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無断転載・引用

    
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衆議院議員・藤野真紀子のウェブサイトの日記を無断転載・引用して批判

‥‥って言うか、何よりもコンポンテキな部分について書いておくけど、藤野真紀子のホームページには、トップページに大きく、「本サイトに掲載されている画像・文章等、全ての内容の無断転載・引用を禁止します。」って書いてある。それなのに、何でこの文章をあたしが「無断転載」できたのかって言うと、藤野真紀子は、ずっと前から書き続けてる日記の中で、当選後、この日のページだけを削除したのだ。つまり、現在では、この文章は、「本サイトに掲載されている画像・文章等」には当たらないのだ。それにしても、これだけのことを公言しておきながら、平然と立候補する神経も信じがたいけど、過去の日記の中で都合の悪い部分だけをトットと削除するコソクさは、サスガ、コイズミの子供だね。




しかし、自分の日記の削除箇所に対する批判には、以下のように反論している。

「ところで、Aさま(記者)、現在公開しているログに対しての質問なら理解できるのですが、昨日の『踊る猫』に関する質問にしても、今回の『見て見ぬフリの国民性』にしても、わずか数時間で削除し、現在は公開していない文章に対しての質問は、今後はご遠慮願えませんか。あたしも人間ですから、間違いもします。そして、自分で間違いを自覚しているからこそ、削除や修正をしているのです。6年間も日記を書き続けているのですから、今までに数え切れないほど削除や修正をしていますし、それらについて1つ1つ質問されたら、あたしは対応できません。」

参照:皇室


作家・坂東眞砂子のエッセイを無断転載・引用して批判

私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢さからだ。
 さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
 しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。(終)

引用部分を全引用。人のことを著作権侵害とかいえない行動。