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オリスト掲示板十二年史 


著者:ネットスター


 はじめに

 読者の皆さまには突然と思われるかもしれないが、デジモンウェブ、主にオリジナルデジモンストーリー掲示板(以下:オリスト掲示板)について、現在に至るまでの歴史を改めて、大まかではあるが振り返った記事を書いてみたい。
 なぜいきなりこんな事を思い立ったのかというと、私ネットスターが昨年、デジウェブデビューから十年の月日が経過し節目を迎え、自己整理として今一度この掲示板について語りたいという事。もう一つは今現在オリスト掲示板で活動している作家の方々や、頃年に同掲示板を知り、デジモン小説に興味を持った人達に、改めてこの掲示板の空気感を味わってもらいたいからである。

 さて、そろそろ本題に入りたいと思う。
 デジモンウェブデジモン掲示板のビッグバン、創生の時期は想定されるに1999年初頭あたりである。人知れず開設された掲示板は長い歴史をスタートしたのだ。
 当時はまだ、メイン掲示板のみでオリスト掲示板は存在しなかっただが、メイン掲示板でオリジナルストーリーを投稿する冥王達が現れた。
 そういった動きを受けてなのかはわからないが、公式としては異例の、二次創作を推奨する掲示板、オリジナルストーリー掲示板が同年に開設された。
 かくしてデジモン小説を書くもの達が次々と現れ、オリスト掲示板の始生代が始まった。

 この太古の時代の人々は現在オリスト掲示板では活動しておらず、予想の域を超える事は出来ないが、次第に様々なデジモン小説が生まれ、その量を増やしながら原生代を過ごしたのだと思う。


 そういった土台を築きつつ、オリスト掲示板開設から一年、ついにこの時代を迎える。
 デジモン小説大爆発、カンブリア紀──黄金期である。
 2000年、夏季──最盛の時を迎えたオリスト掲示板では、数え切れないデジモン小説作家と作品で溢れ返っていた。
 この状況を生み出した要因はいくつか挙げられる。時代はデジモンアドベンチャー無印が好評終了後、デジモンアドベンチャー02が放映中であり、その夏公開された同アニメの劇場版は歴代最長の上映時間になるなど、人気の絶頂を迎えていた。
 加えてBANDAI(現:バンダイナムコゲームス)は当時、デジモンウェブの宣伝にかなり積極的であり、宣伝は携帯機やフィギュアの箱から説明書、Vジャンプ、攻略本などありとあらゆるデジモン関連商品でされていた。そしてインターネットの普及が急加速を始めたのが2000年であり、そんな年の夏、長期休みで暇な子供達がネットに繋がったパソコンを前にしてする事は決まっている──デジモンウェブに行く事だ。

 別記事で以前も話したが、全盛期という名に負けず劣らず、掲示板の盛り上がりは異常であった。一日を通して書き込みをしている人数は百人ほどいたのではなかろうか。自分の書き込みは次の日には、大量のスレによって気が遠くなるほどページが奥へ流され、見つけ出す事は困難になり、ネット回線が貧弱な時代、しかも大人数の書き込みよってパンク寸前のサーバーの動作はかなり重くなっており、スレ巡りを慣行する者はほとんどいなかったであろう。
 時間帯によって投稿されている小説や掲示板で話している人達がガラリと変わるのも特徴の一つで、自分はテレホーダイ(※一)を利用していたため、料金が定額になる深夜に投稿していたのだが、時たま親の留守を狙い、昼間に掲示板を覗いてみるとガラリと利用者が変わっており、新鮮な気分になったのを覚えている。

 当時の平均年齢は恐らく小中学生が大半だと容易に予想出来、投稿されていたデジモン小説は、ほとんどが台詞だけで構成されている、後に台本書き(※二)と呼称される形式が全てだった。内容はオリジナル人間キャラを使った形式が主流の現在とは大分違い、オリジナルの比率をかなり低くするほど、アニメキャラの二次創作、ギャグ小説が犇めき合っていた。
 小説など普段読まない子供達が創作した代物なので、小説と呼べるかわからないほど出来はお粗末である。この時期、掲示板にドップリ使っていた自分には、この時代に小説を書いていた子供達の思想が手に取るようにわかる。要は“自分の脳内にあるアニメ”を誰かに見てほしかったのであろう。傍から見ればよくわからない文字の連なりも、当人の頭の中には、さぞ立派なアニメ映像が流れていたに違いない。
 もし、自分の脳内アニメをそのままアウトプットし、ネットにアップ出来るトンデモ装置があったなら、この掲示板には早々に氷河期が訪れたであろう。

 お粗末なのは小説の完成度だけではなかった。
 俗に言う感想乞食と言われる行為が、この時代では普通であった。誰かれ構わず目に映る作品全てに「面白かったです僕の小説も読んでね」とレスしまくるのが日常茶飯事である。別にこのこの行為そのものは間違ってはいないと著者は思う。しかしこの場合、実際小説を本当に全部読んでいるかはかなり怪しいといえた。
 驚くべきスピードでスレが流れていくので、一日に同じ小説を何回もコピペして投稿されており、この行為を当時の住民は“再放送”と呼んでいた。
 余談ではあるが、ネットに慣れてきた彼らはホームページビルダーなどを駆使し、自分のHPを作るもの達がかなり増えており、この時期にかなり大量のデジモンサイトが生まれ、存在していた。共同チャットなども外部で作られ、デジウェブから離れていくもの達もいた。

 盛り上がりの中、暑い夏は気候の変化と共に終わりを知らせていく。
 そして同年、2000年の秋頃に掲示板に大きな変化が起こる。掲示板がリニューアルされる事になったのだ。リニューアル、といっても今までの掲示板はテスト版という事になっており、それとは別に正式な掲示板を作り、そちらに移行という形であった。
 掲示板正式化に伴い変更された点は以下より。

 ・会員登録制となり、入室する際にはパスワードを入力。
 ・登録したHNがデフォで表示され、名前の記入が不要。
 ・不適切なユーザーの入室制限機能。
 ・メイン掲示板、オリスト掲示板の他に、おはなし掲示板(※三)の設置。
 ・キーワード、IDでの記事の検索が可能。
 ・掲示板の入り口が大幅にリニューアル。

 新掲示板の稼働が開始しても少しの間は旧掲示板が使え、人もそれなりに残っていた。会員員制となった新掲示板への入室方法(※四)が当時の年齢の子供達には多少難しく、旧掲示板に難民が流れこんでいた。
 同時期、旧メイン掲示板では熱い夏の青春をここで過ごした住民達が、掲示板との送別会などを行っており、「せめて記事だけは残してほしい」とウェブマスターに訴えていた。結果、トップのリンクからは暫くして消えたのだが、旧掲示板自体は完全消滅する事はなく、住民の希望通りネット上に残った。
 しかし2011年現在も正式掲示板が完全消滅した後も、なぜかこの旧掲示板は生存しており、10年以上の月日を経た今、住民にとって当時の掲示板の記事など黒歴史以外の何物でもなかった。これが後に「ウェブマスター空気読みすぎ事件」と言われる事件である。

 かくして夏が終わり、新掲示板の誕生によってかつての無法地帯振りはいくらか収まり、全盛という黄金の輝きは次第に色褪せていく。
 出来はお粗末だったけれども、この時代に衝動だけで作られた作品には、言葉では表せない何かがあった。それが少年少女達の夢なのか、情熱なのかはわからない。今となっては皆がいい歳となったが、彼らの一瞬の煌めきのような作品群に、心惹かれてしまうのは私だけであろうか。


 2001年、未だ大海原を愉快に泳いでいる住民がいる中、一部の作家達が浅瀬から陸に上がり始める。「」前の名前を消し、台詞以外に描写を付けくわた──台本書きをやめたのだ。
 この頃から多少ではあるが、小説を書く技術というものも読者の興味の対象となってきた。
 しかし、わかりやすさなどのメリットを考慮し、描写を増やしても「」前の登場人物名を削らないという拘りを持っていた作家もいた。

 この年になってからは急激にオリジナルが増加傾向にあった。
 そんな時代で特筆すべき作品がある。湖岳有志氏の『NEW WORLD』という作品だ。この作品以前『僕らの鐘』というアニメ二次創作の人気作品を書いていた湖岳氏が、住民からのキャラ募集で大量のオリジナル人間キャラを使った作品だった。
 元々人気作家でもあり、作品にキャラを提供した読者などを中心にして人気は爆発的に広がった。その人気は収まらず、オリスト掲示板、否、デジモン小説界ひっくるめても恐らく初であろうファンサイトが作られるほどであった。
 このサイトには、オリスト掲示板の作家であった紺碧氏(※五)による恐ろしく素敵なキャラクターイラストが展示されていた。当時、同じくオリジナルキャラの脱台本書きの小説を書いていて、密かに湖岳氏に嫉妬し、ライバル心を燃やしていた著者も黙ってはいられなかった。全盛期、頭にアニメを思い浮かべていた著者に、何か夢に近づいたような、只ならぬ、すさまじい衝撃を受けたのを覚えている。
 ストーリーの面白さとキャライラストの具現化というダブルパンチで、この作品は後続の作家達にも相当な影響を与えたであろう。


 2002~3年、本格的に様子がおかしくなってくる。一部の作家が二足歩行を始めたのだ。
 掲示板の人口は全盛期の半分ほどになっていたが、たどたどしい歩みを見せていた脱・台本書き作品は、きちんと小説と呼べるような作品となって、少しではあるが投稿され始める。(もちろんまだ台本書きの作家もいる)
 その代表としてはやはり、現在でも人気作家であるENNE氏が2002年に衝撃的なデビューを果たした事が大きく影響するだろう。当時の読者達にとって、ENNE氏のスキルは飛びぬけていた。同じくスキルの高い作家、WAR-GLAY氏、スラモン氏の三強がこの時代猛威を奮っていた。
 この三人の驚くべき功績とは、小説の面白さ、技術は固より。特記すべくはその“継続力”であるといえよう。台本書きでない小説、且つ百話以上にも渡る長編デジモン小説をきちんとラストまで描き切った非常にレアな作家様達である。しかも更に拍手を送りたくなるのが、現在でも三氏は、全盛期に比べてペースは落ちるものの、今日までデジモン小説を書き続けている事だ。
 この三人の誰かに影響を受けてデジモン小説を書き始めたという作家は後を絶たず、オリスト掲示板史上最も作家を生みだした方達である事は間違いない。
 こうしてばら撒かれた種によって矢崎真名氏などの独特の雰囲気を持った作品を投稿する作家様達が現れてきて、台本書きは衰退の一途を辿り、作品の多様化が進む。


 2004~5年、ホモ・サピエンスは高度の文明社会を創造する。
 デジモンのアニメシリーズの一時終了に伴い、公式の人気は少なからず低下しており、そういった影響を受けたオリスト掲示板も過疎化が進んできた。しかしそんな荒波を逆行するかの如く、掲示板は進化を続けたのである。

 人口はかなり冷え込んだものの、小説のクオリティーが格段にあがり、台本書きもほぼ完全にといっていいほど消滅していた。作品の内容も、作家の年齢層が高くなったためか、大人向けの趣で書かれた、いわば変則的な作風が流行しだす。この時辺りから、変則的ではない小説を王道などと呼ぶようになった。(王道小説の定義などは長くなりそうなので割愛)

 この時代を代表する作家達と言えば、それぞれデビュー年は異なるが、tani氏、平野鮎太氏、ヒロコプ氏、ut氏、観測員108号氏などが上げられる。
 tani氏、平野鮎太氏、ヒロコプ氏はこの時代から本格的なクロスオーバープロジェクトを始動させ、読者達に衝撃を与えると共に、新しい歴史を築いた。
 作品の傾向は、黄金期の住人が見たら思わず目を背けてしまうほどの文章量のウェイトを持つ作品や、アニメが放送されるなら絶対深夜と思わされる作品、とあるミステリー作家に濃く影響を受けた作風など、そのどれをとってもオリスト掲示板の変化を確認させられる。

 レベルが高いのは作品だけではない。感想も、ちゃんとした批評となっており、辛口と思われそうなアドバイスなどのやり取りもバシバシと行われていた。さながらデジモン小説道場である。
 しかし、人が少ないせいか作家達の好みが如実に表れ、感想が全くもらえずにいる作家も存在し、感想のやり取りをしている作家達に良い印象を持たない作家も現れる。今日まで話題に上がる身内臭問題もこの頃から囁かれるようになる。


 2006年、一部の人類が地底へと移動する。
 共同絵チャット、メイスタ(※六)にてデジモン小説作家の常連が集う事が多くなっていた。
 デジウェブ常連や外部での活動を行っている者達で、デジモン小説家集団"Dimon.Novel.Crew(略してDNC)”が結成される。
 チャットに初めて来た人が、その流れでオリスト掲示板にデビューという逆輸入的な流れも見られた。
 大合作企画“D:∀”などの企画が始まってチャットは盛り上がっていたが、それに反して掲示板は、ポツポツと小説が投稿される程度であり、一か月前のスレッドも容易に閲覧できるほど投稿ペースは低下していった。


 2007~8年、新人類誕生へ。
 アニメも1シリーズだけで終了してしまい、オリスト掲示板はついに、というべきなのだろうか。大氷河期を迎えてしまう。黄金期とは全く正反対な時代──白銀時代の始まりである。
 一時期は夏P(当時:夏風)氏が一人で投稿を続けるという事もあった。彼が首の皮一枚でオリスト掲示板を存続をさせてくれたのかもしれない。
 古参のHP内掲示板には、オリスト掲示板の作家ではない謎の人物が、過疎化が進んだオリスト掲示板に戻ってきてくれという書き込みを行う活動が見られた。

 そして追い打ちをかけるように、デジモンウェブのリニューアルに合わせ、掲示板へのリンクがトップから抹消されてしまう。掲示板への行き方は、トップ→サイトマップ→掲示板。といった、さながら裏サイトのような扱いになってしまった。
 しかしそういった過酷な環境でこそ、人は進化するのである。
 この状況でどんな理由があってデビューししたのかわからない(褒め言葉)作家達がちらほらとオリスト掲示板に小説を投稿し始めた。そしてその中の一人、ムシクイ氏が開設したチャット、オハナシドリル(※七)にて、白銀時代の作家達が集うようになる。そしてその後、そのメンバーによってて立ちあげられたのが共同企画「プレジャム!」である。
 そのプレジャム参加者がそのまま、白銀時代を代表するメンバーとなっており、本来ならば企画名のはずだったが、DNCとの差別化する意味合いも含め、その代表作家達の事を「プレジャムの〇〇さん」などとグループ的に呼称されるようになる。
 プレジャムの皆さまは、この白銀と呼ばれた時代に、これまでのデジウェブの歴史の流れに沿うように、クオリティーの高い作品を投稿し続け、企画も立ちあげて盛り上げてくれた事は言うまでもないだろう。

 この時の常連であるプレジャムと古参のDNCの間には、何か見えない線が引かれているようだった。互いの名前は知っており、小説も読んでいるけど、交流はほとんど行われていなかったのである。
 しかし、その両者が会合を果たす時が、オリスト掲示板史上、最大の事件と共にやってくる。


 2009年、地球滅亡。そして新たなる大地への移住。
 忘れもしない同年、2月13日。デジモンウェブにて、デジモン掲示板のサービス終了が告げられた。
 悲しみもさることながら、問題なのは、これからどうするかという事であった。代理の掲示板を作るにも、DNCのメンバーとプレジャムのメンバー、それぞれが掲示板を作ってしまったら、完全に両者は分断してしまいかねないという事態に陥った。
 この緊急事態に、著者である私ネットスターが単身、オハナシドリルに行き、プレジャムとの初接触を果たした。そして掲示板閉鎖の知らせが出た当日から二日に渡って、集められるだけのデジモン小説作家を一同に会し、大会議が行われた。

 会議の末、生み出される事となった後続の掲示板、それが我々デジモン小説家の新たな住処、「オリジナルデジモンストーリー掲示板NEXT」(以下:ネクスト掲示板)である。

 そしてやってきたラストデイ、2009年3月26日を迎える。掲示板には最後に次々と、常連、または最近は小説を投稿していなかった古参のメンバーが投稿を続ける。
 そしてその中、見た事ない作家名の投稿も幾つか見れれた。オリスト掲示板に一回も投稿する事のなかったROM専の方々が、最後という事で小説を投稿していたのだ。
 自分達の知らない所で、デジモン小説が好きな人がいた事への驚きと共に、嬉しさがこみ上げてきた。

 オリスト掲示板最後の盛り上がりを見せ、オリスト掲示板は最後の日を終えた。
 (稼働終了日を超えても、ウェブマスターの数か月は掲示板に何も変化は起こらないという失態を運営は起こしていたが、誰も小説は投稿しなかった。)

 かくしてネクスト掲示板が、オリスト掲示板の稼働終了の次の日、3月27日より、始動する事となる。
 稼働開始後、驚くべき事は、公式→非公式化にも関わらず、ごっそりそのまま旧オリスト掲示板の住人の引っ越しが出来た事だ。
 そして、昔小説を投稿していた作家達も戻ってきたり、DNCとプレジャムの垣根もなくなったりと、掲示板はそれまでよりも活気づく事になった。
 オリスト掲示板の閉鎖は悲しみよりも大事のものを我々に与えてくれたのかもしれない。

 作品の動向は、NEXT投稿第一作目である、Q太郎氏の「グーグードールズの使命」からもわかるように、レベルが高いままであった。文章量が重たくなってきた傾向に、同じく昔から文字数などがすごい事になっていたtani氏に、時代が追いついたとも密かに囁かれていた。


  2010年、ネクスト掲示板から発足から一年。ネクスト掲示板は完全にオリスト掲示板の代わりとして存在していた。そして入室パスもなくなったからか、新人作家のデビューと活躍も目立った。
 オリスト掲示板と大きく変わった点の一つに、企画目録が経ちあげられるようになった事があげられる。最近イラストSNSなどでは、定番化している投稿企画。初めて立ちあげられたのは、この年度の前年、メカ道楽氏による『ホラー企画』であった。
 その後、特に2010年もSSSや、少し特殊な匿名企画「ネクストクエスト」など凝った企画も盛り上がる。
 同時に、公式でなくなり、掲示板のシステムやローカルルールも、運営や利用者が変更出来る立場になった事から、掲示板の在り方を求めて激しい意見のぶつかり合いも見られるようになった。


 2011年、オリスト掲示板は開設から十二年目を迎えた。デジモン小説の掲示板は固より、二次創作の掲示板全体から見ても、質の高く、作品達が投稿される掲示板として、今だにオリスト掲示板はネット上に存在している。
 しかし別に、小説を書く事に自信がないからといって投稿してはいけない訳ではない。誰もが最初は下手で当然なのである。(著者含め)今宵も、デジモンが好き。という愛情の表現、小説という手法を使い楽しんでいる者。若しくはデジモンという題材を使って小説を書く事に喜びを味わう作家達が掲示板に小説を投稿している。


 おわりに。
 こうして、この長い歴史は様々な作家達で紡がれてきた。全国各地に広がる、全てのデジモン小説作家達は、恐らくほとんどの人が接点を持たずに其々の暮らしをしているだろう。しかし、デジモン小説書きとして、全国、いや世界各地にバラバラに過ごしている者達は、デジモン小説が好き、という共通の思いを胸に、この掲示板で一つになっている。
 そして、長い歴史の中に、数え切れない世界が存在していた。
そしてこれからも、オリジナルデジモンストーリー掲示板は、新たにデジモンを小説に興味を持った人達を迎え入れる。また新しい歴史の1ページと共に、世界の創造を続けていくだろう。


 あとがき。
 以上が、オリスト掲示板の今までの歴史をざっと振り返ったものである。如何でしたでしょうか。この掲示板の空気感みたいのを味わってもらったならばかなり嬉しい事である。
 それにしても、見てわかるように時代によっては本当にたいして語れてないものもある。それもそのはず、本当に年数と作家の数が膨大すぎからだ。それは他の作家様には各々、自分が活躍していた時代について語ってもらう事にしよう。
 それに、本一冊にも及ぶような大歴史補完書籍にしたところで、その思い出は色褪せてしまうであろう。思い出は桜の花びらが散るように、儚いものなのだから。

 それでは、拝読誠にありがとうございました。





脚注

テレホーダイ(※一)
 今の小中学生には、俄かに信じがたい事かもしれない。当時はまだネットを繋げるのに、電話の通話中と同じように、料金が課金されていくシステムだったのだ。ちなみにネットをしている間は電話が使えないというオマケつきだ。
 「えぇ!? それじゃあ全然ネット出来ないじゃん!?」と思う人もいるかもしれないが、そこで誕生したのが、このテレホーダイという料金定額サービス。
 定額といっても、時間帯が定めらており、23時~8時までの間だけであった。
 ウチの家庭では、このテレホーダイ対象時間外にネットをする事を禁じられており、自然と自分は、デジウェブの深夜住人になるのだった。(ちなみに親は早朝に利用していた)
 他にも、ダイアルアップの時に軽快にリズムを立てて鳴るウチの黒電話とか、電話を巡ったリア充な兄妹との抗争など、この時のネット環境の話は尽きないので、機会があったらいつかブログにでも書くよ。


台本書き(※二)
 〇〇「」のように、かぎ括弧の前に人物名を入れ、描写が少なく台詞を中心に物語を進める手法。その形式がド台本に似ているため、こう呼ばれるようになった。
 全盛期後のオリスト掲示板ではこれを良しとしない風習にあった。しかし、某巨大掲示板のSSやケータイ小説などにもよく使われ、単純で見やすく、ネットでの閲覧に向いており、巧く使えば化けるかもしれない可能性も持っている。


おはなし掲示板(※三)
 かつては、メイン掲示板で会話が行われていた。しかしそれがあまりに活発で、本来の目的でもある情報交換などのスレは立ったとしても、あっという間に流されてしまう。恐らくその対策として、新しく作られた掲示板。掲示板、しかもツリー形式なのにおはなしって所がポイント。


入室方法(※四)
 会員制になった掲示板の入室が方法は当時の小中学生には少し難しかったのである。その要因として、一つはまず登録の方法にある。ララビットというBANDAI総合HPの会員になってから、デジモンウェブのほうの会員にも登録しなくてはいけなかったのだ。ララビットのほうしか登録してないと掲示板に入れないのである。
 そして、そのどちらも登録しても会員としてサイトのほうに認識されるのに30分(本当に30分だったのかはわからない)以上かかるとアナウンスされていた。
最後に、一番大きな要因としては、パスの入力形式が、全角ではなく半角であった事。
 (例:○abcABC123 ×abcABC123)
 当時の年齢では全角と半角の違いも、またその入力方法もわからないものが多く、入室できないと旧掲示板で悩む者達が続出した。聞いた話によると、親に泣きついて登録してもらった人もいるらしい。
 ちなみに自分は当時仲のよかった住人に、事細かく教えてもらい解決した。


紺碧氏(※五)
 いち早く脱台本書きを試みた作家の一人でもある。NEW WORLDの登場人物絵も書いていた。自分も、初めて自分の小説のイラスト書いてもらったっりいろいろとお世話になりました。元気にしているでしょうか。


メイスタ(※六)
 2005年より、ENNE氏のサイト、「Egg and I」内に設置されたお絵かきチャット。後にRYUTO氏のサイト「風がそよぐ場所」、ネットスターの「デジモン小説広場」内にも置かれるようになる。


オハナシドリル(※七)
 ムシクイ氏のサイト、「ケイサンドリル」に設置されたチャット。プレジャム発足の場所でもあるといえる。デジウェブ閉鎖のカタストロフィ時には、DNCとの懸け橋にもなった。


(文責:ネットスター)