日差しが眩しく、砂浜は綺麗に輝いている。
 全身が蒼い海へ潜水すると共にモードを切り替え、えら呼吸を始める。
 昔は遊びでやっていることもあったが、今ではとても真剣だ。
 何しろ自分の働きに今日の食事がかかっている。彼女に怒られるのも避けたい。
 ネズミは背中に背負った網を海へと撒きながら、どんどん潜水していく。
 全身が暗い闇に突っ込んでいくことに恐れをなしながらも、その闇の中に奇妙な形のそれを見つける。
 海から上がると、ネズミは肺呼吸を始めた。
「……ぷは」
 と、安堵の息を吐く。そうすると、急に全身に疲労を感じた。
「ちょっと、えら呼吸が長かったかな」
「そうでもないわよ、ネズミ」
 突然聞こえてきた声に反応し、ネズミは上を見た。
 太陽を背にして、こちらを向いている。眩しくてよく見つめられない。
 眩しくてよく見つめられないが、その美貌だけは見なくても知っている。半年間は一緒に暮らしてきた間柄だし、そうでなくとも幼馴染なのだ。
「おじさんはもっと長く潜れた――って、くそ、絡みつくな!」
 リカは真っ白な翼を羽ばたかせ、翼と同じ色の綺麗な髪を鬱陶しそうにぶんぶんと振る。
 ネズミがその仕草に苦笑している間に、リカはやっと格好がついたようだった。
「笑うな! あの程度でばてているくせに!」
 リカは凛々しい美貌を悔しそうに歪め、当たるように言った。
「まったくあの程度で疲れるなんて、私のお婿さんとしてはまだまだよ!」
「……結構疲れるんだよ、すぐに切り替えるのも、持続するのも」
「泣き言を言っているようじゃまだまだなの!」
「……じゃあ、リカはどうしたのさ? 掃除はしたの?」
「掃除もしないで来るわけないでしょ! それより、今日のご飯は何なの?」
 そうは言っても、調理するのは彼女なのだが。
 ネズミはおずおずとアジとイサキだと伝えると、リカは満足そうに頷く。
「それくらいじゃなきゃ、私の食事としては許せないわね。とりあえず、今日は合格!」
 傲岸不遜にそう言うと、そのまま森へと飛び立ってしまった。
 ……持ってくれるわけじゃないのか、とネズミは少しだけ消沈した。

 ネズミもリカも、人間ではない。
 現在の日本列島に、純粋な人間など存在しない。それどころか、旧世紀に存在したあらゆる動物は日本列島には存在しない。
 日本列島を襲った未曾有の生物災害は、あらゆる人間に異常な細胞を作り出した。
 寄生細菌N-637と呼ばれるそれは人間のみならずあらゆる動物の細胞に寄生し、あらゆる動物を異形へと変化させ、最期にはどろどろに腐らせて殺していった。
 しかし一部の人間や動物の腐敗した生殖器から¨適合体¨が生まれた。
 寄生した細菌さえも取り込んだ新たなる細胞は、元々の生物の特徴を色濃く残しながらも、全く別の生物として存在するものを生み出した。
 それがネズミ・シャークスやリカ・ペランドたち新人類たる¨獣人¨である。

「……っとと、さすがに重いかなあ」
 ネズミは自分の体積の数倍はあるだろう量の魚を引き摺り、森を進んでいた。
 ネズミはサメの獣人だ。ネズミザメに似ているからそう付けられたらしいが、自分ではよく判らない。
 ネズミザメがいなくなったわけではない。魚は細菌に寄生されなかった、数少ない事例だ。
 ただ単純にネズミがそのサメを見たことがないと、それだけの話だ。
「リカも来てくれるなら、一緒に運んでくれれば良いのに」
 そう言いながらも、決してそうはならないだろうと思う。
 自分が臆病と言うこともあるし、リカが高慢と言うこともあるだろう。
「でも、なあ」
 あのリカの真っ白な翼の中にしまわれた、翼よりもさらに真っ白く、細い腕。弱々しい手足。
「あれに背負わせると言うのは、ちょっと」
 とも思う。あの華奢な腕ではさすがに持てないだろう。
 仮に持てたとしても、女に持たせようとするるという格好悪い自分に怒ることは明らかだ。
 それは怖い。たとえ自分がサメで彼女がペリカンの獣人だとしても。
「ペリカンとサメなら、サメの方が強いよなあ」
 けれどペリカンの彼女に負けて、尻に敷かれている。実におかしなことだ。
 自分はやはり、サメよりもネズミかなと、笑いながら思った。
 ネズミがのそのそと歩いていると、ゆっくりと小屋が見えてきた。

「遅いわよ、ネズミ!」
 叫びながら走ってやってくる。どうやら翼はYシャツの中に畳んでいるらしく、いつもよりは早い。
「遅いわよ、ネズミ。この程度の量を運ぶのも、こんなに時間がかかるの?」
「……結構疲れるんだよって、さっきも言ったけどさ」
 ネズミは少しだけリカを睨みつける。と言っても、やはりその視線は弱々しい。
「それに――サメの獣人は成長が遅いし、ペリカンみたいに羽が生えたら終わり、じゃないんだよ」
 ネズミは弱々しく反論する。
「僕はまだえらだって、完全には開ききっていないし、それに水かきだって形成も始まってないし――そんなに言われたって、困るって言う、がっ! ……ぐげっ!」
 リカはぶつぶつと呟くネズミの首を掴むと、
「言い訳無用!」
 と叫び、ビシバシ! と、ネズミのことを叩く。
「さっさとご飯にしたいし、早く運んでよね!」
「ちょ、ちょっと待ってよ――ここまで来たんだから、少しくらい」
「女に運ばせるなんて九州男児の名折れよ! 恥ずかしくないの!?」
 キューシューダンジって何さ? とネズミが問う暇もなく、リカは小屋へと戻っていく。
「……何だろうなあ」
 リカはこの頃、少し調子が変だ。ネズミはそう感じていた。元からそうではあったのだが、笑ったり怒ったり、感情の変調が今までよりも激しい。
 もちろん、変なのは当然なのだ。自分たちは半年間も遭難しているのだから。
 元々ネズミたちのいた場所は、小さな岸辺とそれに接する林だった。その日、幼馴染のネズミとリカが、少し浜から遠い海で遊んでいるときのことだった。
 余りにも突然にやってきた暴風雨はネズミとリカを襲い、そして去っていった。
 抱き合った二人は同じ浜辺に流れ着いていた。何処だか判らない、まるで知らない浜辺だった。
 リカがどれだけ遠くへ行っても、ネズミがどれだけ遠くへ泳いでも、ネズミとリカのいた浜辺は見つからなかった。
 ネズミはこの半年で既に諦めていたが、リカは諦めていないようだった。ほんの少し前までは、良い意味での前向きさがあったような気がした。
 しかしこの頃は違う。何処か焦燥のようなものを抱えている。
「……でも、当然なんだよな」
 それが普通なのだ。今までがおかしかった。リカは未だ十三歳にもなっていないのに。
 確かに顔つきは自分よりも大人びているし、思考もずっと複雑だ。
 それでも、それだからこそ、ただの少女である彼女が、今まで焦燥を抱えていなかったことがおかしい。
「でも、今までは普通にやってこれたし」
 何がきっかけでそうなったのか――とネズミは考え込む。もちろん考えながらも歩いていく。
 ハッと気付いたときには、いつのまにか目の前には大きくて真っ黒いものがあり――

「ぐげ」
 ぶつかった。よく見てみると、そこには大きな樹があった。
 ネズミはぶつけた鼻の頭を擦りながら、
「……早く、行かないと」
 そう言って、すぐそこに見える小屋へとのそのそと歩いていった。
 小屋に着くと、リカはエプロン姿で顔をしかめていた。
「今日は、アジとイサキだったわよね」
 と先程よりもずっと不機嫌そうに言って、網の中の魚を二、三匹取ると、台所へと向かった。
 ……早く何とかしなければならない、とネズミは思った。

 ×××

 その日の最後の食事が終わると、ネズミはすぐに眠る。
 ネズミや他のサメの獣人に限らず、水棲の獣人のほとんどは川の中、海の中で眠る。
 栄養はほとんどが体温の維持のために使われ、ごく一部が水かきや内臓の形成に使われる。
 のだが。
「んん、ネズミィ……」
 翼のふわふわとした綿のような感触と、肌がぴとりとくっつく暖かい感触が、ネズミの鼓動を早くする。
 一人で寝るのは嫌だと言われたのはかなり初期の頃だが、これまで何度一線を越えようとしたことか。
 この頃はネズミの方が先に寝ていたから、そういう欲望は抱かなかった。しかし今日はリカの方が早く寝てしまった。この状況で寝るのは、辛い。
 起きたときに傍にいないと、思い切りぶん殴られるだろう。だから傍にはいないといけないが、しかしこの状況で寝られるのは男じゃない。
 犯したいという言葉が頭の中で反響する。
 しかし、幾らなんでもそれは駄目だ。絶対にやってはいけない。幼馴染であるとかそういうことは問題ではなく、彼女とだけはやってはいけないのだ。
 そんなネズミの強い意志も、この安心しきった寝顔の前ではほとんど無に帰すようだった。
「ネ、ズミィ……」
 いつもなら眼を吊り上げてひどく怒っているか、そうでなくとも口を尖らせて拗ねているかしているその顔は、寝ているときだけは安心しきった顔を見せる。
 歳相応の可愛らしさを持ち合わせながらも、十三歳とは思えない艶かしさがある。
 そんな少女が音だけなら¨そういうこと¨をしているのかと勘違いするような、実に艶かしいことこの上ない息を吐き、自分の名前を健気に、また儚げに呼んでいる。
 ネズミの下半身はひどい劣情に襲われていた。それは栄養を体温維持のために使わないから体力が余って仕方がないと言うこともあったが、何より彼女が美しかったという理由があった。
(収まれ! 相手はリカじゃないか!)
 子供だぞ、しかも繋がってはいけない相手だぞ、と思うも、それは背徳を加速させる。
 ネズミはひどく溜息をつくと、
「……外に出るか」
 と呟く。外に出て、先に起きて傍にいれば大丈夫だろう。その考えは正しいような気もしたし、残念な気分もした。
 ネズミは外に出ると、冷たい川の水に自身を浸し、少しずつ意識を落としていった。
 翌日の結論から言うと¨フライパン¨だった。

「まったく、一人にしないでって言ってるのに」
 謝っただろうと思いながらも、ネズミはへこへこと頭を下げる。
 内心では「もう子供じゃないんだから一人で寝てくれ」という気持ちで一杯のネズミだったが、しかし遭難した少女にそれを言うのも酷だろう。

 リカは頭を下げるネズミに両腕を組んで仁王立ちする。
「何で一人で寝てたのよ? それも外でさ」
「……何か、前の癖が、今でも残ってたんだよ」
「ふうん――なら、良いけど」
 良いと言いながらも、その表情はひどく不機嫌そうだ。
 まるで「何で私だけが」とでも言うようだった。
 ネズミは下手に出ながらも、ゆっくりと扉に近づく。
「……じゃあ、漁に出てくるから」
 と、おずおずと告げる。リカはネズミを睨みつけ、
「行ってきなさいよ、さっさと。そうしないと、朝食も食べられないしね」
 と、ぶっきらぼうに言った。
 ネズミは悄然とした様子のまま海へと出ていく。
 昨日の燦々と照らすような太陽と比べれば暗いが、それでも充分明るかった。
「……暑い、なあ」
 暑いのは嫌いじゃないが、いつも水中で暮らすサメのネズミには少々暑すぎる。
 ネズミは頭をガリガリと掻きながら、
「ほんと、リカってばどうしたんだろう」
 と思った。もちろん本人を前に言えることではない。
 ネズミは海に入るといつものようにえら呼吸を始め、水中へと潜っていった。
 いつもと同じだった。遭難したときから腰につけている網を海へと撒いて、魚を捕る。それだけのはずだった。
 だが――そのとき、何処かから咆哮が聞こえた。
(…………!)
 ネズミのいた水中には巨大な影がかかっていた。丸みのある形だが、その表面は岩盤のように硬そうだ。それは海底を踏みしめながら、徐々に地上へと近づいていった。
 それはリカに教えてもらった、キョウリュウとか言う奴のようだった。
(――早く、伝えないと!)
 と考えて、ネズミは大きく水を掻いた。
 ネズミが地上に出ているときには、その巨大な生物は既に半分ほど身を海中から出していた。
 ネズミは再び海に入った。怪物の速度と自分の歩く速度はそれほど違いはないが、自分の泳ぐ速度ならば自分の方が圧倒的に早い。川を迂回しても恐らくネズミの方が早く着くだろう。
 ネズミの考えにほとんど間違いはなかった。
 見落としがあるとすれば、怪物の地上での速度だろう。通常の水棲動物は水のある方が早く動ける。
 しかし怪物にとっての水中での歩行は、冬眠中の夢遊病に過ぎないものだった。全身に空気が触れると、怪物は少しずつ冬眠から眼を覚ましていった。
「――――!」

 産声か欠伸をするように叫ぶ。怪物は完全に覚醒し、そして真直ぐと餌場へと向かった。
 一方、ネズミは川岸から上がると、ちょうどすぐ傍にあった旧世紀の小屋へと走った。
「……リカ!」
 リカは男物の服を畳んでいた。小屋に置いてあったものをネズミが使っている。
 その呑気なのかのんびりとしているのか良く判らない様子に、ネズミは歯噛みする。
 一方、リカは
「――何よ? そんなに大声を出して」
「早く逃げないと! すっごく、大きい怪物が……」
 はあ? とリカは言った。
「すごく大きな怪物だよ! のそのそと歩いてるけど、鯨みたいに大きいんだ!」
「……あんたはネズミでしょうが。オオカミ少年になってどうするのよ」
 ネズミは信じる様子のない
「で、でもさっきから、大きな地響きがしてるだろ?」
「ああ――それは、ほら、あれよ」
 リカはそっと外を指差す。そこには先ほどの怪物がいた。
「そうそう、あれだよ! 早く逃げなきゃ!」
「……知らないの? あれは――」
 と言って、黄ばんだ分厚い本を手に取る。ぱらぱらと捲っているが、そこにある字はネズミには一つも判らない。ネズミはサメとしての修行はしても、読み書きの勉強などしてこなかったのだ。
 リカもそのはずだったが、数ヶ月ほど本を熱心に読んでいるうちに、自然と判ったという。ここが何処なのか知りたいと、そういう心積もりもあったらしい。
 リカが開いたページには、怪物の映った綺麗な写真と、何行かの説明が書かれていた。
「な、なんて書いてあるの?」
「えーと……」
 とリカは文字を強く睨みつけ、声に出して読んでいく。
「¨食事は柔らかい植物性のものを好み、特にこの島では西部の草原地帯へと直行することが多い¨……だって」
「……草原、ということは」
「こっちには間違っても来ないわね――で」
 と言って本を閉じると、リカは爬虫類のような眼つきでネズミを睨みつけた。
 ネズミは思わず身を竦め、それがますますリカには不満のようだった。
「それにしても、ねえ。何で、あんたが」
 リカはネズミに近づき、大きく息を吸うと――

「何であんたが、私を心配してるのよ!」

 と、絶叫した。その華奢な腕を振り上げ、思い切りネズミを叩いた。
 叩かれている。華奢な腕で、ビシバシと叩かれている。
 ネズミにはどういう理由で殴られているのか判らない。
「ちょ……やめ、やめてよ、リカ……」
 鋭く切れるような翼は畳んでいて、その腕には着けていないので、それほど痛くはない。
 痛くはないが、逆に裸になった華奢な腕が傷つくかもしれないと思うと、自然と下手に出てしまう。
「な、何で僕が殴られてるんだよ……」
「あんたが、そんなんだからよ! 何であんたは、私の心配なんかしてるのよ!」
 しかし下手に出れば出るほど、リカはネズミを強く睨みつけ、強く叩こうとする。
「私たちは、遭難したのよ! あんたももっとしっかりしろ!」
 ネズミはハッとした。半年間、言われ続けている言葉を思い出す。
『私は大丈夫だから! あんたの方こそ、もっとしっかりしろ!』
 そういえば、そのときからずっと、そう言い続けているのだ、彼女は。
 どうして気付いてあげられなかったのだろう? ずっと彼女は焦燥を溜め込んできたのだ。
 リカは怒りとそれを露にしてしまった恥ずかしさに顔を真っ赤にしていた。
 しかしネズミは、それに気付かない振りをして、
「……気を張りすぎって、言っちゃ悪いけどさ」
 ネズミは荒い息を吐くリカに、冷静な口調で言った。
「この頃、少しおかしいよ。リカは焦りすぎだよ」
 リカはその言葉に少しだけ落ち着いたのか、静かに首を振る。
「……焦らない方が、おかしいわよ。おかしかったのよ、今までが」
 リカは弱々しく言った。その言葉に、すごく儚げな印象を感じ、抱きしめたくなる。
 でも、もちろんそんなことは出来ない。自分はサメで、彼女はペリカンなのだから。
 ネズミは淡々と伝える調子で言う。
「ここの生活は悪いものじゃないし、その、もっとゆっくりした方が良いと思うよ。急いだ方が良いのはそりゃ、判るけどさ」
「……何で、あんたはそんなに呑気なのよ」
「呑気なんかじゃないさ。――僕も六人兄弟の長男だけど、いなくなった子供の心配をこんなに長くするほど、僕の両親はのんびりしていない」
 ネズミは苦笑いする。
「多分だけど、いなくなって一ヶ月ぐらい経った頃には、あの人たちは諦めていただろうね」
「じゃあ、尚更しっかりしなさいよ! さっさと帰りたいんじゃないの!?」
 ううん、と首を横に振る。
「もうあそこに、僕の居場所はないよ。――リカは未だ、あと一年は心配してもらえるかもしれないけど」
「…………」
 リカは無言のまま、下を向いている。
 ネズミはリカが唇を噛んでいることにも気付かずに、笑いながら言った。

「大丈夫だよ。僕ももうすぐ、えらが開き終わるからさ」
 明らかに誤魔化しだった。早くてもあと二年か三年はかかる。
 しかしネズミは誤魔化しでも、彼女を慰めたかった。
「そうしたら、きっとあそこまで行けるくらいにはサポートしてあげられる――」
 よ、と言おうとしたとき、ぱちんと頬が鳴った。
 赤くなった頬を呆然と触りながらも、
「あんたさあ、馬鹿じゃないの! 何で勝手に諦めてるのよ!」
「……諦めてるなんて、言ったっけ?」
「言ったわよ――自分のことを諦めてるのに、何で私のことだけ心配できるのよ!」
 ぐす、ぐす、とリカは泣き始めていた。
 ネズミは慌てながらうろたえているが、リカはネズミがいることも構わずに、大きな泣き声をあげる。
「そりゃ、判ってたけどさ――だって、もう半年だし。そんなことくらい、誰にだって判るわよ」
「……うん」
「だ、だって――私にだって、アレが来たし」
 あれ? あれって何だ?
 ネズミが怪訝そうな顔をしていると、リカは赤く腫れた目元のまま言った。
「せ、生理が来たし――もう、求婚期なのよ! 焦るに決まってるじゃない!」
 …………求婚、期?
「せ、生理って――」
「そうよ! もう求婚期なのに――相手もいないで、どうするのよ!」
 再びぼろぼろと泣き出した。しかし、どうしろと言うのだろう。
 そんなことを自分に言われても、と思う。自分はどう頑張ってもサメなのだ。死んで生まれ変わりでもしない限り、ペリカンの彼女と子供を作るのは不可能だ。
 いや、作れることは作れる。しかしそうすれば、サメとペリカンという遠く離れた遺伝子の自分たちではほとんどの場合で奇形になるだろう。
 本当にごく僅かの可能性で上手くいっても、自分も彼女も新種を開発することになってしまう。
 新種を作るということは獣人にとって、近親相姦や同種食い、親殺しにも勝る禁忌だ。新種を作ってもその種は絶対的に数が少ない。いずれ滅びることは眼に見えている。
 そんな種を作り出して責任が取れるほど、ネズミは強くない。
「……じゃあ」
 そのはずなのだ。本当ならば。
 それでもいつもは強気の彼女が泣いているところを見てしまっては、
「じゃあ、僕がやるよ」
 と、言うしかなかった。

「…………」
 リカは驚愕で蒼い眼をぐぐっと見開いて、無言でいる。
 馬鹿か僕は、とネズミは内心で自分を罵る。何を馬鹿なことを考えてるんだ、とでも怒られるのが関の山だとネズミは思う。
 責任が取れるのか、とでも言われたら、絶対に反応できない。多分そうなったら殴られる。
 今のうちに痛みに堪える準備をしておこう、とネズミが思っていると、
「……そうよ」
 リカはうん、と頷く。へ? とネズミが反応し終わる前に、
「そうよ、うん」
 と再び頷いた。眼はどんよりと濁っているような気さえするが、表情は歓喜に溢れている。
「ちょ、ちょっと待って――本気?」
「本気も何も、あんたが言ったんじゃないの」
 言葉とは裏腹に、その表情は一気に弱々しくなった。『駄目なの?』とでも言われているような気さえした。捨てられている子犬の眼とはこういうものだろう、ともネズミは思った。
 思わずネズミはうぐっ、と詰まる。
「で、でもさ――本当に良いの? だって――」
「悪いの?」
 じっとネズミの眼を見つめてくる。
 何処が濁った眼だろうか。透き通って、水晶のように青い輝きを放つ、宝石のように綺麗な眼だ。否、ようにではない。これは紛れもない宝石だ。
 リカの眼はしっとりと潤み、その眼に惑わされるように、ネズミの意識はぐるぐると回った。心臓のみならず、ネズミは全身からぶるぶると震え、否、震わされていた。
 リカは震えているネズミにゆっくり抱きつくと、弱々しく押し倒した。ネズミは逆らえなかった。
「……しても、良いよね?」
 うふふ、と妖艶に微笑む。今までの様子が全て演技だったかのように思われる。
 彼女はゆっくりとスカートを外し、下着を脱ぐ。
「んん……脱ぐの、久しぶりだなあ」
 無邪気にそう言った。そしてワイシャツを脱ぎ始める。
 こんなにも安らいだ表情は久しぶりだなあ。ネズミは茫洋とした意識でそう考える。下半身のそれはズボンを押し上げて痛いくらいに屹立しているが、それでも実感が湧かない。
 リカの方は翼が引っかかって、なかなかワイシャツが脱げないようだった。
「ああ、もう! 鬱陶しい!」
 と言うと、ぐい、と背中を丸め、そして背中に力を入れると、びりびり、とワイシャツが破けた。
 その真っ白な翼は大きく広がり、そしてネズミとリカに覆い被さった。
 リカの真っ白な胸とその頂点にある桃色の突起は実際、芸術としか思えない。しかしその温もりは冷たい石像にはないな、ともネズミは感じた。

 リカはネズミの胸板にぺたりとくっついた。柔らかく押し潰される胸の感触に、ネズミはどきどきと鼓動を波打たせる。
「……このままでも、良いのかな」
 と、リカは呟く。ネズミが訝しげな顔をしていると、リカは、
「このままでも、良い。――ネズミ、そう言ってたじゃない? でも、私はそうは思えなかった。そんなこと、私が思っちゃいけないって、そう思った」
 と言って、その柔らかい両手でネズミの右手を取った。撫でるような彼女の動きは性的なものがあった。と言っても、これからそんなことなど及びもつかないほど、性的な行動をするのだが。
 しかしリカの声は儚げで、それだけ聞けばそんなことは感じさせない。
「あのすっごい嵐のときさ――サメのネズミ一人なら、逃げられたと思うのよ、私は」
「――そんなことないよ!」
 ネズミはぶんぶんと首を振ったが、リカは静かに微笑む。
「あるの。――それで私、自分はどうなっても良いから、ネズミを助けなくちゃなって、そうずっと思ってた。だから、ずっと緊張してた」
「……ごめん」
「何で謝るのよ。良いんだってば。私が勝手に考えてただけなんから、気にしないでよ」
「でも、ごめん」
 ネズミは心底申し訳なさそうにしているが、リカは苦笑した。
「だから、謝らないでって。……でも、さ。私にもとうとう、生理が来たわけ。当たり前だけどね」
「うん」
「生理が来たら、ネズミを助けられなくなるって、そう思ったら、焦っちゃった。今朝のは、そこにネズミが私を心配するみたいにするからさ、つい怒っちゃったのよ」
「うん、ごめん」
「だから心配しないでよ――さっき怒っちゃったのも、さ。ネズミがもう自分のことは諦めてるって聞いたら、それが自分が弱いからだって、そう思ったら、悔しくて」
「うん、うん――」
 と、ネズミはただ頷く。リカは嬉しそうに胸板に頬を擦りつける。
「ごめん。ずっと、押しつけちゃって。甘えてて」
「ううん――大丈夫だよ」
「私さ、遭難してからあんたにずっと、怒ってばっかりだったけど。でもね」
「うん」
「遭難する前も、してからもさ。嫌いじゃなかったよ――ううん、好きだった」
「うん、うん」
「でもさ、新種なんて作ったら、怒られるって――でも、さっきので、決心がついた」
 ……つまり僕のせいと、そういうことですか?

 ネズミはそんな風に思って、苦笑する。そっとリカの髪を撫でると、リカは眼を見開くが、すぐに猫のように気持ち良さそうにした。
 安心して、と伝えるように、ネズミは優しく髪を梳く。リカも応えるように、
「好きだよ、ネズミ」
 と、言った。そして、のそりと起き上がる。
 何をしているのだろうとネズミが訝しげに思うと、下半身に甘美な刺激が伝わってきた。
「…………う、ぐ!」
 と、息が詰まるような感覚だった。
 リカは媚びるような、愛しいような、奇妙な視線をネズミに向けた。
「何やってるのよ――こういうことするって、言ったでしょ」
 嘲るような言葉とは裏腹に、リカはひどく愛しげにネズミの下半身を愛撫する。
「ふふ――」
 と艶やかに微笑むと、またネズミの胸板に、ぴとりとくっついてきた。
 リカは柔らかい胸を、先ほどよりもぐいぐいと押しつける。乳首を擦りつける。
「あふ……あぁ、ふぁ……」
 乳首を擦りつける度に、リカは喘ぎ声を漏らす。淫らと言うよりは可愛らしい喘ぎ声だ。
 ふと、下半身に濡れるような、締めつけるような感触を感じる。これは――
「んん、しょ――ひゃっ、ふあ。ネズミの、おお、きい、よぉ」
 股間で擦られていた。へその下からくるぶしまで生えている羽を、股間の翳りから出る蜜がしっとりと湿らせている。濡れた羽の感触は複雑にペニスを刺激した。
 そして亀頭に押しつけられるぷにぷにと柔らかいお腹は、ネズミのそれをゆっくりと縦に擦り、へその感触はひどく甘い刺激になった。
「んん――まだ、いっちゃわないでよ……」
「む、むりむり」
「だめ、だめ。だって、あんたのは――」
 リカは見せつけるように自らの股間の割れ目をそっと開けると、
「あんたの白いのは、私のここに入れるんだから」
 と、笑った。快活そうな、昔からのリカの笑みだった。
 リカは誘うように唇を舐めると、からかうような上目遣いでネズミを見つめる。
「あんたのなんか、私のここで、丸呑みにしちゃうんだから」
 言葉は嘲っていたが、彼女の眼は強い欲情に潤んでいる。
「だ――大丈夫なの? リカ、初めてでしょう?」
「どんな女でも経験することよ。……大丈夫に、決まってるわ」

 痛みへの恐怖はあるのだろう、自分に言い聞かせるようにリカは言った。
 しかしリカはそれ以上の期待と欲情を瞳に輝かせている。
 リカは一瞬だけ躊躇すると、自分の茂りにぐい、とネズミのものを突っ込んだ。
「う、ぐぅ……!」
 リカは痛みに悶える。眼からぽろぽろと涙が落ちたが、リカは必死に痛みを堪えた。
 ネズミはそれを慰めるように、実に唐突に、しかし滑らかな動作でリカの唇を奪った。
「…………!」
 リカはびっくりしたように眼を見開くが、しかし自ら舌を入れる。ネズミもそれに対抗するように舌を入れて、しばらくすると二人は、舌と舌を繋げるように絡め合った。
 破瓜の血がネズミの睾丸を伝わって、ゆっくりと木目の床に落ちたとき、二人はふと唇を離した。二人の唇は唾液で繋がった。
 リカの濡れた唇はとても美しいと、ネズミは思った。
「……大丈夫」
 と、リカは頷く。自分に言い聞かせているようだった。
 ネズミはリカの濡れた目元を指先でそっと拭い、髪を撫で続ける。
「大丈夫。もう、大丈夫」
「……無理しないで」
「無理じゃ、ないわよ。――動く、わよ」
 ずぶ、ずぶ、とリカは腰を動かし始めた。
 破瓜の血はほとんど潤滑剤の意味を成さず、先ほどまでの蜜だけが唯一の潤滑剤だった。
 その擦れ方はネズミには痛いくらいで、それを紛らわすようにリカの胸に触れた。
「…………!」
 ひふ、とリカは弱々しい喘ぎ声を上げた。それと一緒に少しだけしっとりと濡れた気がした。
 ネズミはその締めつけに痛みを感じながらも、胸を弄る。
「やめ、やめなさいよ、やめ……」
 とリカは快楽に喘ぐ。リカは泣きそうな顔をして、手を振り払う。
「やめ、やめて――」

 痛かったのだろうかと思って、思わずネズミは手を離す。
「ご――ごめん」
「……謝んないで」
 と、リカは言った。
「そういうんじゃなくて、これは¨ごめんなさい¨だから」
 え? とネズミが聞き返す。
「自分勝手で悪いって思うんだけど――¨ごめんなさい¨させて。……私ばっかり気持ち良くなんて、なりたくないの」
 ……贖罪、ということだろうか。つまり、自分を気持ち良くしたいと――?
 ネズミがそんなことを考えてぼんやりしていると、
「んんっ、ぐ、くうっ」
 リカは何故かゆっくりと、その綺麗な割れ目からネズミのものを抜いていった。
「な、何で――」
「こっちはまだ、きついみたいだから――だから今日は、こっちで」
 と言って、再び股間に擦りつけた。
 しかし今度は、リカはネズミのものを擦りつけていると言うより、乗っていると言った方が良い状態になった。リカは柔らかくも引き締まった尻で、ゆっくりとネズミのものを扱く。
 それまでの愛撫が長かったせいか、ネズミはその甘美な刺激に堪えられなかった。ネズミはリカの尻からものを抜くと、その刺激だけで射精する。
 リカは驚いたように身体にかかった精液を見ていたが、ふふ、と微笑む。
 微笑みながら、かかった精液をぺろりと舐めた。リカは嬉しそうに笑いながら、
「一杯出たね――まだかたくなってるけど、する?」
 ネズミは頷いたが、その瞬間に尻で扱かれて、あっさりと二発目を放った。
 ネズミがぱくぱくと口を開閉していると、リカは妖艶な笑みを浮かべる。
「もっと、もっとかけて――もっと」
 リカはそう言うと、萎えかけたペニスをそっと舐める。ネズミがぺったりとくっつく舌の感触に慄いていると、リカは恐ろしいことを平然と口にした。
「……¨ごめんなさい¨は、半年分はしないといけないよね」
 ネズミは温かな口内にしっかりと咥えられたペニスに、反論も出来ずにいた。
 まさかの三日ぶっ続けとは、ネズミも思わなかった。