この地域には古い言い伝えがある。
俺がまだ警察犬になる前、子犬の時分だったか、祖母から幾度となく聞かされた話だ…。
あれから何年だろうか、俺は制服に身を包み、胸と肩には憧れのK9インシグニアを付けていた。

「ハァ…しかし、こんな所で白神様をお目にかかれるとは夢にも思いませんでした。」
「ふん、久しぶりに人里に来てみればこの有り様じゃ!
ちょっと蛇の姿で散歩しただけであの喧騒、挙げ句の果てに保護じゃと?
全く…だから人間は嫌いじゃ!」
むきー!と顔を真っ赤にしてがなりたてる白神様。
白神様は神の遣いだとか蛇神の化身とかなんとか、って話を子供の頃に聞いた記憶があるけど…眼前の白蛇からはそんな神々しさは微塵も感じられない。
まあ確かに言い伝え通りに美しい女性の姿をしているし、肌も髪も透き通るように真っ白だ。
ハコ長に言われて交番からここまで来た甲斐は無きにしもあらずといったところだろう。
だがしかし。
「白神様、せめて服をお召しになられてはいかがでしょうか?」
「なんじゃと?国家の犬が我に指図するのか?」
「いえ…白神様といえど公然わいせつはまずいかと―――」
「裸 で 何 が 悪 い!」
「ハコ長、ただいま戻りました…って留守か。」
「ふう…なんじゃ、出迎えも無しか。我も落ちぶれたものよ」
どっかとパイプ椅子に腰かけ、机につっぷす白神様はさも面白くなさげにつぶやいた。


―――ふん、面白くない。久しぶりの人界は散々じゃ。
人間には騒ぎ立てられる、我を保護しにきたとか言う犬の獣人めは口うるさい、我の宿はない…全くもって不愉快じゃ!

「あの、白神様のお住まいは…」
「ないと言っておろう!」
「白神様…住所不定…と。職業は?」
犬の獣人はしっぽをパタパタと降りながら、書類に書き込んでいる。
「職業じゃと?我こそは大地が型なす遥か古より(中略)という訳じゃ。」
「無…職…と。ちょっと失礼します。」
手慣れた感じで書類を書き上げた犬はそれを丁寧に綴り、奥の部屋に持っていくと、引き換えに愛嬌のない字体で「○○県警察」と書かれた箱を持ってきた。
ぼんやりと眺めていると、今しがた書かれたかのような汚い字で「神様」の二文字が入っているのが見える。
「白神様、白神様。ご覧下さい。」
なにか達成感に満ちつつも意図不明な笑顔で我に箱を差し出す犬。
「なんじゃこれは?」
「あなたの家です」
夕日が赤い…だが、俺の心は真っ暗だ。
ふいに目をやると、街頭のショーウインドーに映った自分と目が合う。
耳は力なく倒れ、尻尾も負け犬そのものだ。
今の俺は、発情期を迎えた雌の犬人を見ても興奮はしないだろう…それほどまでに先は真っ暗だった。

―――う~ん、残念ですが…当館では神様は引き取れないんですよ…

―――なんだ、向こうではダメだったのか?この交番では引き取れないし…よっしゃ、お前引き取れ!
よかったな、お前にもつがいができそうじゃないか!ガハハ!

くそう、みんな好き勝手言いやがって。
そもそも俺は犬だっつーの。
蛇なんかに…まあ確かにかわいいけど…異種姦は俺の沽券に関わる。
「ぶつぶつとうるさいのう…犬、貴様の住み処はまだか?
我はメシを所望だ。はよう致せ。」
段ボールの中から、白蛇がチロチロと赤い舌を見せながら俺を睨んでいる。
どうも白神様は、段ボールの狭さが蛇の体には心地よいらしい。
俺としては、この段ボールをそっと道端において立ち去りたいところだが、流石に“捨て神様”にしてはばちが当たるだろう。

「ここが我が家です。まあ、ボロアパートの狭い部屋ですが。」
「ふーむ…」
神様はつぶやきながらシュルリと箱から這い出し、右へ左へしきりに物色を始めていた。
それにしても汚い部屋だと我ながら思う。
床には月刊「メス犬」、「いぬみみずかん」、「犬のお巡りさん~小さな子猫は好きですか?~」、「ナナ、1歳の春、衝撃のデビュー!」など、およそ雌には見せられない物ばかりだ。

そんな床をふむふむ言いながら這い回る神様だったが、やがて元の段ボール箱に戻ると、とぐろを巻いて目を閉じた。
「気に入った。我はここを社とするぞ。そして眠いから寝る。
メシは案ずるな、後で貴様の精を頂くからの。」

「はいはい…って…ちょ、待て!」
返事はない。ただの白蛇のようだ。

何かが間違っている…だが、何が間違っているのか俺にも分からない。

窓の外は真っ赤な夕焼け。空を飛ぶカラスの娘までもが俺をせせら笑った気がした。
俺は無性に叫びたくなり、ガラリと窓を開け放った。

「シンゴー!シンゴー!」