02/11)
*私の男 #amazon(4163264302,right,image) 題名:私の男 作者:桜庭一樹 発行:文藝春秋 2007.10.30 初版 2008.01.25 6刷 価格:\1,476  第138回直木賞には、北海道出身作家として佐々木譲と馳星周とがノミネートされており、それぞれ『警官の血』も『約束の地で』も、ぼくは大いに気に入っており、それぞれが二人の作家のベスト作品ではないかと思えるくらいだと思っている。ぼく自身このミスアンケートでは佐々木譲『警官の血』を1位に、馳星周『約束の地で』を3位に推していた。しかし、受賞作は桜庭一樹という作家の『私の男』で、ぼくはこの人をほとんど知らなかった。女流作家だというのも受賞写真を見て初めて知る。しかもこの作品の舞台の半分は皮肉にも北海道なのであった。  一読してわかるが、表現が異様に凄みに満ちている。ずばりテーマが近親相姦というところにあるせいもあるのだけれど、被災し家族を喪ったヒロインが、欠損した人生を余儀なくされてゆく描写が凄まじいのだ。  文章が巧いというのも基本にはあるのだけれど、それより何より、読者がイメージしやすい語り口であるということがこの作品のポイントなのかもしれない。抽象を積み上げることで心のデリケートな部分を描いてくるので、心に刺さる、と言えるような文章である。  だから読みやすい。もちろん緊張感が持続して疲れるところはあるのだが、ページを繰る手はなかなか止まらない。これは傑作だ。そう思って、じわじわと込み上げる何かを掴んでから、ようやく本を置いたのであった。  この作家は普段こういう作品を書かない人らしい。どちらかと言えばライトノベルとか、明るい正常な小説を書くのだそうだ。そんなことが信じられないほどの手練れである。ちょっと衝撃的なくらいに。  舞台の後半部分はすべて北海道。奥尻島と紋別というどちらも海が嫌でも目に飛び込んでくる風土。この描写がまたいい。北海道作家じゃない人が受賞したけれど、結果的にこれほど北海道を巧く書いてくれた作品が受賞したのだから、道民としては納得するしかないのである。  もう少し突っ込んでみようか。  父親と娘、その許されない愛、と切り取ってみせるだけでは、この作品を説明するに足りない。純粋なる愛情、を世界に貫こうとすれば、そこには破綻が見えてくる。誰もが純粋なる愛情を貫くことができないゆえに足掻いているこの世界の中で、それを実現する者たちは、途方もなく異端として扱われる。  ぼくにはドストエフスキーの『白痴』が見えてくる。あれは純粋なる愛情、純粋なる存在を実験しようとした小説であったと思っている。純粋人間であるが、癲癇気質の白痴であったムイシュキン公爵の子供のような無垢が際立っている。実は『私の男』のヒロイン、花にもその気配が漂う。受身で、愛だけに生きようとする存在。旅立つまでは、ずっと続いてきた培養箱みたいな暮らし。  純粋であるがゆえの生きにくさ、この小説の持つ舞台設定によって見事に描いてみせたからこそ、ここに、ドストエフスキー的矛盾を内包する自我の崩壊が生じようとするのだ。それは葛藤なんていう、生易しいものではない。運命によって篩い落とされた孤独な魂が二つだけ寄り添って、純粋なまでの愛情を共有化するこの作品の構図は、このように過酷な設定においてしか創り得ないものなのかもしれない。そうまで思わせる、考え抜かれた劇的な設定、状況と小説的素材の豊かさ、心の膨らみであり、運命の隘路なのである。  私の男、イコール父、とする小説の出だしから、読者はその奇怪さに捉われる。父と私との年齢差が16歳という奇怪さに捉われ、父の破滅的で、かつ魅力的な人物像に捉えられる。花という名の、うら若き女性の背景が語り出される時に、不条理が、悲劇が、喜劇が、どのように生み出されたかが明らかになる。  設定は、徹頭徹尾凄まじい。奥尻島の震災で家族を亡くした少女が、紋別の海上保安庁勤務の親戚の青年の養女となる。拓銀の破綻が起こり、北海道経済は底を見る。二人は、東京拘置所の近所に居を構えるようになり、娘はやがて東京の何不自由ない暮らしを送ってきた青年と結婚し、家を出る。そしてその間に二人が持つことになった秘密。  年代記のようなストーリーの向うに、奇妙な真実が見え隠れしてくるのが、本書の魁偉なところである。ストーリーを、現在から語り始め、1993年の北海道南西沖地震にまで次第に遡って描写してゆく。ついには掘り下げられてゆくのが、娘と養父との関係である。そして父娘と交錯するいくつかの不審な死が作品を鋭く発火させる。  ミステリーではあっても、謎解きではない。犯罪は語られてゆくのみである。そこには罪があり、闇に埋もれた真実がある。それらのすべてを知る者は、父娘しかいない。その彼らも、ある運命に操られ、苦しんでもがいてきたかに見える。あるいは、そもそもの最初から喪ってきたかに見える。  「欠損」という言葉がある登場事物の口から彼らに用いられる。何かが欠損した二人。欠損した同士で家族を作ることはできない。残酷な他者の言葉。主観と客観とは一体なんであるのか、そんな存在の機微までをも考えさせられる危うさに満ちてもいる。 彼らを取り巻く異様な運命。作風を通して感じる何ともいえぬ緊張感。舞台装置としての黒い海。流氷。大きなスケールと時間軸で描くために、あり余るほどの筆力を持った作者の才。それらがすべての要素がここにおいてしっかりと調和したからこそ生まれた、これは本物の傑作である。 (2008/02/11)

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