みりみり、と首が軋むような音が、自分の中から聞こえる。気道が圧迫されると共に、
首筋の動脈を、幸さんのしなやかな親指で制され、どくん、どくん、と血が皮膚の下で爆ぜる。
ゆっくりと、しかし確実に、僕は、幸さんの手によって、死の淵へ押しやられていた。

―愛する人の、最愛の人の手に掛かって、死ねる―

それは余りにも甘美な闇だ。初めて幸さんと出会った海でのように、この女性(ひと)の
腕の中で死ねるのなら…後悔は…後悔は…、……後悔は……?

――チガウ――

僕の中の何かが……たぶん、最愛のメスを得たオスとしての本能が、

――ボクガ、イナクナッタラ――

地獄のように黒く、血のように苦く、恋のように甘い、死の抱擁を、

――幸サンハ――

その果てにもたらされる、最悪の結末を、理解した。

――幸サンノ心ハ――

この死を、受け入れてしまえば…、

――幸サンノ心ハ、本当ニ死ンデシマウ――

その瞬間。

僕の脳裏に、幸さんの泣き顔が浮かんだ。

いや、幸さんだけど、今の幸さんじゃない。もっと小さな頃の幸さんが、目に涙を溜めて、
必死に悲しみをこらえようとしている。きっと、肉親か、親友か、そういう大切な人を失ってしまい
でも、泣きだしてしまったら、きっと元に戻れなくなってしまう…そんな姿が、なぜか僕の脳裏に
鮮明すぎるほど鮮明に浮かび上がる。

「だめだ…、幸さん…」

それは、信じられない力だった。自分でもこんな腕力があったとは思えないほどに
幸さんの手首を掴み、ゆっくりと、けれども確実に、拘束の手を、押しのけていく。

「だめだ…、幸さん…」

それは、信じられない力だった。自分でもこんな腕力があったとは思えないほどに
幸さんの手首を掴み、ゆっくりと、けれども確実に、拘束の手を、押しのけていく。

「ぼくが…しんだ…ら…」

死。

その言葉に、本能に支配されていた幸さんの眼光と、最高の子種を待ち望む恍惚とした表情が、凍り付いた。
まるで能面のように表情を喪った幸さんの手からは、更に拘束の力が弱まる。

「幸さんも…幸さんも…壊れてしまう…」

頚動脈が、続けて気道が、ゆっくりと、しかし確実に、幸さんの手による拘束から開放されていく。
初めて幸さんに助けられた時は海水が肺に流れ込んだけれど、湯気交じりの空気が
新鮮な酸素を待ちかねた肺に、どっと流れ込んだ。文字通り、溺れてしまいそうな量の
久方ぶりの空気にカラダが安堵したのか、一瞬視界が白く濁る。

けれど、ここで気を失う訳にはいかなかった。ぎりり、と唇を噛む。
塩辛く、鉄臭く、微かに苦い血の味と、じくり、とした痛みが滲んだ。
けれど、その痛みが、遠のきかけた意識を呼び戻す。
足りない空気を搾り出し、言葉を続ける。

「僕は、生きたい」

「僕は、幸さんと、生きたい」

ぴくり、と凍り付いていた幸さんの表情が微動した。

「僕は、あなたと、幸さんと、生きたい」

喉で詰まっていた言葉が、井戸のポンプを漕ぐように、迸ってくる。

「僕は、あなたと、幸さんと…生きて、生きて、添い遂げたい…!」

そこまでの言葉を、思いを、を吐き出した瞬間、幸さんの瞳から、本能の昂ぶりを示す
紅い光が明滅を始めた。

「だか…」

ら、と続けようとした言葉が、力を失い抜けた吐息に化ける。酸欠で、頭がくらくらする。
精一杯の訴えかけも、ここまでだった。ゆっくりと、幸さんが僕の方へのしかかってくる。

――最期に見たものが幸さんの顔で、よかったな――

出せるものは出し尽くした。けれど、力が足りなかったな…そんな思いが、最期に頭をよぎる。

ぽたり。


そんな諦めに囚われた僕の顔の上に、暖かなものが零れ落ちた。
天井の水滴…?

違う。

水滴は、湯気が冷えて天井に露となって落ちてくるもの。だから、もっとひんやりした雫のはず。
その事に気付いた時、酸欠で霞む目の前が、ゆっくりと焦点を取り戻していく。

目の前の、幸さんは、ぽろぽろ涙をこぼしながら、僕のことを見つめていた。


「ばか…」

瞳の眼光は消え、いつもの幸さんの顔のまま。

「郁人のばか…」

よかった…僕は幸さんを、助けられたのかな…。

「こがな無茶して…うち、うち…」

「幸さん…」

「! 郁人!?」

「よかった…ちゃんと…明るい幸さんだ…」

「うちの心配なんかしとる場合がかよ…郁人のおひとよし…」

「大丈夫ですよ…だって…」

「「だいすき」」「やき…」「です、から…」

想いを伝えられた安堵。けれど、神様は、僕に本能の悪戯を掛けていた。
胸が一杯になった瞬間、「全てを出し切って」なんかいなかった僕の一部が、
引き絞られたものを、撃ち出してしまった。

「あっ…幸さん、ごめんなさ…」
「…え? ひっ、くぁ…っ!」

散々絞り上げられ、焦らされ、待望の瞬間を待ち望んでいた僕のペニスは、
根性と堪え性を使い切ってしまった僕の事なんかお構いなしに、
溜めに溜めていた遺伝子を、幸さんの膣内に、解き放った。

びゅく、びゅく、びゅく…ぴしゃっ。

ナカで顔付き合わせていた幸さんの最奥に、何度も、何度も放たれたものが飛沫くや、
僕の射精のリズムに沿うように、ぎゅにゅっ、ひくひくっ、と幸さんが僕を締め付け、

「は…あはっ…これ、凄、熱く、てっ…」

くたっ、と上半身の力を失った幸さんが、僕に凭れ掛かって来る。
たぷん、とした幸さんの張りのある乳房を胸に感じてはいたが、
同調する絶頂のパルスの肉体の悦びと、愛する女性に絶頂を与えられた充足感に
恍惚とし、また目の前の霞みに身を任せるほかなかった。

(もうちょっとだけ続くんじゃよ)