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*出走 #amazon(4152082348,text) #amazon(4150707383,text) 題名: 出走 原題: Field of 13 (1998) 作者: Dick Francis 訳者: 菊池光 発行: 早川書房 1999.8.31 初版 価格: \2,000  日本の作家は月刊誌向けに多くの短編集を書き、それがハードカバーにまとめられては何冊もの書籍となって世に出てゆく。必ずしも作家の全部がそうとは限らないものの売れっ子作家であれば、月刊文芸誌のページの中に大抵は名前を見つけることができる。日本の作家は日常的に短編の腕を試されている。  だけど海外の作家は短編集が少ない。基本的に長編作家が短編を書く腕を持ち合わせていないのかもしれない。わび寂びで売ってきた日本語文章の行間を読ませる技といったものは英語圏には不向きであるのかもしれない。  しかしジョイスの『ダブリン市民』やサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』は連作短編集であったし、ヘミングウェイ、ハメットなどのハードボイルドの系譜を作ってきた作家も短編を実に多く書いている。最近ではローレンス・ブロックの短編集3冊がそんじょそこらの長編に負けないだけの耀きを放っていたものだ。  そしてディック・フランシスである。彼は長編作家だから、基本的に短編小説が少ない。一冊の本にするために5作も書き下ろさねばならなかったほどに、持ち分は少なかったのだ。35年のキャリアの中でわずかに8作。これがフランシスの事情だった。  だから日本の作家が年に一冊の本ができるくらい短編小説を量産している感覚でこの短編集『出走』のなかの短編群を見ることはぼくにはできない。永い年輪を経てその折々に書かれたものの集積がこの短編集であり、今のところディック・フランシスのおそらく唯一の短編集となりそうな気がしてならない。  だからこそ物語の一つ一つに込められた作者の気持ちが重く感じられる。短編集なのになぜ? と思われるほど人物造詣を書き込まねば済まない作者の側のソウルをぼくは感じてしまった。逆にこんなに重くしなくてもと思うほどの重たい作品が多い。簡単に読み流せない短編の重さということを、ひさびさに感じさせられた。そういう意味ではなんだか目の覚めるような一冊であった。 (1999.12.26)

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