――昔昔の事…、一人の男と、一人の女が、池のほとりで出会ったたそうじゃ。

「寒ぃよ…暗いよ~…」
暗い森の中で、一人の少年が怯え、震えていた。その目には涙を浮かべている。

本来その森は、少年にとっては慣れた遊び場のようなものであったが、しかし時が悪かった。
うっかりと遊びすぎた子供は、夜の暗黒に包まれ、寒さに震えつつ居ないものに怯えながら、
見失った家路を探し、さ迷っていたのである。
闇雲に歩き、道を探していく。だが考え無しの移動のために、本来の道がある方向とは、逆の方角に少年は
向かいつつあった。混乱している彼に、それに気づけというのは、むしろ酷であったろうが。

どれだけ歩いたろうか。少年は突如、開けた場所に出た。…大きな池のほとりである。

彼は絶望した。開けた場所となれば、そこは人の手が入った場所である可能性がある。道がある、という事もありえる。
だが期待してみれば、そこは少年にとって見ず知らずの場所。獣道すらも見えない。
普段なら、新しい遊び場を発見したという事で大いに喜んだろうが、しかし今はそんな場合ではない。
彼は、その場でへたり込んでしまった。そして嗚咽が、辺りに響き始める。

「ひっ…ひっ…かあちゃあん…」

少年の声に、返事をするものはいない。
今の少年の周りには、普段口うるさい両親も兄弟もいない。ただ木々が、何者かが潜んでいるかのごとく、風でざわめいているだけだ。
温かい食事も、ゆったりとした布団も、美味しい飲み物も無い。冷たい石と、硬い地面と、水があるだけだ。
昼の明るい時には、少年の興味を誘っただろうそれらは、日が沈んだ今となっては、
少年の心をさらに細く、脆くさせるには十分すぎるほど無機質で、暖かみを感じさせないものであった。

「ひぐ…うっ…うっ……」



「どうかしたのですか、ぼうや?」
「!」

少年はハッとし、顔を上げる。…眼前の姿を認識するのに、そう時間はかからなかった。

そう、いつの間にか、少年のすぐ目の前に人が立っていた。どうやら、声の質からして女性であるようだ。
声の主らしき彼女は、なおも少年に問いかける。

「親とはぐれてしまったのですか…?」

少年は、じょじょに視線を上げていく。着物の裾から帯へ、腰の帯から胸元へ、そして胸元から顔へと。
…やはり、女性のようであるが、暗いために顔は判別できない。
そこまで確認して、少年はふと、ある事に思い立った。

…こんな山の中に、人が住んでいるなんて、聞いた事もない。

急激に血の気が引き、心の底が冷えていくのを感じた少年は、悲鳴を上げた。
人もいない山中、こんな夜中に、池の周りで現れる、着物を着た女性。不自然すぎるその存在は、少年に
『幽霊』を連想させる。そしてその連想は、何ら裏づけをとる事もなく、少年の中で重大な説得力を持っていた。

一方で、幽霊らしき女は、悲鳴をあげる少年の前で屈みこむ。そして、少年の方へと、黙って両手を伸ばしてきた。
少年は甲高い声をあげつつも逃げようとするが、恐怖のためか、まともに足を動かせない。
そうと分かると、彼はただがむしゃらに、自らの手で伸びてきた手を振り払った。その動作に、
女は思わず手を引く。そして、払われた手を痛そうにさすった。
それを見た少年は、かすかな、連想への疑問を心に抱いたが、恐怖によってそれは勝手な答えを出され、かき消される。
錯乱し涙を流す少年を、じっと見つめる女は、やがて悲しそうな声を出した。

「そんなに怯えないで…」

そして再び、両手を少年の方へと伸ばす。少年は、女のものがなしさを帯びた声に気を取られ、迫ってくる手を振り払えなかった。
幽霊と言えば、人を呪ったり、殺したりする物。そんな先入観があった少年は、迫ってくる手に対し、いよいよ恐怖する。
このまま首を絞められ、殺される。そのイメージが、彼の頭に浮かぶ。
そして手は、彼の体へと達した。――はじめに触られた部分は、首ではなく、頬だ。
温かい人肌の感触と、柔らかい動きを頬に感じ、少年は一瞬、思考が停止した。

「…こんなに震えて……それに、とても冷たい…可哀想に…」

やがて、手は少年の後頭部と背中へ回る。少年は抵抗しない。先ほどまでは恐怖一色だった顔は、唖然とした表情を浮かべている。
少年が、やっと放心から回復した直後、彼は女の胸元へと引っ張られ、抱きしめられた。

「よしよし…よしよし…」
そして手が、少年の頭を撫でる。母が子供をあやすかのように優しく。
少年は、頭をなんとか動かして、女の顔を見上げる。間近で見れば、暗い中でも表情が見えた。
少年が見た女の表情は、とても穏やかで優しげで、そして綺麗だと感じさせるものであった。


山中を歩き通しだった事で、精神と肉体、両方が疲弊していたのだろう。
やがて少年は、温かなぬくもりと安心感の中で、眠りに落ちたのだった。

――出会うた男女は、やがて恋に落ち、そして結ばれたと云う。


少年は、全身にぬくもりを感じながら、柔らかいものの中で、ゆっくりと目を覚ました。
瞼を開ければ、着物の胸元だけが見える。耳には小鳥の鳴き声が聞こえる。
明るさも感じる。どうやら朝のようだ。少年は動こうとして…動けない事を理解した。
「何か」によって、体全体が包まれている。また、後頭部と背中には、集中的に力が当てられている。
事態が理解できず混乱する少年が、なんとか脱出しようともがいていると、頭上から声をかけられた。

「よく眠れましたか?」

驚いた少年が、頭を動かそうとするが、動かせない。なおももがく。
すると、突如として体を固定していた「何か」の感触が消えた。ぬくもりと共に。また、頭と背中に込められていた力も緩む。
消えた温かさを少しだけ残念に思いながらも、少年は自由になった首と頭を動かし、
先ほどの声の源へと、目を向ける。

「おはようございます、坊や」
そこには、瞼を閉じながら、優しげな微笑みを浮かべた、美しい女の顔があった。

顔を見た少年は、昨日の事を思い出す。
森の中で迷って、家に帰れなくなった事。
散々歩いた末に、広い池の近くにたどり着いたこと。
泣いているところに、山中にいるには不自然な格好をした女性が、声をかけてきた事。
その女性に、抱きしめられた事。
彼女の優しそうな、安心できる表情。
少年の脳裏に、様々な映像が浮かび上がる。そして、それにより、少年は今の事態を理解する事が出来た。
どうやら、昨夜からずっと、抱きしめられていたらしい。頭と背中のものは、女の手だ。
それが分かると、少年は途端に恥ずかしくなった。何しろ、見知らぬ綺麗な女性に密着しているのである。

…彼自身は自覚してはいなかったが、女に出会った当初感じていた恐怖は、今、すっかりと消え去っていた。
そして、先ほど少年の頭に浮かんだ『疑問』もまた、頭の中から、高ぶった羞恥心によって追い出されていた。

この年頃では当たり前であるだろうが、ウブであった少年は、女から離れようとする。
だが、力を入れても、手と腕を振り払えない。
「ふふ…恥ずかしがらなくても、いいんですよ」
女の、見透かしたような発言に、少年は顔を真っ赤に染める。
その様子が、見ないでも―実際、女の瞼はずっと閉じられたままであったが―分かるのか、女は可笑しそうにくすくすと笑った。
そして不意に、少しだけ寂しそうな表情をして、

「ごめんなさい、もう少しだけ、こうさせていてくださいね、坊や」
そう言ってほんの少しだけ力を込めた女に、少年は恥ずかしいながらも反抗できず、従った。

――そののち、仲むつまじく暮らした二人の間には、いつしか子が出来たそうな。

しばらく時間が経ち、少年は女の腕の中から解放された。…といっても、合図があって、女がしぶしぶ離したのであったが。
合図となった音は、少年の、腹の虫の鳴き声だった。

「お腹がすいているのですね…」
女は、少々の思案を始めた。どこかしら、決断を迷っている風にも見える。
「食べものがないのだろうか」
少年には、それくらいしか、彼女の悩みが思いつかない。…確かにそれはあった。
ただ、それが主ではない。それは、彼女にとっては些細な問題であった。調達すればいいのだから。アテもあった。
女が決断を迷う問題点は、実は他にあったのだが、少なくとも今、少年がそれに気づくことはなかった。
思案の結果に、度肝を抜かれる事はあったにしても。

もっとも、無理もない。会ったばかりの名前も知らない女が、いきなりにこやかな顔になったかと思うと、
目の前で胸元をはだけたとなれば。ましてや、少年は『少年』である。
精通こそ経験していたが、自慰も含めて性的経験の無い男子児童が、女の痴態を目にすれば
…湧き上がるのは性的興奮などではなく、ほんの少しの興味と、大きな驚きと、巨大な羞恥であった。
一方で、女の顔は変わらずおだやかである。だが、りんごのように真っ赤に染まりあがった少年の頭を、包むようにして
抱えた両の手には、しっかりと力がこもっていた。

そして女はそのまま自らの、張りのある豊かな乳房へと、少年の頭を引き寄せた。
唖然としていた少年は、そのまま乳房…乳首に、かぶりつくような形になる。
その様に、女は微笑んだ。その手は、少年の両側頭部から、首の後ろと後頭部に回っている。

「さ、坊や…お乳を吸いなさい、たくさん飲ませてあげますから」

普段ならば、そんな事を言われれば少年は、恥ずかしさと怒りで相手とケンカになっただろう。
だが今は自由も利かず、相手は年上の女性、そしてその口調には、からかいや嘲りというものがなく、むしろ暖かみがあった。
それに、女性の割りに力も強い。抵抗できないと分かり、結局少年は、女性の言う通りにした。
とりあえず、吸っていく。かすかな甘みが、口内に広がる。

しばらくすると、少年の口内に、とろとろとした液体が侵入しはじめた。…空腹、のどの渇き、それらのせいであったのだろうか、
舌に伝わる甘く濃い味が、少年にはとてつもない「美味」に感じられ…彼は液体を飲み下しながら、ますます乳首を強く吸い上げる。
そんな彼を見ている女は、相変わらず穏やかな顔をしていたが、先ほどとは違い、後頭部の手はさすりさすりと
少年の頭を撫でている。もう押さえつける力はないに等しいのだが、少年はその事にまるで気づいていなかった。
…だが、もし仮に気づいても、少年はそんな事にはお構いなしに、乳をしゃぶりつづけただろう。それほど、
少年にとって、女の乳は甘露であった。

「よしよし…たくさんありますからね…お腹がいっぱいになるまで、おしゃぶりしましょうね」
女の声が、少年の心に浸透する。そして彼は夢中になって、
女に言われたとおり腹を満たすまで、乳を吸い上げ続けた。



やがて、液体だけで腹が満たされた少年は、吸い上げを止め、乳房から口を離した。
乳首から垂れるしずく。それが目に入り、少年は空腹が満たされたにも関わらず、名残惜しさを感じる。
「ふふふ…とても美味しかったみたいですね、…よかった…」
女の声は、少年にまともな思考を取り戻させた。
…少年はまた、女の顔を見上げる。目に映ったのは、頬をわずかに朱く染めた、嬉しそうな顔だった。
彼女の顔を認識した『少年』は、燃えるような熱さを感じる。恥ずかしさのために、うつむけた頭に。

…女の母乳…強精効果のある血液を、体内に吸収したために、その小柄な体――特に、下腹部に。
活力と、得体のしれぬ興奮が、少年の肉体から湧き上がってくる。それらが一体何なのか、何故湧き上がってくるのかわからず、
もぞもぞとするばかりの少年に、女は赤ん坊に対してのような優しい、しかしかすかに艶の交じった声をかけた。

「心配しないで、坊や―――私が、鎮めてあげますから」

――そしていよいよ、子が産まれるとなった日、妻は覗かないよう夫に言って、部屋にこもってしまったそうじゃ。

女の声の、わずかな、しかし決定的な変調に、少年は違和感を覚える。そしてそれは、背すじに走る悪寒に伴うものだった。

少年は女の肩を押し、突き飛ばすようにして身を離す。女は完全に油断していたのか、正座の状態から、
地面にしなだれたような格好になった。それを見て、罪悪感が芽生えた少年であった、が…のちに、それによって
動作が止まった事を、彼自身が悔いる事となる。そのまま、背を向けて逃げればよかった、と。

「もう…坊や、乱暴をしてはなりませんよ」
怒ったようにそう言って、女はゆっくりと、瞼を…開いた目を、少年へと向ける。その目を見て、
少年は、背筋が凍りついた。

眼球が、無い。開いた目は、何も映す事はなく、ただ吸い込まれそうな深い闇だけがあった。
口元も、眉も、怒った風ではあるが、穏やかであった。あったが、それゆえに、その顔は少年に恐怖を覚えさせた。

少年は、今度こそ、動いた。背を向け、走る。どこまでも走る…
はずが、多少進んだところで転んでしまう。
慌てて起き上がろうとすれども、腕は動くが、足は何かに縛られたように動かない。
そこで少年が、自らの足を見てみると…両足首を縛るようにして、蛇の尾が巻きついていた。
自分の足を縛る蛇を離れさせようとした少年は、気づく。蛇の尾は、あくまで『尾』であって、蛇の本体ではないということに。
少年は目で、尾の根元を辿っていく。じょじょに太くなるそれは、蛇らしくくねりながら…

女の着物の、裾の中へと続いていた。…理解の範疇を超え、少年の動きは停止する。

「女の人の顔を見て、逃げてはなりません。相手が傷ついてしまうでしょう?」

そして、ずるずると、少年は引っ張られ始めた。それによって、ようやく放心から回復した少年は、
捕食されるという連想によって、覚えられる限りの恐怖を覚え、必死に抵抗する。

だが、それも空しく、少年は、とうとう女の目の前まで引き戻された。
女は、瞼を閉じ、楽しそうな笑顔で、仰向けの少年を「見つめて」いる。その事が、少年に最大限の恐怖と
絶望感を覚えさせた。喰われる、という確信とともに。
「やめてよぉ…助けてよう…」
そう言って命乞いをした少年に対し、女は、まったく変わらず優しい、楽しそうな声で、

「そんなに怖がらなくても、大丈夫ですよ、坊や―――決して、痛くしませんから、ね」

もはや連想が『事実』としか見えなくなった少年にとって、死刑宣告となる発言をした。


――赤ん坊の泣き声を聞いた男が、女との約束を破り、部屋を覗くと。

――そこには、とぐろを巻き部屋を埋め尽くし、生まれたての赤ん坊をなめる、巨大な蛇がおったそうな。

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最終更新:2008年03月04日 21:22