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*ストレートタイム #amazon(4042784011,right,image) 題名:ストレートタイム 原題:No Beast so Fierce (1973) 作者:Edward Bunker 訳者:沢川進 発行:角川文庫 1998.9.25 初刷 価格:\920  アメリカでは犯罪にまつわる小説は否応なく大量に作られていると思うけれども、その中でいったいどれだけの作品が犯罪者の側の追い込まれた心の側に立って書いているかと考えてみると、少し首を傾げざるを得なくなる。アメリカ人を悪くは言いたくないのだけれど、彼らの言うアメリカの正義にはいつもたまらなく能天気な部分があって、それが彼らの映画をつまらなくする一方であるような気がする。  アメリカン・ニューシネマ全盛の頃に最も多く映画館に足を運んだ世代であるぼくにとって、アメリカの正義は一方で救いようのない欠陥を秘めているように思えたものだし、それは今、バンカーの小説を手に取ったときにまざまざと甦ってくる種類のものでもある。  『ドッグ・イート・ドッグ』は1996年の作品であり、本書に比べればまだまだ娯楽色の強い作品だと言うことができるけれども、本書はより研ぎ澄まされた刃の鋭利さに満ちていて、底深く、危険極まりない小説である。  一つにはアメリカン・ニューシネマの同時代である1973年の作品であること。書かれ始めたのはもっと遡って、バンカーの服役時代のことである。まだ作家になる前の一囚人に過ぎなかったバンカーが自身の不毛の半生に夢の翼を与えて外の世界を飛び立たせたような作品が、これなのだ。  ダスティン・ホフマンによって映画化された作品らしいのだが、いっぱしのダスティン・ホフマン・ファンを気どっていたぼくでさえ、『ストレートタイム』という映画には恥ずかしながら覚えがない。  世界のシステムに取り残され弾かれてゆく「前科者」という存在はアメリカ特有のものではあるまい。人間に更正の道がなく、食べるための労働の機会さえ与えられない。ましてや舞い戻ってくるしかない刑務所が人間の魂を消耗させるためだけの施設であり続ける。システムそのものの悪と、システムを構築する側のより巨悪と言えるだけの無恥。  黒沢明原作の映画『暴走機関車』の脚本を書いたというバンカー。映画の中でジョン・ボイトが戦うのもそういう目に見えない巨悪であったし、その戦いはとても不毛に見えてならなかった。そこにはむしろ悲しみばかりがあり救いのなさが目立っていた。本書がまるきり同じだとは言いたくないが、良心を実践する機会を奪われた人間たちの悲劇については、非常に強く描かれている。  犯罪の裏側の真実を追うためには大変貴重な本だと思う。 (2003.01.02)
*ストレートタイム #amazon(4042784011,right,image) 題名:ストレートタイム 原題:No Beast so Fierce (1973) 作者:Edward Bunker 訳者:沢川進 発行:角川文庫 1998.9.25 初刷 価格:\920  アメリカでは犯罪にまつわる小説は否応なく大量に作られていると思うけれども、その中でいったいどれだけの作品が犯罪者の側の追い込まれた心の側に立って書いているかと考えてみると、少し首を傾げざるを得なくなる。アメリカ人を悪くは言いたくないのだけれど、彼らの言うアメリカの正義にはいつもたまらなく能天気な部分があって、それが彼らの映画をつまらなくする一方であるような気がする。  アメリカン・ニューシネマ全盛の頃に最も多く映画館に足を運んだ世代であるぼくにとって、アメリカの正義は一方で救いようのない欠陥を秘めているように思えたものだし、それは今、バンカーの小説を手に取ったときにまざまざと甦ってくる種類のものでもある。  『ドッグ・イート・ドッグ』は1996年の作品であり、本書に比べればまだまだ娯楽色の強い作品だと言うことができるけれども、本書はより研ぎ澄まされた刃の鋭利さに満ちていて、底深く、危険極まりない小説である。  一つにはアメリカン・ニューシネマの同時代である1973年の作品であること。書かれ始めたのはもっと遡って、バンカーの服役時代のことである。まだ作家になる前の一囚人に過ぎなかったバンカーが自身の不毛の半生に夢の翼を与えて外の世界を飛び立たせたような作品が、これなのだ。  ダスティン・ホフマンによって映画化された作品らしいのだが、いっぱしのダスティン・ホフマン・ファンを気どっていたぼくでさえ、『ストレートタイム』という映画には恥ずかしながら覚えがない。  世界のシステムに取り残され弾かれてゆく「前科者」という存在はアメリカ特有のものではあるまい。人間に更正の道がなく、食べるための労働の機会さえ与えられない。ましてや舞い戻ってくるしかない刑務所が人間の魂を消耗させるためだけの施設であり続ける。システムそのものの悪と、システムを構築する側のより巨悪と言えるだけの無恥。  黒沢明原作の映画『暴走機関車』の脚本を書いたというバンカー。映画の中でジョン・ボイトが戦うのもそういう目に見えない巨悪であったし、その戦いはとても不毛に見えてならなかった。そこにはむしろ悲しみばかりがあり救いのなさが目立っていた。本書がまるきり同じだとは言いたくないが、良心を実践する機会を奪われた人間たちの悲劇については、非常に強く描かれている。  犯罪の裏側の真実を追うためには大変貴重な本だと思う。 (2003.01.02)

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