No.02 戦え!選ばれし子供たち!(文字通りの意味で)
長いことオリジナルデジモンストーリー掲示板・同NEXTに付き合ってきた私は思う。そこに投稿される小説の内容には、ある程度傾向や偏りがあるように見える。それらは時代と共に移り変わってきたが、一番多かったのは、アニメシリーズ(さらに細かく言うと第一作目デジモンアドベンチャー)のフォーマットに乗っ取った作品群なのだろう。
全盛期の頃は「アニメフォーマット」に次ぐ勢力として「デジモンのみ人間なし」の小説や、ゲーム(主にデジモンワールド初代が多かった?)のフォーマットに習った作品も結構な数が存在したが、年を経るにつれて見かけなくなっていった。
そんな中で、アニメフォーマットから大きく外れる作品も結構な数が存在する。その中でもとくに分かりやすく逸脱しているのが「人間が戦っちゃう」作品だ。ようやく本題である。
基本的にアニメシリーズの人間キャラ達は敵デジモンに対して自ら積極的に攻撃する事は稀だし、それで効果的なダメージを与えることも滅多にない(※1)。が、オリスト界隈では人間キャラがデジモンと同列の戦闘要員として扱われている作品が存在する。それも1ジャンルとして数えられるんじゃないかって数が。
何故こんなに増えたのか。ごちゃごちゃ考えた末の私の暫定的結論は「その方がかっこいいから!」であった。モンスターものなのに、その中でデジモンと戦える人間が存在する。と言うのは公式のデジモンアニメでは絶対に見られない光景であり(※2)、特別感が漂っていてなんだかイカス。進化させたら後は「がんばれグレイモンー!」と応援するか、良くて戦法などを指示するくらいしかできない普通の人間キャラと違ってなんかイカス!と思った作者達が多かったのではなかろうか、と思うのだ。
私が2000年夏に初めて掲示板を覗いた時、その頃特に人気があった小説は主人公をはじめとした人間キャラがガンガン戦う作品だった。人間キャラ自らが戦う小説はその作品唯一無二ではなく、既に特別珍しいものではなかったように記憶している。以後の時代でも「邪道だ」と排除されることもなく、一定の支持を得ている作品の中には、人間キャラが自ら戦う作品が常に存在していた。こんな環境から入った人は「人間キャラ自らが戦う」という掟破りに対する抵抗も薄れ、本人もそういう展開に手を出す事もある。私の処女作も主人公がナイトモンのベルセルクソードを振り回して戦っていた。
誰が最初に思いついたのかは知らないが、先人達の手によって「戦う人間キャラ!そういうのもありなのか!」と目から鱗の落ちた人々の手によってカッコいいバトル人間キャラは次々と登場し、オリスト掲示板に華を添えていった。
しかしよく考えてほしい。モンスターもの、より広い範囲を指す言葉を借りるなら「バディもの・パートナーもの」で、主人公がパートナーと同じ役目をこなしてしまったら、それはパートナーのアイデンティティの崩壊ではないのか?のび太が危機に直面するたびに自分の腹から状況に応じた秘密道具を取り出してしまったら、ドラえもんは未来からやってくる必要がなくなる。(※3)
さらに、作品内で「戦う人間キャラ」を一点物ではなく複数量産してしまうと自体はよりエスカレートしていく事もあり得る。そう、人間VS人間の直接戦闘と言う事態が発生しうるのだ。こうなると作品内でカメラの焦点が合わせられるのは戦っている人間同士になり、「デジモン」は背景となり下がる。当然、「デジモン小説」と呼ぶには厳しくなり、「格闘もの」「能力バトルもの」になってしまう。少なくとも、その戦闘パートの間は。
そして、ことによると「デジモン」の四文字が消え去るのは人間同士の戦闘が発生している間だけに止まらなくなる。バトルものに置いて、直接戦場に立つキャラは大抵、物語に置いてそれなりのウェイトを占めている。彼らの戦いの勝敗によって、物語の行方は左右されていく。そういったポジションにいるキャラが人間キャラばかりだった場合、戦闘以外のパートでも描写されるのは人間キャラの事ばかりになってしまい、やがてデジモン達は常時背景と化していき、作品内での存在感は無に等しくなっていく。作品内にやがてデジモンの居場所はなくなってしまうだろう。
話が相当飛躍してしまった。ただ「戦う人間キャラかっこいい!」という感情のままに戦闘可能な人間キャラの人数やその戦闘シーンの割合を増やし続けていくと、作中でのデジモンの存在感が薄くなっていくという事は十分あり得ると思う。
作者達に対する警告のようなコラムになってしまったが、実のところ「戦う人間キャラ」を増やしまくる事を否定できない。前述したようなデジモンの存在感が薄くなってしまった小説をいくつか読んだことがあったが、それらの中には面白い作品が多数あったのだ。こんなコラムを書いた私自身だって、処女作は人間が戦っていたし、今でもそういうデジモン小説を考える。「戦う人間キャラかっこいい!」という感情は否定できないのだ。
それでも作品を読んだり考えているときにフッと「これデジモンでやる意味なくね?」という疑念が浮かび、急に萎えてしまうときもある。「面白ければそれでいい」なのか、「面白くても許しちゃいけない」なのか。定期的に湧き上がってくるこの感情をコラムという形で発散してみた。
そもそも公式が「それデジモンでやる意味あるの?」(※4)を続けてはや○年という状況下で、こんなことを悩むのは馬鹿らしいって気もしてくるが…。
by ut
※1 例外はデジモンセイバーズの大門大。自ら敵デジモンを直接ぶん殴りに行き、そのまま拳の一撃でひるませるどころか敵を派手に転倒させることが日常茶飯事だった。
※2 デジモンセイバーズでほぼ毎回見ることが出来ましたね。それ以前にはデジモンテイマーズで李健良がハンギョモンをタイマンで勝利しちゃったり、以後にはデジモンクロスウォーズでゼンジロウがスターソードを手に奮闘したりと、公式媒体でも意外と多かったりする。
※4 最新版の「これでデジモンでやる意味あるの?」は毎週火曜7時27分にテレビで見れる。見れない週もまれによくある。筆者は大好きだよ!