「聞きましたよ、安東さん。もうすぐ待望のお子さんが産まれるそうですね」
安東が声を掛けられたのは、日課のロードワーク中やった。おめでとうございます、と
微笑みながら併走してくる、同業のプロ野球選手。
それは一見とても穏やかで和やかな光景のはずや。だがしかし、このとき安東は戦慄を
覚えとった。なぜなら自分に近寄ってきた選手とは…黒い噂が絶えない、ファルコンズの
柳沢やったからや。
「見逃してくれ、ヤナギ。知ってのとおり俺は近いうち父親になる身なんだ」
「おやおや、どういう意味です安東さん」
「ただでさえ俺はスタメン落ちしている、こんな状況で体調なんて崩すわけには」
「もしも」
足を止めて懇願するような目を向ける安東に、柳沢は冷たく言い放った。
「もしも男の子が産まれたら、トロワって名前はどうでしょう。インパクトありますよ」
安東トロワ。アン・ドゥ・トロワ……フランス語で1・2・3という意味や。
安東は全身を覆い尽くす悪寒に耐えた。歯を食いしばって必死に堪えた。それなのに
柳沢は容赦なく追撃を加えよったんや。
「女の子が産まれたら、ナツって名前でいかがです?こちらはちょっと普通ですけどね」
安東ナツ。あんどーなつ……ずいぶん甘ったるそうな響きやないか。安東の精神はもう
限界やった。がっくり膝をつき、前のめりに倒れこむ。
薄れゆく意識の中で安東は、柳沢が悲しそうにつぶやくのを聞いた気がした。
「あんたもハズレか。俺と対等にやりあえる強者はもういないのかもしれないな」
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