「……」
気がつくと、見えたのは、古ぼけた木の天井だった。
「ここは……」
身を起こそうとして、ものすごい虚脱感に身体を襲われた俺は、
そのまま布団の上に沈みこんだ。
布団?
「お、気がついたみたいだぞ」
「あっ! よかったー!」
声がする。
男の人の声がふたつ。
片方は年上に思え、もう片方は同い年か下くらいのものに聞こえる。
身を捩ってそっちのほうを見ようとしたが、やっぱり身体は動かなかった。
「あ、動かナい方が良イでス。あなたの身体、弱ってマす」
三人目の声。
微妙にイントネーションがおかしいけど、びっくりするくらい綺麗な声が降ってきた。
俺をのぞきこむ顔が三つ。
「よかったー。意識が戻らないんじゃないかとハラハラしましたよ」
同年代の学生の、ほっとしたような表情
「大丈夫だ、ここで治せない毒はないぞ」
サラリーマンが、元気付けるように話しかけてくる。
「正確ニは、あノ娘の牙、毒ではアりまセん。敗血症を起コすバクテリアです。
でモ、私、そちラのほうも、トても研究しテます。さっキ打ッた注射で、菌、全部退治でキましタ」
純血種と違う瞳の、どきりとするくらい美しい女性。
俺は、三人のことばを働きの鈍い頭で反芻した。
……助かった、ということか。
「あ、デモ、体力をとテも消費しまシたかラ、まダ動いてハ駄目です。
こレを飲んでからジャないと……」
女の人が、立ち上がり、壺を持って戻ってきた。
「これ…は……?」
思わず質問して、自分の声がびっくりするくらいしゃがれていることに気がつく。
「まだ、喋らナいで。水分と栄養ヲ、随分消耗してイます。これデ補充するノでス」
女の人は、壺の中にペットボトルの水をあけた。
500mlを、二本?
「あとハ、果糖ヲ、400ml」
今度は、何か液体が入った瓶をあけた。
「ちょ……」
声にならない声をあげたのは、その美女が、
それをかき混ぜるために自分の尻尾の先を、壺に突っ込んだからだ。
神妙な顔で壺を見つめる美女は、やがてにっこり笑ってそれを終了した。
壺を、俺に差し出す。
「1.4キロの砂糖水。あなタに必要な最低限のものです。
……ほンとは、この十倍が望ましいのですが……」
そんなもの14キロも飲んだら死ぬんじゃ……というより、1.4リットルだって相当なものだ。
だが、俺は、抗議する力もなくそれを受け取った。
頭はともかく、身体がそれを欲していた。
水分と、吸収しやすい栄養。
大きなペットボトル一本分に近い分量のそれは、あっと言う間に俺の喉を通っていった。
「うぷっ」
飲み終えると、さすがにむせかえったが、吐き出すこともなかった。
自分でもちょっと信じられないが、これが追い詰められたときに
生物が発揮する力というものだろうか。
俺は、喉の渇きが癒えると同時に、全身が楽になったのを感じた。
急速に熱が取れて行く感覚。
「どうヤら峠は越えタようですね」
爬虫類の瞳を持つ美女が微笑んだ。
「ここは……」
起き上がってあたりを見渡したとき、ドアが開いて答えが返ってきた。
「私のアパート……の隣室、百歩蛇さんの部屋だ」
「……鰐淵……先輩?」
俺は、外から入ってきた学生服姿の長身をぼんやりと眺めた。
「うむ。下校の途中、君を担いだ龍那に出くわしてな。
バクテリアが…予想以上に利きすぎたことに焦っていた彼女から、……君を任された」
「それは――ありがとうございます」
「礼なら、そっちに……」
鰐淵先輩は、俺の周りに視線を向けた。
「私のつがいは……君を担いで、運んでくれたし、
治療してくれたのは、……こちらの…百歩蛇さん夫妻だ」
「あ、ありがとうございます」
俺は、布団のまわりに座っている三人に頭を下げた。
百歩蛇さん、というのは、多分、砂糖水をくれた女の人のことだろう。
サラリーマンの人は、その旦那。
じゃあ、この学生服が、鰐淵先輩の「つがい」か。
たしかに――俺より年下っぽい。
「<学園>の保健室、とも考えたんですが、距離的にこちらのほうが近かったんです」
鰐淵先輩のつがいが、頭をかきながら捕捉した。
「賢明な判断だ。毒とそれの近いものの治療にかけては、うちの女房は天下一品だぞ」
サラリーマン氏が笑う。
「そンな……」
あぐらをかいた旦那の横にきちんと正座している百歩蛇さんが、
顔を真っ赤にしながら、尻尾の先で夫の背中を軽くはたく。
サラリーマン氏は豪快に突っ伏して咳き込んだ。
「事実だ。……百歩蛇さんは<学園>の保険医に、勝るとも劣らない」
鰐淵先輩がぽつりとそう言い、俺は戦慄した。
純血種のもつテクノロジーの粋を集めても解き明かせない謎が多い獣人の集う<学園>。
その命を預かる<保健室>は、世界最高の病院機能を備えているはずだ。
ここの保険医が生徒の治療の片手間に書き記した論文が、
世界の医術を左右されると言われるようになって久しい。
だが、俺は鰐淵先輩が嘘や冗談を言っているようには思えなかった。
「さて――立てるか?」
俺が、密かに混乱しているのを知ってか知らずか、
イリエワニの獣人は、唐突にそう言った。
「い、あ、はい」
実際、目覚めたときとは別人のように身体が軽い。
龍那と間接キスをする前より、と言ったら言いすぎだけど、
一回地獄の淵を覗いて帰ってきた身体は、普通に動けるだけでも、
奇跡的で、そしてものすごいことのように思えた。
「ジャンプしたら、あの天井に届きそうな気分ですよ」
「うチ、天井低いデす」
「うん、僕でも届きそう」
……俺より10センチは背が低そうな後輩に頷かれ、俺はちょっとばつが悪かった。
「では、行くか」
鰐淵先輩は、靴を脱いでいない。
外へ、ということだろうが、
「――どこへ?」
思わずそう聞いた。
「ティティスと龍那が戦っている。さっき見てきたが、そろそろ決着がつく頃合だ」
鰐淵先輩は腕時計をちらりと見ながら答える。
「へ……あっ!」
不意に、俺は、龍那が俺に毒を盛ったのが、ティティスを挑発するためだったことを思い出した。
「ちょっ! 先ぱ……戦うって、ティティス!?」
俺は、自分でもおかしくなるくらいに混乱した。
「うむ」
鰐淵先輩は、少しずれてきた眼鏡を指で押さえて直しながら頷いた。
「だって、龍那、毒っ……」
「大丈夫」
「大丈夫って……!」
「毒で決着がつくような……女たちではない。行ってみるかね?」
鰐淵先輩は、冷ややかなほどに涼しい瞳でそう言い、俺は絶句した。
「これは……」
目の前に広がるのは、荒野だった。
プールの西にある、<裏山連峰>。
そのふもと、数時間前まで、松や桜の若い木が植えられていた一角は、
見事なまでにそれらが押し倒されていた。
局地的なハリケーンが発生したらしい。
「……」
鰐淵先輩は、この惨状にも興味がなさそうな感じで、黙々と坂道を登る。
どちらかというと、隣を歩いているつがいの様子のほうに興味と関心があるらしい。
もれ聞こえる会話は、今日の夕飯はどうしようか、とかそういう話だ。
だが、俺は気が気じゃねえ。
(何が起こっているんだ、ここで?)
俺の記憶が確かなら、それは、ティティスと龍那の喧嘩のはずだった。
だが、これは――まるで災害か戦争の跡じゃないか。
小山の一つを登りきる。
「~~~!」
俺は、目の前に広がる光景に、絶句した。
そこに「いる」のは、二人の、小さな女の子だけだ。
そして、同時に、世の中で最も獰猛で凶暴な獣が二匹でもある。
ティティスが、尻尾を振るう。
重金属に匹敵するほどに硬い、丸太のような一撃を食らって、
龍那は、軽く十メートルは吹き飛ばされる。
イチョウの若木をぶつかった背中でへし折ったコモドドラゴンは、
あきれるほどのタフネスを発揮して、すばやく立ち上がる。
駆け寄って、お返しとばかりに尻尾を振るう。
ムチと言うよりはしなやかな棍棒のような一撃。
ティティスは地べたに叩きつけられた。
その黒髪に守られた頭を、龍那が思いっきり踏みつける。
それだけで、野性の牛を踏み殺せるパワーで。
「!!」
がつん、とも、ごつん、とも聞こえた音。
「ティティス!」
思わず叫ぶ。
この距離からでも分かる。
今のは、致命傷だ。
頭蓋骨陥没──どころか、脳漿を噴き出してもおかしくない死の一撃。
今、わかった。
あの娘たちが、純血種相手にどれだけ「手加減」して応じていたのかを。
ティティスが俺に簡単に突き飛ばされたり、走って追いつけないのは、
あいつが、そう演じているから。
いや、演じているとか、そう振舞っているとかじゃなく、
獣人は純血種相手に、体力や戦闘力の部門で「本当の本気」になることはない。
それは、俺だって知っていたけど、俺よりも30センチも小さい女の子の、
「本当の本気」が、これほどのものだとは夢にも思わなかった。
そして、その「本当の本気」がぶつかり合って、
ティティスは──、
ティティスは──。
「……芸のない奴じゃの。今の攻撃、何度目じゃ……」
……けろりとした顔で起き上がった。
「何度も食らうほうが恥ずかしいと思わないかしら?」
龍那が悔しげに、だが立ち上がって当然、という表情でののしり返す。
「どうでもよいわ」
ゆらりと立ち上がったティティスの黒い直(すぐ)い髪が、風になびく。
龍那の漆黒の髪も。
俺は、戦慄した。
この二人の、幼い、小さな、だが、強力で残虐な女神の争いの前で。
心臓が鷲づかみになるような恐怖と畏怖。
だが、このドキドキは、それだけじゃない。
俺は、今、何を感じているんだ?
「そろそろケリをつけるかえ?」
ティティスが、別人のような声で静かにつぶやいた。
小さな声にこめられた威厳。
それは、数十メートルはなれている俺の耳にもはっきりと聞こえた。
女王は、廷臣相手に大声を出す必要はない。
支配者の声は、誰の耳にもよく聞こえるのだ。
「はっ、うざいのよ、貴女は!」
龍那が身構えながら答えた。
「貴女といい、鰐淵といい、それだけ強いくせに、男を見つけたとたん、
まだ「つがい」にもなってないうちからデレデレして!
こっちは貴女と喧嘩するのを楽しみに待ってたのに!」
トカゲ族最強の少女は、鰐族最強の少女との対決を望んでいたのか。
鰐淵先輩も、ティティスも、今日までそれに応じずにいた。
だが──。
「龍那。わが背に危害を加えたこと、地獄の底で後悔せよ」
ティティスは、俺を危険な目に合わせたことで、それまでの自制を投げ捨てた。
あいつの本来の、強力で凶悪なナイルワニ獣人の女王の姿を呼び覚ましたのだ。
「――っ!」
龍那が走る。
双腕の連撃は、空中で受けた。
ナイルワニの女王の両腕が、コモドドラゴンの支配者の両手で封じられる。
無防備な喉もとへ龍那が噛み付く。
毒よりも危険な、致死性のバクテリアを宿した牙が。
「ティティス!」
俺は叫んだ。
「……!!」
龍那が噛み付いたのは、ティティスが自分の顔の前に横から割り込ませた尻尾。
だが、尻尾と言えど、あの毒では──。
「勝負……あり」
鰐淵先輩がつぶやいた。
「ティ、ティティスっ!!」
俺はもう一度叫んだ。
いや、もうそれは、悲鳴に近かった。
だが、ティティスは、何事もなかったように、龍那が噛み付いた尻尾を振り回した。
高く高く持ち上げて──地面に叩きつける。
砂埃を巻き上げ、龍那の身体がボールのようにバウンドする。
体重30キロ台の少女とは言え、人間を一人そんなに扱う筋力はどれほどのものなのか。
もう一度大地にキスをしたコモドドラゴンの支配者に、
ナイルワニの女王は、硬く重い尻尾を上から叩き付けた。
龍那は、──起き上がってこなかった。
「ちょ……ちょっと……」
俺は、呆然としてその様子を眺めることしか出来なかった。
頭は混乱しきっている。
動かない龍那。
先ほどからの超人ぶりを見て死んでいるとは思えないが、
その確信が持てないほどのティティスの打撃。
そのティティスは、猛毒バクテリアの牙を受けたはずだ。
「い、医者──。さっきの、百歩蛇さん!!」
俺は、口から漏れた自分の言葉で、何をすべきか気がついた。
きびすを返して戻ろうとする。
その背中に。
「こりゃ、待ちゃれ。わが背──」
振り向くと、ティティスがそこにいた。
「ちょ、お前、さっきまで、山の下に……」
俺の前でのろまに行動していたこいつなら何分かかるかわからないが、
<ナイルワニの女王>の本気なら、あっと言う間だろう。
俺は、それを理解した。
俺が見たこともないティティスを目の前にして。
そう、俺は、今日、はじめてナイルで女神と恐れられる、
鰐獣人の支配者と「出会った」のだ。
ティティスは、何も変わっていないように見えた。
小さな身体。
薄い胴体と華奢な手足。
脂を塗ったようにつややかな黒い直い髪。
肌理のこまやかな小麦色の肌。
だけど。
上気した美貌は、
濡れたように輝く瞳は。
何より、見にまとう血と暴力の匂いは。
俺の知るティティスじゃ、なかった。
「ど、毒、毒っ……!」
動転のあまり、何を言っているのかわからなかったが、
尻尾を指さしたことで意味は通じたのだろうか、ティティスは快活に笑った。
「大丈夫じゃ。わらわの尻尾、あんなやわな歯の通るものではない」
龍那の歯型が付いたそれは、文字通り、鰐皮の塊だ。
松の老木よりも硬く分厚いそれは、どんな鎧よりも頑丈そうに見えた。
「じゃ、救急車! 龍那を……」
振り返ってみると、コモドドラゴンの支配者は、もう立ち上がっていた。
「……」
忌々しげにティティスを睨み、気品に溢れる動作で地面に唾を吐き、無言で歩み去る。
一メートルもバウンドするくらいに地べたに叩きつけられ、
それをさらに上回る一撃を食らった少女に残ったのは、
ちょっとよろめく程度のダメージだけだった。
「信じられねー……」
俺は、嘆息した。
同時に戦慄も。
背中に流れる汗。
ティティスが、視線をそらしてうつむいた。
「そなたらには、こういうのを……見せたくなかったのでのう」
人外の能力を持つ獣人──俺はそれに恐怖した。
「……」
「……」
沈黙。
昨日まで、からかって遊んでいた女の子が、
自分が百人集まっても叶わない暴力の化身だったという事実。
いろんなアイデンティティが崩れ去った瞬間。
ティティスが、俺と「仲良くなるために」、
そういう態度で接していたということを、今の俺は痛いほどに理解していた。
こいつは、その気になれば、鰐淵先輩や獅子尾のように、
露骨な実力行使を行わなくても、周りから「強い」と認知されることなど簡単だった。
それをしなかったのは、インドア倶楽部に通う、本質的には内気で消極的な男への配慮。
「ティティス……」
目を伏せた<ナイルワニの女王>は答えなかった。
「……」
それきり、沈黙が続き、やがて──。
「では、私たちは帰る」
鰐淵先輩の一言でそれは破られた。
「あ……」
今まで忘れていたが、先輩は、つがいの少年と一緒にそこにいたらしい。
「あ、ちょ、ちょっと……」
「……同族の交尾を見る趣味は、ない」
先輩は、すたすたと坂道を下りながら、振り向きもせずに言った。
「……え?」
一瞬、何を言われたかわからない。
「血の匂いで、私も、昂ぶった。……私のつがいに、頑張ってもらうことにする」
手をつないだ少年が、ぼぉっと言う音が聞こえるくらいに顔を真っ赤にしたのが、
背中から見るだけでも分かったが、こちらはそれどころではなかった。
「こ、交尾って……」
「……!!」
ティティスが、何かに気が付いたように俺のほうを振り向いた。
「……」
「……な、何だよ」
俺は、こちらをまじまじと見つめる同級生に戸惑った。
「そうかえ……そうだったのかえ……」
ティティスがくすくすと笑い始めた。
「な、ど、どうした」
凶暴な女王の様子の変化に、俺は動揺する。
こんな怪物じみた娘が、理解不能の反応をしたら誰だって──。
だが、俺は、動揺していたわけじゃなかった。
「そなたは、こういう女に欲情する性質(たち)じゃったのか」
下からねっとりと見つめるティティスの視線。
ぞくりとした。
身体の真ん中が。
血の匂いと、力の匂いが、俺の鼻腔をつく。
それは、ティティスの体臭。
俺は、ズボンの前がはち切れんばかりに盛り上がっているのに気が付いた。
「うかつじゃった。鰐淵に聞いて知ってはおったが、とんと気が付かなんだ。
自分より強い獣に魅せられる獣がおることを。
──自分より強い女に惹かれる男もいるということを」
それは、サドとか、マゾとかそういうものじゃ、ない。
より強い子孫を残すために備わった本能。
純血種は歴史の中でそれを薄れさせていった。
だが、俺は、それを強く受け継いで産まれた。
だから──ナイルワニの獣人と交尾が出来る<因子>を持っているのだ。
だから──ティティスのつがいに選ばれたのだ。
そして、俺はもうそのことに反発しなかった。いや、できなかった。
ティティスの力を知ってしまったから。
この娘が、どれだけ強いか目の前で見てしまったから。

ティティスが、俺の手をつかんだ。
俺は、抵抗もせずに引き寄せられた。
「向こうへ──あの林でまぐわおうぞ。
いや──犯してつかわす。わらわの愛しい夫よ。
おぬしの望みどおりの方法で、のう」
全てを悟ったクラスメイトは、別人のように妖艶な瞳で俺をからみとり、
全てを悟った俺は、つがいの導くまま、林の中に連れ去られた。

<裏庭連峰>のふもとは、まばらな林になっている。
ティティスは、俺をそこに連れ込んだ。
若い白樺の、細く、華奢な木陰。
しかも、葉も落ちて枝ばかりの木の下に、ティティスは俺を転がした。
「ちょっ! ま、待て、ティティス。こ、ここでする気かっ!?」
思わず叫んだのは、向こうに校舎が見えているからだった。
200階建ての第四中央校舎、通称<ハーベルの塔>。
第二中央校舎、通称<バベルの塔>と並ぶ学園の屋根だ。
<バベルの塔>上層階が教授棟として使用されているのに対して、
<ハーベルの塔>のほうは、全フロアが教室及び学生用施設なので、俺たちには馴染みが深い。

一時間100円(ドリンクフリー)で、「光速」スパコンで世界中とつながれる
113階のインターネットカフェ、<レーザー・ソード>。

<学園>内の、つまりは人類が知るすべての毒薬の対処法がそろっているという、
176階の万能保健室、<蜘蛛の医師>。

カレーライスから、古代神が伝えた<神食>まで、寸胴鍋とおたまで作れない物はない、という
198階の空中食堂、<天空の学食街>。

どれも<学園>の生徒ならお世話になる施設で、つまり、この校舎はいつでも学生で溢れかえっている。
そこから見えるということは──。
恥ずかしさと狼狽が押し寄せてくる。
だが、俺を枯葉のベッドの上に転がした<ナイルの女王>は、
「なんのこと、……じゃ?」
……にやりと笑っただけだった。
お前な、そういう返答は一番頭に来るんだぞ?
もっと親身になって答えろ。
「――だ、だから、校舎から見えるって!」
「それが、何か問題があるのかえ?」
「だって……」
「見せ付ければよかろう。誰かにつがいとまぐわう姿を見られても、わらわは一向に困らぬぞ?」
たしかに<学園>は、その非公式な「真の目的」の関係上、
「正規のつがい同士の正しい性行為」は、暗黙の了解のうちに推奨されている。
部室棟の一区画、小部屋が三百室も並ぶ<Hブロック>は、いわゆる「エッチ部屋」だし、
各施設に、「それ用」の部屋が設けられているのは<学園>の誰もが知る公然の秘密だった。
発情しきった牝獣人が、そこかしこでつがいになった男子生徒と嬌声を上げる姿は、
放課後にしかるべきエリアを歩けば1分で遭遇する羽目になる。
だが、俺は、大多数の生徒と同じく、野外で誰かに見られる心配をしながら
ことに及ぼう、という蛮勇は持ち合わせていない。
「かまわぬ。わらわは、誰に見られても恥じぬぞ。――お主との交わりならば」
……ティティスは持ち合わせているようだった。
「だ、だけど……」
「……ほれ」
躊躇する俺の顎に手をかけて立ち膝になるまで引きずり起こしたティティスは、迷うことなく唇を重ねた。
「あ……むぐっ……」
ティティスの舌は柔らかく、すべすべして、甘い香りがした。
異国のお香のような、清々しくも艶かしいそれは、ティティスの匂い。
俺の舌よりもずっと小さい少女の舌は、俺の口腔内で大胆にうごめいた。
「ん……む……」
ティティスが目を眇めた。
唾液が俺の口の中に流し込まれる。
俺は──抵抗もせずに、それを受け入れた。
銀の糸を引いてティティスが唇を離すと、俺は、くたり、と枯葉の上にへたりこんだ。
身体の芯が熱い。
神経が蕩けるように痺れている。
ティティスはそんな俺を見下ろしながら舌なめずりし、自分の服に手をかけた。
白い麻の貫頭衣(ティティスの「制服」だ)の裾がするするとまくられるのを、
俺は呆然と眺めた。
ティティスが、その下のやはり純白の下着に手をかけ、ためらいもなく脱ぎ捨てるのも。
「わっ……わっ、馬鹿!」
俺が我に返ったのは、この美しい同級生が毛一本生えていない、
滑らかなその部分を俺の目の前につき出してからだった。
「ふふふ、――舐めてたもれ」
ティティスは、たくし上げた裾を掴んだまま、両腰に手を当てている。
両足は、目一杯に大きく広げて大地を踏みしめる。
いわゆる「大威張りのポーズ」だ。
<ナイルの女王>を自称する学級委員長が、よく見せるポーズ。
だが、今のティティスは、下半身に何も纏っていない。
むき出しになった太ももと、その奥にある女性の部分が俺の視線に晒されていた。
「ティ、ティティス……」
「どうしたのかえ? 好きな女の、女子(おなご)の部分じゃ。
男なら、どうすればいいか、分かるであろ?」
昨日の俺なら、怒り狂って否定するようなことば。
だが、俺の口から漏れたのは、高慢な女王に対する反発の声ではなく、
ごくり、という唾を飲み込む音だった。
「さ、早よう、舐めてたもれ」
ティティスは強制的に命じてはいない。
俺を誘うだけだ。
それは、強制よりも驕慢な態度。
拒まれることがない、と知り尽くした女の余裕。
それが、俺の背筋をぞくぞくとさせる。
きっと俺は、泣きそうな顔をしていたに違いない。
俺は、ティティスを、俺よりもはるかに強力で凶悪な俺の女王を、見上げた。
<ナイルの女王>は、にやりと笑って、足をさらに広げた。
その股間に俺は顔をうずめた。
ティティスの小麦色の肌は、肌理が細かく、滑らかだった。
まるで彫刻のような──それも、最高級の芸術品だった。
あながち間違いでもないかも知れない。
<ナイルの支配者>の一族が、数千年間かけて作り出した<最高の一匹>がこの女だった。
その女の中心に顔をうずめた俺は、必死で舌を使った。
女の子のあそこなんて、舐めるどころか生で見るのも初めてだ。
ましてや、学年が五つ六つ下だと言っても皆が信じそうな娘(こ)の物なんか。
初等部の女の子のそこを舐めているような感覚に、俺は狼狽した。
だけど、すべすべしたそこは、俺の唇と舌と心を惹き付けて止まない。
ちゅく……。
ちゅ……。
舌の上に広がる甘い香りと僅かな酸味。
異国の瑞々しい果実のような──。
「ふふふ、ずいぶんと上手いではないか、我が背」
ティティスの声は、空から聞こえるように遠く、またすぐ耳元で聞こえるように近かった。
「どうじゃ、わらわの味は──?
こうして、皆が見ているかも知れぬ場所で舐めるのが、そんなに良いかえ?」
「!!」
俺は戦慄に我に返り──は、しなかった。
その代わりに襲ってきたのは、凄まじい快感だった。
「おおっ……こ、これは。舌がますます……!!」
ティティスは仰け反った。
俺の髪の毛を掴んで、身体を支える。
「ふ……ふふ……。軽く…イきかけたぞえ……。自慰の何層倍もの悦楽じゃ」
身を引き戻したティティスが、覗き込むように俺を見下ろした。
「そなたも、ほれ、――普段の何層倍も、感じているのであろ?」
ティティスの足が上がった。
片足で立ち、履いていたサンダルを軽々と投げ捨てる。
丸太のように太い尾が支えるバランスは、いささかの揺らぎもなかった。
俺は、その細い足の先が俺の股間に伸びるのを呆然と見守った。
「――!!」
なめらかな足の甲が、ズボンの上から俺の股間を嬲る。
いきり立った男性器の上を。
「ほれ、こんなになっておるわ。
嬉しいぞえ、わらわでこんなに男根を堅くしておるとは」
「ち、ちが……」
違う、と最後まで言い切ることはできなかった。
「ふふふ、もう隠すこともあるまい。
そなたは、強い女王が好きな男(おのこ)じゃ。
わらわの力を見て昂ぶったのであろ?」
「……」
沈黙は肯定。
俺は、ティティスの人外の力に惹かれた。
「……それこそが、わらわの夫となる男の証。
普通の純血種は、獣人のむき出しの暴力と本能を好まぬ。
自らがそれを持たぬゆえに。──だが、そなたは違う。
獣人の中でももっとも凶暴で強力な猛獣のひとつ、ナイルワニを孕ます男は、
最も力が強い女を見分け、惹かれるのじゃ」
器用な足指が、学生服の厚い生地越しに、力強く男根を挟んだ。
「うわっ……!」
痛みはない。
正確につがいの牡の器官をつかんだ足指は、脈打つそれを巧みになぶった。
「愛おしや……」
ティティスが笑った。
血の香る女王の美貌で。
「――だから、わらわは、そなたのために踊ろう。
暴力(ちから)と本能(あい)の舞踊を。
そなたに、わらわが最強の女王であることを証明しよう。
そなたが欲情し、男根をそそりたてるに値する女王(おんな)であることを。
そして、あらゆる競争者(ライバル)から、いや、そなた自身からさえも、そなたを奪い尽くそう」
ティティスが、俺の顎下に片手をかけた。
ゆっくりとゆっくりと、傷と痛みを与えぬように慎重に、
だが、抗いを許さぬ強さと傲慢さを以って、俺を引きずり起こして立たせる。
「脱ぎや──」
三十センチ下から俺を「見下ろし」ながら、ティティスは傲慢に言った。
「あ……」
「わらわに見せたいのであろ? わらわも、見たい」
「で、でも……」
屋外だ。野外だ。誰かに見られているかも知れない。
「皆に見られるのも、良いのであろ? 
わらわが、そなたにふさわしい女であることの証しを立てたいのと同じく、
そなたも、わらわに犯されるにふさわしい男であることの証しを、立てたいのであろ?」
反論が出来ない。
身の内で燃える欲情の炎は、脳髄と理性を焼き尽くす。
俺は、ズボンに手をかけた。
犯されるために、自分から服を脱ぐ。
誰かに見られてもおかしくない、校舎裏で。
自分より頭一つも小さな女の子の前で。
俺の物は、屈辱と緊張で小さく縮こまって──。
「立派なこと──」
……それどころか、天を向いて限界までそそり立っていた。
「大きい。逞しい。それに堅くて、熱い」
<女王>の小さな手が、俺のものをつかむ。
ささやくような感嘆の声は、つがいを褒め称える熱っぽさでかすれていた。
これから犯し尽くし、奪い尽くす相手に、
いやその相手だからこそ、混じりっ気なしの尊敬と愛情を注ぐ女。
世界中の人間の前で獣のように交わって、世界中の人間から軽蔑されても、
こいつは、俺を唯一のつがいとして慈しみ、ともに歩むことを望むだろう。
自らの血と力の自身に微塵のゆるぎも持たず、ゆえに、それを次代に残す行為に
微塵のためらいも持たず──その世界に俺を連れて行く。有無を言わせず。
「コノ女ハ、危険ダ……」
頭の中で、最後の理性がちかちかと警告を与えていた。
そんなことはとっくの昔に分かっていた。
多分、はじめてティティスと会った日から。
だから、俺はこいつを避け続けた。
触れてしまったら、もう逃げられないから。
ティティスにとって、つがう相手が俺しかいないように、
俺にとっても、つがう相手はティティスしかいなかったのだ。
純血種の理性はそれを恐れ、俺はティティスから逃げ回った。
だが、ティティスは、俺を捕まえた。
どうしようもなく、強い力と魅力で。
「もう、我慢できぬ。――ゆくぞ」
ティティスがじりじりと身を寄せてきた。
目が、据わっている。
爬虫類獣人特有の、どこに焦点が合っているのかわかり辛い瞳が、今は完全にぶっ飛んでいた。
欲情しきっている。
俺に。
それは、手加減をする余裕もなくなっているということで──俺は、それに戦慄とそれ以上の期待に打ち震えた。
発情期に入った獣人がゆだねる生殖本能は、純血種のそれの比ではない。
獣人種が生殖行為──それも子作りの際に分泌する生殖ホルモンは、
純血種の知るどんな科学薬品よりも強力だ。
ましてや、最強の猛獣のそれなら──。
枯葉の上に再び押し倒されながら、俺は、俺の世界がティティスに埋め尽くされるのを感じた。
それは、普通ならば、純血種が垣間見ることができない本能の坩堝だった。
「わらわの中に来(き)や──」
耳元で、熱っぽい声が聞こえ、俺の先端は、温かくて湿った肉の中に埋没した。
「あぁっ、ああっ……」
ティティスの黒髪がうねる。
小麦色の肌に透明な汗が張り付く。
湿った音が二人の股間で聞こえる。
ティティスと、俺のつながる音が。
もう、どれくらい長い時間こうしているのだろうか。
土の香りと血の香り。
そしてティティスの香り。
俺は何度も達しそうになり、そのたびに引き止められた。
ティティスは、まるで俺の身体を支配しているかのように、
絶妙なタイミングで射精を押し留めていた。
腰の一振り、あそこの一締め、それで達せられるというのに、
ティティスはそれを許さず、前後に左右に肢体を動かし、あるいは止めた。
「出したいかえ? 出したいかえ? 精を出したいかえ、わらわの中に?」
吸い込まれそうな黒瞳で俺を見下ろしながらティティスがささやく。
胸もまっ平ら、あそこに毛も生えていない、初等部の女子のような同級生は、
俺の上で、成熟しきった女王そのものになっていた。
ティティスにとってもあきらかに、はじめての性行為のはずだったのに、
もう破瓜の痛みはなくなっているらしい。
これも、獣人の強力な本能のなせる業なのだろうか。
「まだ駄目じゃ、まだ駄目じゃ。もっと、そなたの精を濃くするのじゃ。
そなたの濃い精は、わらわの卵を目覚めさせる。
わらわを孕ませるために、もっともっと昂ぶるがいい、我が夫よ」
うわごとのようにつぶやき続けるティティスは、異教の巫女のようだった。
仕える神は、淫らな性愛の女神にちがいない。
いや、ティティスそのものが、女神か。
「も、もう……俺……」
何十度目かわからない快感のうねりに翻弄されながら、かすれた声をあげる。
「おお……おおっ、き、来たぞ、来たぞえ。
わらわの卵が、そなたの精を呼び始めた……!!」
ティティスが、目を大きく開いて叫んだ。
「う、うわぁっ!!」
同時に、俺をくわえ込んだ<女王>の女性器がうねる。
膣壁が、粘膜が、俺の性器をめちゃくちゃに嬲り始めた。
「くううっ……」
ティティスが俺の上に覆いかぶさる。
紅い唇が俺のそれに重なる。
舌をからませながら、俺はこれまでにないほどの高みに登りつめるのを感じた。
「ティ、ティティスっ! 俺、もう……」
「よいぞ、よいぞっ! 精を放ってよいぞっ!!
ああっ、わらわの中に出してたもれっ!!」
その声が聞こえるのと、射精が始まるのは同時だった。
びくっ、びくんっ。
びゅくん、びゅくんっ。
身体の中身がすべて吐き出さされるような感覚。
「お……おお……!!」
俺にしがみついたティティスがぶるぶると震える。
見えなくても分かっていた。
俺の最大限に濃縮された精液が、ティティスの子宮の奥深くに注がれ、
<ナイルの女王>は、それをしっかりと受け止め、自分の卵に結びつけたことが。
「ティティス……」
「わが背……」
俺たちは、ひとつの小さな大事業をやりとげたつがいとして、もう一度口付けを重ねた。
それは、もちろん、俺の上に乗る<女王>のほうが先に求めてきたものだった。
奪うように、貪って。
「――これ、どこに行く、待ちゃれ!」
「オセ……いや、<64モーグリ倶楽部>の昼会合だ!」
「たわけ、今日こそは、昼休みの甲羅干しじゃ。太陽をたっぷり浴びねば卵に悪い」
「ふざけろ、こんな真冬に正気の沙汰じゃねえ!」
俺は、じりじりとにじり寄ってくるティティスの脇をすり抜けた。
さすがに、すり抜け際に押したりはしない。
ティティスの腹は、ゆったりした貫頭衣でもかくしきれないくらいに丸く大きく膨れ上がっていた。
「あ、こら、待ちゃれ! この馬鹿夫!」
「誰が馬鹿だ!」
夫、のほうには反論できない。
親父とお袋は卒倒し、ため息をついたが、
妊娠させてしまった以上、男としての責任は取らざるを得ない。
<学園>を卒業したら、俺たちはティティスの故郷に行くことになるだろう。
まあ、木星の衛星とか、冥王星とかに比べれば、エジプトなんかすぐ近所みたいなものだ。
兄貴と同じでお盆くらいには帰ってくるさ。

──俺とティティスの関係は、まあ、あまり変わらない。
ティティスは、相変わらず「明るくてちょっとそそっかしい世間知らずのお姫様」だし、
俺は俺で、それから逃げ回っているめんどくさがりの普通の高校生だ。
セックスをして、子供も作ったけど、そういう関係は変わらない。
別に演じているわけでもないけど、他人の前でそうそう「本当の自分」をさらけ出す必要はない、
二人で考え考え、そういう結論に達しただけの話だ。
ティティスが妊娠したことが分かるまで、何百回もあいつに犯されながら。

もっとも、変わったこともいくつかある。
ティティスが、俺を捕まえる回数が増えたこと。
──今みたいに、偶然を装って、俺の手をうまくつかむ。
そして、そういうときは耳元でささやくようになったこと。
「そなた、六時限目は空きじゃな? ――東校舎の裏で待っておる」
にやりと笑ったティティスが、俺に手を振りほどかれて叫ぶ。
「――あ、これ、逃げるな、戻れ!」
振り向きもせずに、俺は、小うるさいジャリから逃げ出した。
心臓は、どきどきしている。
走りながら、生唾をのみこむ。
六時限目、校舎裏に、今振り切ったばかりの少女と同じ姿の女が待っている。
知っている人間なら知っている、強力で凶暴な<女王>が。
……そして、俺しか知らない、淫らで魅力的な<女王>が。
俺を犯すために待っていて──俺はそれから逃げられないんだ。



                       fin