Angler:中川、市毛、多田、小野、松井、高橋(功武)

writer:高橋(功)

山上の澄み渡る湖水に糸を垂らすときなど、「魚など釣れなくともよい。ただ肌に風を感じ、さえずる鳥の声を耳に出来れば、、、。」などと、人は泰然自若としていられるかもしれない。しかし、住宅街の真ん中の管釣りで、あまつさえ結構な金を払っているというのに、ちっとも魚が釣れないと来れば、くだんの文人風の感慨など、風の前の塵よりも簡単に吹き飛んでしまう。

10月17日に府中へら鮒センターで開催せれた全学連へら釣り大会について報告すべきは、大会の熱気でも、競技の白熱でもない。そんなものはなかった。ただただその「食いの渋さ」についてのみである。

受付開始が6:20であったから、参加者は皆、相当な早起きをしてきたはずである。筆者は意志薄弱の低血圧男であるので、まさに筆舌に尽くしがたい、つらい起床であった。目覚ましをぶったたき、ぬくい布団の中で胎児のように丸くなりながら、う~う~唸ること20分。いっそ母の産道をさかのぼって本当に胎児に戻ってしまいたい、、などとわけのわからぬ夢想にふけっていたが、そのうちに意を決して布団から這い出た。

現地について慶応の皆さんと合流し、仕掛けを準備して、さぁいざ競技開始という頃合になると、朝の冷えた空気もずいぶん暖かくなっていた。空は気持ちのいい秋晴れである。水面にはへらのもじりが、もわりもわりと湧き上がっており、活性は高そうに見えた。さい先だけは、よかったのである。

浮きを浮かべてしばらくすると、まわりでぽつり、ぽつりと釣れ始める。自分の浮きもそこそこに当たっているのだが、空ツンばかりで、針がかからない。ジャミが寄っているのか、餌がやわいのか。あるいは、慣れぬ早起きでボケた脳味噌があらぬ幻影を作っていたのかもしれない。しかし、そうこうしているうちに一匹釣れた。尺上の悪くない型である。筆者の荒い合わせに掛けられるとは間抜けな鮒である。あるいはヤツも寝ぼけていたのかもしれない。

しかしだんだんと日が高くなってゆき、それが中天に達する頃合になると、そんな寝坊介鮒どもも、めいめい起きだしたと見え、まったく針にかからなくなった。終わりの見えぬ空ツン地獄である。さらに悪いことには、そのうちに当たりさえなくなってしまった。細身のへら浮きが、お世辞にもきれいとは言えぬ緑の水面を静かにたゆたうばかり。一時間もするとすっかり飽きてしまった。隣の中川さんも一匹釣ったきり音沙汰なく、世をはかなむような視線を水面に投げ続けている。ほかの皆も同じような渋さである。市毛さんや松井さんがやってきて練り餌に粉を足していった。筆者が経験者面をして作った練り餌が全くの失敗作で、ぺしょぺしょだったのである。皆さん本当にすみませんでした。しかし、その改良練り餌でも状況に大きな変化はなかったみえ、皆、ハードボイルドな視線を水面に投げ続けている。

ふと、視線を池の対岸に向けてみる。どこかの大学の女の子が世紀末的な顔つきで浮きを見つめている。きっとあの浮きの下の針に、既にえさは残ってはいないだろう。しかし彼女は餌を付け替えることもせず、靴を脱いだ片足をだらりと伸ばして、酷い振られ方をして泣き明かした後のような、虚ろな瞳で浮きを見つめ続けている。

ああ、渋い。渋いよぉ。

完全に戦意を喪失して、呆けたような顔でタバコをくゆらせ続けていると、やかましいアナウンスが鳴って、長い我慢大会がようやっと終わった。慶応の釣果は惨憺たる有様である。筆者などは経験者面をして高い道具を持ち込んだりなどしていただけに、恥辱をすすがんと池に身を投げて鮒の餌になろうかとも思ったが、すんでのところで思いとどまった。蓋を開けてみれば、この渋さにもかかわらず、優勝者などは十数枚の釣果を挙げており、なんとも情けない思いに沈んだ。やはりあの時、池に身を投げておくべきであったか。

下の写真は大会後のじゃんけん大会でたくさんのお菓子を獲得した釣魚会の面々である。釣果は渋かったが、各々お菓子をてにしてなかなかに嬉しそうである。じゃんけん大会の賞品の多くは無論釣り具であったが、なぜか慶応が獲得したのはお菓子ばかりであった。

今回の大会はあまりに食いが渋かったため、へら初体験の皆さんにはへら釣りの魅力が今ひとつわかっていただけなかっと思いますが、へら釣りを嫌いにならないで頂けると嬉しいです。最後に、このレポートのUPが遅くなって本当に申し訳ありませんでした。




最終更新:2010年10月25日 23:06