※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

黒いレンガが敷き詰められた床、それが縦に並べられた壁。そのどれもにコケが繁茂し、その上をつたが覆っている。中には成長した木の幹や根が壁を突き破って進入し、床石をめくり上げているところもある。
植物の持っている生命力は、人間や動物の持っているそれとは明らかに桁が違う。どんなに生きても100年が限界の人間に比べ、千年を軽く生きることが出来る植物、それも木が持っている生命力の違いなどは明白だろう。その前には人間の作った建物などただの邪魔な障害物に過ぎない。
これから何年もたてばさらに木々はこの遺跡を浸食し、やがて全てを飲み込んでしまうのだろう。波が砂で出来た城を少しづつ浸食し根元から崩していくように、やがてこの遺跡も根元から瓦解され、人の入れない場所になって、人目に付かないような廃墟に変わるのだろう。
この遺跡の会った場所に、僅かばかりの名残といえる壁などを残して、歴史の遺産はただの瓦礫の山へと変貌する。
栄枯盛衰
かつて栄華を極めた文明。その文明を肥やしとして、別の文明が発展していく。栄えては滅び、滅びては栄える。まるで自然のシステムかのように。
そんな昔の事に想いをはせる事が出来るのは、今此処に生きている自分が居るからなのか?それとも、自分の血の中に流れる何かが昔を思い出しているのか・・・。
それは誰にも分からない。ただ・・・人が昔を知り、歴史を学び、そこから何かを得ようとするのは、かつて生きていた祖先たちの生活を知り、知恵を知り、何かを得ようとするためなのではないか?と彼は思う。
足音を立てることなく、たたずんでいた影が歩き始める。いや、それは歩くというより滑るという動作に近い。歩く事で生まれる上体のブレもゆらぎもなく、真っ直ぐに、すばやく彼は進んでいく。
腰に挿したお守りのような円形の飾りが付いた刀。タンクトップの上には少しだぶついた感じのする草色の服をかぶる様に着ている。東の方の民族が着ている着物というものだ。足は膝の少し下辺りまで見慣れない着物で覆われ、そこから下は黒い靴下のようなものが足先までピッチリと覆い、膝の下にふくらみを作っている。足袋というこれも東の方の民族が使うたび道具だ。履物は藁で編まれた草鞋というもの。どうやらこの少年は東の方から此処まで流れてきたようだ。
瓦礫の前で立ち止まり
「チズさん、目的のものはありました?」
その瓦礫に向かって声を掛けた。そるとどうだろう。瓦礫の下の方からひょっこりと細い指が顔を出した。それが波のように左右に揺らめいて否定の意思表示をする。どうやら瓦礫の下に降りて何かを探している人物が居るらしい。
振られていた指が瓦礫の縁を掴むと軽い一動作でひょいと飛び上がる。猫科の動物を思わせるような身軽さとしなやかさだ。その人物、チズと呼ばれた女性は体を起こしてひとつ伸びをすると硬くなった間接をバキバキと解した。
「全然駄目。ていうかこんな所にそれがあるの?」
「そのはずです」
チズと呼ばれた女性はもう一度体をうんと伸ばす。女性として魅惑的なその体の形がはっきりと分かる。十人の男が見たら全員が目を離せなくなるような魅力的なプロポーション。出る所は出て、出ない所はしっかりと引っ込み、理想的な括れを作り出している。もっとも、それはすんごい!ではない。あくまで、魅力的であるだけだ。
だが彼女には華があった。見た者を引き付け、そして目を離せなくするような、そういう空気を彼女は持っていた。それは生きているという生命力なのかもしれない。一杯になったコップの縁からこぼれる力が彼女の魅力をより引き出し、より際立たせているのは事実であった。
その体の下にある筋肉はゴムのような柔軟性と弾力性、そして猫科の動物を思わせるようなしなやかさと瞬発力に満ち満ちているのだろう。音を立てることなく相手の傍に忍び寄り、一瞬の隙から狩りへと移行し、相手に悟られるよりも先に獲物の喉笛に食いつく。彼女にとって狩りと暗殺は同じ意味の行為なのではないだろうか?
この地方では見られない彼女の体にぴったりと張り付くような服装。腰に装着された二本の小太刀と前につけられたクナイの数々。そしてその、張り付くような服装の下に付けられた鎖帷子。東の方・アスカと呼ばれている国に居る忍びの格好だ。その忍びが何故こんな所に居るのだろうか?
元来、忍びという職業の人間はある決まった人物を主とし、その人物に粉骨砕身、文字通り身を粉にして忠義を尽くし、時には己の命を盾として主を守り、命を刃にして目標から命を奪い、闇のうちに葬る。そういう、闇の職業に生きる人間なのだ。そういった者たちは表の世界に出る事など出来ない。闇の世界には鉄の掟が存在している。
裏切り者には死の鉄槌を
逃げ出した者には死の制裁を
これが闇の世界の鉄の掟。裏の世界は表と違って上下関係、そして掟が非常に厳しい。上の命令は絶対であり、上が黒といえば白も黒となる。そして、掟は守るべき約束だ。それを破ったものには死の制裁が与えられる。厳守すべきは前述の二つ。この二つを守っている限り、命をすぐに失う事は無いだろう。
だが、彼女はこの二つのどちらかを破っているという事になる。あるいは、主を持たない流浪の忍びなのだろうか?前述ならば彼女は恐るべき腕を秘めている事になる。後述ならば、その実力は未知数。主に仕えることを放棄してまでなさねばならない事が彼女にはあるようだ。
「薬を作ったとしても、元を叩かなきゃ意味無いんじゃないの?」
「そうですね。根源を断たないと意味は無いでしょう」
「じゃなんで薬の材料を探すの?」
パンパンと腰の誇りをはたきながら彼女が呆れた声で尋ねる
「症状を抑える事が出来れば原因を特定するまでの時間を作ることが出来ます。また、苦しみを多少なりとも和らげてあげることが出来ます。それに、薬の力で開放に向かうかもしれません。何もしないよりはマシ。かと」
「それでまた元の木阿弥に戻らなきゃいいけどねぇ」
呆れたような笑いを浮かべながら彼女が言う。そこには余計な感情など無い。ただ、近い将来か、そう遠く無い未来に起こるであろう事実を淡々と言っている。忍びという職業の人間は現実主義者だ。そこに情が入り込む余地は無い。目の前の現実だけを受け入れ、その現実を冷静に分析する。
「チズさん・・・」
「あんたも御免ね。あんたにも目的があるのに、あたしなんかにつき合わせてさ」
その声に幾分含まれる悲しさとも寂しさともつかない感情。それに気づく人間は居るのだろうか?長い間彼女に付き添った人間でもなければ、気づけないような感情の発露。その僅かな感情に彼は気づく。そしてそれを拾い上げる事が出来るのも、彼だけだ。
「それは言いっこなしですよ。受けた恩はきっちり返す。それが母の教えですから」
ニッコリと、彼が微笑む。その笑顔を見るたびに、チズの中で何かが溶けて何かがそこから流れていくような、そういう感覚を覚える。ずっと昔に忘れようとした、置いてこようとしたものが、そこから溢れ出て戻っていくような・・・そんな感覚。そんな感覚が彼女は嫌いではなかった。それに不安を覚えているとしても。
「ところでさぁ、ナキ。いい加減さん付けで呼ぶの辞めない?どうせならチズ姉さんとか、チズお姉さまとか、そういうなんていうの?女の子が喜ぶような呼びかたしなさいよ」
「そんな呼び方で喜ぶのは貴方だけです」
きっぱり拒否。実に爽やかだ。
「呼べ」
「嫌です」
「なにを~、弟分の癖に生意気だぞ~!!」
すかさずナキの首に手を回しガッチリと確保。そのまま腕を巻き込み力を込めて固定すると空いている手で拳骨を握り頭に押し付けそのままグ~リ、グ~リと回す。悪戯した子供を父親が叱りつける時にいや、子供とじゃれあう時にやるような行為だ。
「い、痛いですから!!痛いって!!てか何か当たってますから!!」
「当たってるんじゃなくて当ててるのよ。世の男どもが憧れる幸せを一人で噛み締めてるんだから感謝しなさい」
「な、な、ななな」
顔を真っ赤にして壊れた蓄音機のように同じ言葉を発し続けるナキ。真っ赤になって固まれば痛みでじっとしていられないし、もがけばそれは女性的なふくらみを強く感じてしまって顔に血が集まってまた固まってしまう。その様子を微笑みながらチズは見つめる。
変わらない。
会った時と全然変わっていない。知り合ってからもう半年近くたつ。旅費を節約するために同じ部屋に寝泊りもしている。野宿の時交代で火の番をするのは平気なくせして、こうやって密着したり、正面から顔を見ると真っ赤にして慌てふためく所はいい加減どうにかなってもいいのではなかろうか?と、チズは思う。
だが同時に、変わらないで欲しいと思っている彼女もいるのだ。
「あんたは変わんないねぇ」
「・・・それ、成長して無いって言いたいんですか?」
途端にブスッ、とひねくれるナキ。顔は相変わらず赤いままだ。
「あれ?怒っちゃった?」
「怒ってません」
「怒っちゃった?怒っちゃった?」
「・・・いいえ。僕だって少しは成長してるんですから。そんなことでいちいち目くじら立てたりはしませんよ」
若干拗ねてしまった口調で言うナキの頭をチズはヨシヨシとなでる。こう言うところが子供っぽくあり、また可愛くてしょうがないのだ。
ナキが更にふてくされ、何か言おうと口を開いたその時
リィィィィン
チズの持っているクナイの一本が高い音を立てて震える。侵入者の存在を知らせているのだ。実は、チズはこの遺跡の入り口に即席の結界を張っていた。その結界を越えて入り込んできた人物が居るとこのクナイは教えているのだ。
結界と言っても自分たち以外を入れなくするとか、そんなたいそうなものではない。そんなものを作る時間はなかったし、仮に張ったとしても、助けを求めるような状況になった場合、結界は邪魔にしかならない。
彼女が張ったのはそういう侵入者を拒絶するものではなく、侵入者を拒む類のものだ。簡潔に言ってしまえば、これから入ろうとするものに強烈な嫌な空気をぶつけ、入るのを躊躇わせ、最後にはやめさせるというものだ。
といっても、強烈と言う言葉が適当とは言えない。彼女は今回、“限りなくリアルに近い幻覚”を見せることが出来るほど邪気の濃度を強めていたのだ。人が発狂するか否かのギリギリのレベル。それを踏み越え、遺跡に入ってきた人物が・・・いる。
「どうします?」
ナキが表情を変えず、だが真面目な口調で問いかける。
人数が居るのならば入り口近くで人を待機させ、奇襲をかけると言うことも可能だが、今は二人と言う少人数。加えて、この方法は味方になってくれるだろう相手まで敵に回してしまう可能性がある。この状況では下策だ。
「静観するしかないわね」
新しく遺跡にやってきたものが敵か味方かわからない以上、こちらから手を出すことは無い。厄介ごとが増えなきゃいいけどなぁ。と溜息でチズはナキに語りかけた。
「そうです・・・」
そうですね。と言うはずだったナキの言葉が途中で止まる。目を鋭くし、ピリピリとした空気を周囲に発しながらギロリと首を回す。先ほどまでの穏やかな表情からは想像できない。肉食獣の顔だ。
「チズさん、提案があるんですが」
「何?ものによっては考慮しない事も無いわよ?」
クナイのわっかに指をいれ、ヒュンヒュンと回転させながらもう、言われる事が分かっているようなうんざりとした言葉でチズが答える。纏っている空気はこちらも負けず劣らず冷たい。
「侵入してきた人を教えてくれるのはいいのですが、知らせる方法をもう少し考慮してはもらえないでしょうか?」
「・・・善処します」
申し訳なさそうに言いながら弄んでいたクナイを左前方に向かって一挙動で投擲。素人にはいつ投擲したかわからない速さと滑らかさだ。
ドスリ
ガキン、と金属と金属がぶつかった高い音ではなく、金属が何かにめり込むような鈍く重い音が当たりに響き、同時にガラスを爪で引っかいたような不快な音が大音量で発せられ、遺跡内で反響する。
彼女が投げた一刀は窓から入り込んできた蟻型モンスターの左目を見事に打ち抜いていた。予期していなかった攻撃と痛烈な痛みに蟻型のモンスターが床の上でのた打ち回る。それを見て泣きが小さくした打ちする
「・・・カブトアリ」
まるでカブトを着込んだかのように硬い甲殻に覆われた頭。そこから生えた二本の牙。鎌を思わせるような前足と、ギチギチと肉の詰まった袋が擦れるような音が聞こえてくるようだ。
“森の簒奪者”と呼ばれ忌み嫌われているモンスターだ。
のた打ち回っている一匹の脇をすり抜けて奥から現れた一匹が猛然とこちらに突進してくる。どうやら、こちらを獲物ではなく敵と認識する危険フェロモンを最初の一匹が撒き散らしたようだ。
咄嗟に前に出ようとするナキ。だが彼の足が止まる。僅かな空気の流れを感じ取った彼は咄嗟に体を捻り背後から迫る凶器を刀の鞘で受け止める。
「くっ!」
ナキは思わず舌打ちを打つ。どうやら、二つの分隊が前と背後から接近してきていたらしい。クナイで目を打ち抜かれた蟻が激しく声をあげのた打ち回り、背後からの接近を隠していたのだ。
「舐・・・め・るなぁ!」
重厚な外骨格から容易に想像できるが、カブトアリの重さは尋常ではない。このまま受け続ければ鞘が折れ、刀が折れ、アリの足がナキを串刺しにする。ナキは体を背後のアリに向けると同時に鞘の角度を変え、アリの足をいなし、後方に押し流す。
そのまま刀を右手に持ち左手を柄に添える。瞬間、抜かれた刃は白鋼の軌跡を残しアリの一部を斬りとばすと既に鞘の中に戻っている。
居合いだ。不自然な態勢から放ったそれだというのに、その剣速は尋常なものではない。まともな態勢から打ち出せば見切れる者がいるのだろうか?
まだ少年の面影が色濃く残る彼はすさまじい抜刀術を体得しているようだ。これが彼に一人旅を決意させた理由だろう。
「ふっ」
やや腰を落とし、鞘を右手から左手にも誓えたナキはアリが既に絶命しているのを確認もせずその脇を抜け次の一匹に向かう。その姿に迷いは欠片もない。確認の必要などないのだ。居合いの使い手が“刀を抜く”というのはそれほどの意味を持っている。
やや後方に居た一匹が甲高い威嚇の声を上げながら前足を振り上げる。
人間が人間以外の生物と素手で勝負をして勝つのは非常に難しい。筋力、反応速度が違うのは勿論のこと、彼らには人に共通する思考も、価値観も無い。それゆえに彼らの行動を先読みするのは難しい。
まして、今彼らが相手にしているのは昆虫なのだ。哺乳類とはあらゆる意味で違いすぎる。恐怖心、喜怒哀楽の感情。そういったものが仮にあったとしても、彼らの存在が異質である事はなんら変わらない。
普通の人間なら怯え、すくんでしまうようなカブトアリの姿を見ても、ナキの心には何の変化も生まれなかった。小波のさえも立たない静かな水面の如く、彼は平静だった。
「はぁ!」
ナキはその前足ごと相手を斬り捨てるべく、裂帛の気合を込めて再び刀を抜く。その速さは先ほどの比ではない。
抜く手は勿論のこと―――返す手も見せない。
腰の付近でチンと小さな音を立てる唾なりの音。
カブトアリの前足が振り上げた態勢からゆっくりと後ろに落ちていく。それだけではない。茶褐色の頭部が節から斬りおとされ、ゴトンと床に落ちた。
視認不可能な抜きと返しの二連撃。その二発をナキは視認不可能な速度で、極微時間に打ち出した。
脊髄反射のようにビクビクと痙攣をしている今斬った一匹の横をすり抜け、さらに奥。今しがた入ってきた一匹に向かってナキは走る。
その動きには一寸の迷いもない。ただ倒すしかない相手を見据え、相手を斬り捨てるためにひた走る。そこにあるのは厳格な剣士の表情。
その勢いを殺さぬまま振り下ろされた前足に足を乗せる。
「雨ノ村雲の走り!!」
相手の足を踏み台にして勢いを倍化させながら超神速の抜刀。モンスターの中ではかなり硬く、鎧の材料にまで使われるカブトアリを縦に真っ二つに両断する神速の豪剣。
空中で体を捻り、背中を向けて地面に静かに着地する。チン、と響く高い唾鳴りの音。その音が止まっていた時間を動かす合図であったかのように、斬られたアリがズズズ、ズズズと少しづつズレ、最後には盛大な音と共に床に壊れながら倒れた。
それを視認するまでも無くチズに助太刀するためにナキは後ろを向く、チズは強い。が、この相手には分が悪すぎる。


突進してくる左目に重傷をおったカブトアリを踏み台にして羽のように、空で踊る花弁のように跳ぶ。腰に納めてある小太刀を抜いて一撃を入れるが、硬い外骨格には目立った傷痕さえつかない。硬い手応えで逆に腕が痺れそうだ。
だというのに、彼女の顔には焦りが全く浮き出ていなかった。相手がカブトアリだと分かった時点ですでに彼女は自分のするべき事を冷静に理解している。彼女がすることは相手を倒す事ではなく、ナキがこちらに戻ってくるまで生き残る事だ。そこで始めて反撃に移れる。
「まったく。忙しいのに」
着地と同時に右の小太刀で歩いていたアリの足を払う。バランスが崩れ、傾いた隙に彼女は起き上がる。
「本隊じゃない事がせめてもの救いかな」
標準で体高が約80㎝。体長やく120㎝と小型のカブトアリは、決った巣を持たない移動するアリだ。進路上にある生き物は全て餌とみなされ、あの龍でさえも数で飲み込んで、強靭な顎で肉を噛み千切り、あっという間に骨としてしまう。
何百という数のアリが移動しているのが本隊と呼ばれ、そこから派生した食料調達などを任務としているのが分隊。本隊からさらに3~5体単位で別れでたかれらの主な食料調達源だ。もっとも、これは今まで確認された最小、最大数の分隊を目安にしているだけであって、確実というわけではない。今までの経験から得られる極めて確率の高い推測だ。
このアリがもっと大部隊で移動するか、獲物を確実に鍵分ける機能を有していたらあっという間に世界はこのアリ一色で染まってしまうだろう。そうなれば彼らも絶滅するしかない。だが、生態系とシステムは実に上手く出来ている。どの生物にも短所を持たせるというだけで、あらゆる生物の増殖を抑制する不思議な機構を自然は持っている。
チズは炸裂薬を装備したクナイを使おうと手を伸ばしたが、その手を引っ込めた。
カブトアリに大してはあまり有効と言える武器ではないし、此処で使うには早すぎる。
爆発と熱でダメージを与えるこの武器は当たり所を見極めないとあまりダメージを与えられない場合があるし、炸裂薬を作るのはかなりの手間だ。
相手を打ち貫く事に優れているライフルなどの大型の銃器でもあれば話は別だが、あれは急所に確実に当てないと全く効果が望めない。
体の内部で破裂して内部に鉄片や小型弾等をばら撒く炸裂弾などはそれこそ体の中で爆発させないと役に立たない。硬い骨格に覆われ、痛覚など無いであろう昆虫タイプなら、その部分を斬り捨てて反撃に転ずる事など用意だ。
だから、彼女は小太刀を自分の体術でアリをあしらい続ける。だがこれは前者の武器を使うよりもさらに難しい手だ。モンスターの中でもかなり硬い部類に入るカブトアリの外骨格は見た目どおりかなり思い。それを支えるために、体の筋肉は硬く、しなやかに進化している。狙いどころを見誤れば小太刀が折れ、彼女の骨が逆に折れるだろう。
間接を見極めて攻撃をすれば可能であろうが、これは動かない木偶人形を相手にしているのではない。動かない標的とは勝手が全く違う。
チズは体を沈めると脚甲をつけた踵を狙い定めたかのようにアリの足の関節を薙ぐ。アリの構造を頭に叩き込んでいるから出来る行動だ。
「―――!!」
そのまま体を持ち上げるように起こすと首を支点にしてこまのように回転させながら左横からやってきた一体の顔に脚甲をつけた脚の甲を勝ち当てる。つま先が目の付近を直撃し、流石の痛覚が無いアリもいきなり視界を遮られた事に驚きその脚がたたらを踏んでそれる。
「とっとと来てくれないと流石にきついんだけどなぁ」
自分の命が危ない時だというのに、あの人懐っこい笑顔を思い出してしまう自分に少し苦笑する。どうやら、自分は思ったよりずっとあいつに染められているらしい。
「今はそんな場合じゃないでしょうに」
呆れたと行きと一緒にそれを吐き出し、思考を再び空に染める。その目に今写っているのは、暖かな日常いる己か。血に染まり倒れる何かか。
目の前から空気を猛烈に震わせ、大地を振動させながら最初に痛手を負ったアリが向かってくる。回りを見渡すと他の二匹がガッチリと左右をガードして一緒に突っ込んでくる。これでは逃げ道などほとんどない。
彼女はこちらから真ん中のアリ、左目に投擲したクナイがまだ刺さっているありにこちらからも近づく。それに気づいたのか、ありがさらに速度を上げ―――彼女が大地を蹴って宙にとんだ。
そのまま体を空中で小さく回転させて遠心力をつけると左目のクナイに向かって思いっきり蹴りこむ。グジュリとした柔らかい手応えと、メリメリと肉を裂いてクナイがさらに置くに入り込んでいく手応えがほとんど同時に足に伝わる。クナイが半ば辺りまで埋まった所でアリが生まれて初めて感じる何かに防衛本能を刺激され、頭と胸を持ち上げ、帰省を上げながら派手に首を振る。
チズはクナイを足がかりにもう一度回転して最初より高い位置に浮き上がり、さらに遠心力を付け、今度は重力まで味方にしてもう一度そのクナイを押し込む。
先ほどと同じ手応えが足に伝わり、アリがさらにのた打ち回る。そのまま回転して地面に降り立つ。
「――!?」
初めて感じる“何か”に、激痛にのた打ち回るアリが奇声を上げたまま押しかかるように倒れこもうとしてくる。目はどの生物からでも、脳みそに一番近い部分に位置しているが、どうやら外してしまったらしい。
錯乱したアリが勢いのまま彼女にもたれかかろうとしてきて―――
「伏せろ!!」
いきなり響いた声にチズは反射的に従った。うつ伏せになったチズの背後から聞こえる破砕音。前方から漂う火薬臭と響いてくる炸裂音。アリの外骨格が打ち砕かれ、内部から粉々に爆砕される。
誰かの足音がこちらに近づいてくる。予期せぬ第三者の銃撃による援護・集中砲火。この戦闘を察知した誰かがこの場に駆けつけ、間一髪。彼女に迫ってきていたカブトアリを蜂の巣に変えたのだ。
状況確認をしようと顔を上げたチズを黒い髪の男性が・カルマが引き起こそうとするがそれよりも早く彼女は起き上がっていた。
「助太刀する。下がれ」
高いのに、重く響くような声質。チズは両手に長銃をもった男と両手に少し大きめな刀を持った金髪の男性を一瞬で確認すると何も言わず頭を一度下げ、後ろに退避する。
それを見届け刀を痙攣していたカブトアリに向け発砲。完全沈黙。抹殺確定。
「女に寄ってたかって悪さしようとするなんて、悪い虫だねぇ。そう思わない?カルマ」
世間話のように隣に居る相手に同意を求める。彼の価値基準は女が重要な位置をしめているようだ。
「虫にそれを理解する脳があるとは思えんな」
空になったマガジンを取り出し、フルのマガジンを詰めながらの呆れた声色
「それ言っちゃお終いでしょう」
「お前の人生観と人生論をこれ以上聞きたくないだけだ」
「冷たいねぇ」
おどけながら金髪の少年・アリエスは後ろに退避したチズの方に視線を向けた。先ほどは敵に集中していたためよく見れなかったが、改めてみたそれは麗しい女性の顔だった。
「・・・惚れたかも」
「またか。これで俺が記憶する限り通算25人目か?お前が惚れたのは」
呆れを通り越してもう、何もいえない。とも言いたげな台詞と溜息。アリエスは眉間の辺りを少しばかりひくつかせながらそっちを向く
「失礼なこと言うなよ。本気で惚れたのは片手で足りる」
カルマはどうだかな。とそっぽを向いてしまう。こと、女性関係に関しては、アリエスは誠実だが彼に言い寄った、彼が言い寄った女性の数は鵜呑みに出来ないと良く知っている。
「ところで」
あいもかわらず呆れを隠しもしないカルマの声。
「ん?」
緊張感など欠片も無いアリエスの返事。目の前にモンスターが居るというのにくつろいでいるような顔だ。
「何時になったらおしおきを実行するんだ?」
「お前も話しがわかるようになったねぇ」
「女を大事にしない男は最低だという意見にはいつも賛成していたろう」
かっははは。とアリエスの笑い声が上がる。そして―――おしおきと言う名を借りた虐殺が開始された。


先ほどから響いていた連続の発砲音が止んだ。戦闘の音さえ聞こえなくなって静かな水面のように動きの無い空気がそこを支配する。ツン、と鼻に来る銃弾に使われる火薬の独特の匂いと煙が風に乗って流れてくる。
全く動きというものがなくなった空気は不気味な感覚的な匂いを運んでる。今この静寂は、心を激しく揺さぶり、不安という底の見えない穴に自分を突き落とすような迫力を持っている。
その場で構えたまま周囲の状況を探る。物音は全くしない。気持ちを張り詰めて目を閉じる。自分というものを周囲に満ちる空気と同一にし、微細な変化を感じ取る。
―――何か変わった。
状況に何か変化が現れたことは間違いない。
その判断の根拠はこの静寂だった。
荒れ狂っていた暴風雨が突然止む、そう、台風の目のようなこの状況。戦闘が終結したのであれば、機敏にそれを察知した“掃除屋”と呼ばれる小型昆虫たちがザワザワと死体に群がり、その処理をするのだ。この虫―――プレデター・ビートルと一纏めにして語れるのだが彼らは雑食性のため、何でも食べる。無論人もだ。
だが彼らは死肉しか食べない。死肉に群がり、その死肉に不浄の何か、霊魂とも呼ばれるものが宿る前に、その死体を綺麗さっぱりと片付けてしまう。彼らは何処にでも存在し、常に数百・数千という群れで現れる。
その、即座に死肉に群がってくるはずの掃除屋たちのざわめきが全く感じられない。銃の発砲音が止んだのが少し前だから、匂いが残っているとしても彼らがご馳走を前にざわめかないはずがないのだ。
目を閉じた暗闇の中で、鋭敏となったナキの感覚はこちらに向かってくる空気の流れを敏感に察知した。だが相手から自分に対する敵意は感じ取れない。目を開けると彼は相手の名前を呼んだ。
「チズさん!」
彼が援護に向かおうとした相手の名前。どうやら彼女は先ほどの発砲音の元となったであろう人物に助けられたようだ。そいつが敵であるかどうかはわからないが。
「ナキ。そっちは片付けたの?」
彼の声に何時もの高い声が返ってきた。手を振りながら彼女がやってくる。そんな彼女に頷きながら少し観察する。腰に装備してるクナイが一本減っている所からして、間違いなく彼女はナキの知っているチズだろう。
「ええ。そっちに戻るところでした」
刀を右腰に差して左手で少し持ち上げる。何のことはない。全てこれで斬り捨てたという挨拶だ。あれだけの戦闘を一瞬のうちでこなし、苛烈な技を見せ、ここまで走って来たというのにナキは汗さえかいていなかった。改めて、彼が普通の人とは違うのだと痛感させられる。
まだ幼さを残したあどけない瞳。人懐っこい笑顔。人目を引く金色の髪。外見は普通の人間と変わらないが、彼に流れている血の半分は人間ではない。
「あいも変わらず凄い腕だねぇ。“神速剣鋭(ソードダンサー)”」
呆れと嬉しさの混じった声。言いながら頭を撫でてしまうのは何故なのだろうかと何時もチズは思う。
「その名前は辞めてください。それと、頭なでないでください」
「なんで?」
「子供っぽく思われてるみたいで嫌です」
チズはあははは。と笑った。その様を見てナキは少しだけ、ブスリと頬を膨らませる。何時からだか、彼女に年下のように思われることに不快を覚えるようになった。
対等に見て欲しいのに見てもらえない。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
「だって、あんた言う事可愛いんだもん。笑っちゃうくらいにさ」
「・・・て・・・(可愛いってなにさ!)」
ブツブツと文句を言い始める。これ以上いうと機嫌を直してもらうのにかなり苦労しなければならない。笑いが吹き出るくらい可愛いのは変わらないが、必死にそれを堪える。
「あー、御免御免。機嫌直して。ね?村に戻ったら好きなだけ食べていいから」
「・・・」
ジトリ、とナキが見上げてくる
「う・・・」
「ひょっとして・・・食べ物で釣れば機嫌直してくれないかなぁ?なんて都合の良い事考えてたりしませんよね?」
「あ、アハハハハ」
ナキは溜息を吐き出すと同時に破顔した。睨んでいる事は変わらないが。
まったく、どうしてこの人は大人な風に見えたり、自分よりも幼いように見えたりするのだろうか?普段は自分よりも大人なくせに、こういうときは自分よりも幼く見える。
それなのに彼女はこういう時子ども扱いされると怒るのだ。そのくせ、自分のことは何時も子ども扱いしてくる。
事実、今の二人の立場を分かりやすくするなら、悪戯が見つかって笑ってごまかそうとする子供とそれを許さないと睨みつける親の構図がピッタリ来るだろう。
身長はアンバランスだが。
いい加減睨んでいるのにも疲れた。彼女をこのまま慌てふためかせるのも面白いが、いい加減話を進めよう。
「戻ったら覚悟しておいてくださいね」
「はいはい」
安心したかのようにチズの顔に柔らかい雰囲気が戻ってくる。呆れた溜息をどうにか飲み込んでナキは言葉を続ける
「チズさん、さっきの発砲音は?」
さっきの発砲音。おそらくチズを助けた人物が発生源なのだろうが、あれほど連続で聞こえてきたという事は複数か、そうとうの早撃ちの腕を持った人物であろう。高価な部類に入る銃を使う人間は少なく、その上で凄腕となればかなり限定されてくるのだ。
「ああ、あれは・・・」
ギィィィィィ
返しの言葉を出そうとした所で、それはチズがやってきた方向から聞こえたアリの断末魔の悲鳴のような声でかき消された。二人が臨戦態勢をとってそっちに向き直る。先ほどまでの空気は欠片も感じられない。
「今のは・・・?」
「分かりません」
続いて聞こえてくる大きな破壊音と戦闘音。チズを助けた誰かがアリと戦闘を行っているのか?もしくは、そこに新たなモンスターが乱入してきたのだろうか?それもすぐにやんで再び不気味な静寂が訪れる。
「どうする?」
「行ってみましょう」
鞘を左手で持ち、柄に右手を添えた体制のままナキが言った。獲物を定める猟犬のように目を鋭くし、物音の聞こえた方向を、薄闇に支配された通路の向こうを睨みつけるように見つめている。
「向こうから来てくれるみたいよ」
「みたいですね」
「とりあえず待ってみましょうか」
お互いにそれぞれの得物に手を掛け、すぐに抜き放てるようにして自分達の方に近づいてくる何かの到着を待つ。
コン、コン、コンと石畳の上を歩く複数の足音だけがこちらに向かってくる事を如実に物語る。足音を隠さないのはこちらに気づいていないからなのか、それとも・・・こちらの油断を誘うためなのか・・・
10秒が1時間にも感じられるように時間が流れ、足音の人物がその姿を現した。
輝くような金色の髪。リボルバー拳銃の弾奏が加えられた刀を装備している少年・アリエスとどこかに銃器をしまった黒い髪の寡黙な雰囲気の青年・カルマ。二人が視界に確認できた所で、チズは体から力を抜いた。それを気配で察したナキも体から力を抜く。
「怪我はないかな?綺麗なお嬢さん?」
おどけたような口調でアリエスが言う。なんとなくその言葉がナキの癇に触った。
「ええ。さっきは危ない所を有難うございます」
「いえいえ。女性を助けるのは男の義務みたいなものですよ」
「まぁ。ずいぶんとお上手ですね」
「ははは。本心なんですけどね。なかなか手強い人だ」
「随分と馴れ馴れしいですね。初対面のくせに」
「ん?」
アリエスはそこで初めてナキの方を向く。そしてニンマリと笑顔を浮かべ
「ははは。可愛いお連れさんだ」
ビキリ、ナキの眉間に青筋が浮かんだ。
「ああ。悪い悪い。怒るな。坊主」
明らかにからかっている口調。そして笑顔。ナキの目に先ほどとは違った険しさが宿ってくる。
「馬鹿にしてるんですか?」
「そう感じるだけの知恵は持ってたか」
言葉と同時にナキが腰の刀に手を掛ける。同時にアリエスも左手を刀に添える。いきなり殺し合いを始めそうな空気を撒き散らしている二人にチズは首を傾げる。
「どうしたの?」
「いえいえ。なんでもないですよ」
にこやかにそう言いながらナキの耳元に顔を動かす。
「女はな、口説いた者勝ちだぜ?覚えとけ。坊主」
その言葉にナキの呼吸が一瞬止まる。ギロリと完全に敵と識別したような目でアリエスを睨み上げる。
「安心しろ。俺は口説こうとは思ってねぇ。思ってたが、さっきの会話を聞いてそんな気は失せたよ」
「―――!」
ナキは完全に言葉を失った。どうやら、口から出ようとしていた言葉を無理やりに飲み込んだらしい。得意気に顔を緩ませているアリエスに対して、ちょっと触っただけでも目が飛び出していきそうな表情だ。
ニヤリ、と得意気な笑みを顔一杯に貼り付け、体を少し屈めてナキの身長に合わせているアリエス。その姿にナキはなぜか自分と似たようなものを感じた。
年齢は同じくらいか相手の方が一つ、二つ上だろう。髪の色は自分と同じ金色。だが、相手の方が自分よりもよく手入れされているように見える。身長は相手の方が高い。と、自分と違う点が多く見つかるが、根本的な部分が同じだとナキは感じた。
「き、聞こえてたんですか?」
恐る恐るとナキが追求をしてくる。チズはカルマが引き受けているので完全に男二人の秘密の会話だ。
「おお。俺は地獄耳だからな。お前達の会話全部筒抜け。お前が対等に見て欲しいのに見てもらえないでやきもきしてる事もばっちり」
「い、言わないでもらえますか?」
「言うわけないだろう。秘密を暴露してその反応を楽しみ様な嫌な趣味は持ち合わせてないからな」
「助かります」
何時の間にか互いに意気投合―――相談のような会話になっている。
「でもなぁ、言ったろ?女は口説いたもの勝ちなんだ。後ろに隠れてコソコソしているようじゃハートを掴む事は出来ないぜ。もっとこっちからガンガンアタックをかけていくところはかけていかないとな。どの辺りまで行ってるんだよ?」
「ど、どの辺りって、一体何の話ですか?というよりも、よく僕が惚れてるって分かりましたね。あれだけの会話で」
「あのなぁ・・・」
アリエスは一気に肩から力が抜けて脱力した。
「あれで気づかない奴は鈍い。相当鈍い」
「そ、そうなんですか?」
「当たり前だろう。お前の態度を見れば特別な感情を持ってることなんて一発で分かる。わからん方がおかしいんだ」
キッパリとした力強い断言の言葉。だが何故なのだろうか?先ほどからアリエスに対して嫌な感じは全く受けない。まるで一陣の爽やかな風が吹いているかのように感じられる。
「で、どの辺りまで持ち込めたんだよ?最低、手は握ったりしてるんだろ?」
隠さず話せよ。この野郎。と肘でナキを軽く小突く
「て、手を握るって・・・!そんなことできるわけないじゃないですか!」
「・・・お前、ひょっとして何もこっちからアプローチかけてないわけ?手も繋いだ事ないって・・・今日日学校に入ったばっかの奴でもやってるぞ?」
「そ、そんな事できるわけないじゃないですか!?まともに目を見て話すことさえ出来てないんですよ!」
「へぇ~~」
事此処にいたって、アリエスはようやくナキという人物を少しだけ理解した。純粋で、嘘がつけない。とても好感の持てる人物だ。
「な、なんですか?その顔は」
「いやいや。お前いい奴だなぁ。と思っただけだよ」
「僕は貴方のことがちょっと嫌いですよ」
アリエスはやれやれと顔を横にふった。こういうごく自然に行われる動作一つ一つまでが、絵になるように綺麗で、決っていると感じてしまうのは何故だろうか?彼は自分たちとは根本的な部分で、どこか違っているのかもしれない。
「いい人だとは思いますけどね」
「それはどうも」
アリエスは唇を少し持ち上げ苦笑した。
「お前、ひょっとしてこれが初恋だろう?」
「・・・・よ(そうですよ)」
「そうかそうか。良いよなぁ。恋は。心の中が温かくなってさぁ。誰にでも優しくなれるような気分になってくるよなぁ」
「後者はよく分かりませんけど、前者は分かります」
彼の遠く、昔を思い出しているような言葉にナキは納得する。その人の事を思い描くだけで心が弾んでくるし、なんとも言えない妙な心地よさがジンワリと染み出して広がっていく。あの感覚はとても温かい。
「それがなにか?」
「ん?いやいや、恋愛初心者のお前にちょっとアドバイスをしてやろうと思ってな。いいか?恋は大胆に、そして繊細に。だ。わかるか?」
「いえ」
「昼は大胆に。夜は陶器を扱うかのように繊細に。てことさ。手を繋いだり、腕を貸したりして昼は大胆に接し、夜は優しく優しく、一級の芸術品を扱うように優しく接するんだよ。押せ、押せじゃなくて時には少し前に立って優しく引っ張ってやることも大事なんだ」
「な、なるほど」
ナキが目を皿のようにしてコクコクと頷く。まるで親の言う事を鵜呑みにする幼子のようで思わず可愛いなと思ってしまう。
「それとな、風流が分からなきゃ駄目だ。風流のわからない男はどうやっても分からない。お前、風流ってわかるか?」
「いえ。さっぱり」
「いいか?風流っていうのはなぁ、簡単に言っちまえば空気が読める人間の事さ。相手の気持ちを察してお前なりに丁寧に接してやればいいんだ。簡単に聞こえるかもないが、これはかなり難しいんだぜ」
「そ、そうですね」
その状況をシュミレートし、あえなく撃沈する。とても難しい。
「いいか?俺の経験から言わせて貰うと、恋を自覚したんなら相手が振り向くのを待ってちゃ駄目だ。押して、押して振り向かせるんだ。喧嘩と同じだよ」
「え、でもさっきは」
「だから、時と場合だ。普段は押せ押せで、時々優しく肩を叩くような感じでアピールするんだよ。こっちを見てくれ、俺だけを見てくれ。て具合にな」
「な、なるほど」
「よし。いいな?今言った事を忘れるなよ。そうだな。この遺跡の探索が終わるまでに手をつないで貰おうかな?」
「え!?」
「これ、俺からの宿題だからな」
そう言うと話すことが終わったアリエスはナキから顔を離し体を起こす。半ば呆然として自分を見失っているナキは無視してカルマの方を向く。その顔は一仕事終えたとでも言うように晴れやかだ。
「随分と嬉しそうだな」
「俺の親友と同じ様な奴に会えたからな。嬉しくもなるさ」
「お話は終わったの?」
壁に背中を預けるように立っていたカルマの隣にはあの少年の想い人がピシリと背を真っ直ぐ伸ばして立っていた。美しく、華のある人物だとアリエスは改めて思った。
「目が良いというか、何と言うか。これからが楽しみだね。頑張れよ」
「は?」
「こっちの話さ」
最後の言葉の意味が分からず首を傾げる彼女にアリエスは笑いながらこっちの話と微笑んだ。その言葉は、後ろで悩んでいる彼に送られたものだから。